私たちは想像以上にちっぽけな世界で生きている。
 まるで自分の周囲が全てのように錯覚しているだけで――。
 ちっぽけな感性しか持ち合わせていない私は、学校という世界で一人ぼっちになった。それが世界の終わりになったかのような気がしていた。

「はぁ……」
 溢れるのはため息だけ。
 ため息しか生産することができない自分に苛立ちを感じながらも、何もできない自分。それが腹立たしくてどうしようもなかった。
 この社会は一度群れから弾かれると、雨粒が傘に弾かれるかのように入り込むすきはない。受け入れ先のない人間は、孤立せざるおえない。元々、孤立を好きで選んだわけではなく、理不尽な扱い。ただ、卒業するために登校する日々。

 現在は紆余曲折あり、部員がたった一人しかいない自然科学部に所属している。とはいっても、最初は運動部に入っていた。些細なことがきっかけで部員と確執ができてしまった。あっという間に部活動という場所に居場所がなくなってしまった。もっと言えば、学校という場所に居場所がなくなってしまった。退部届を出すのに時間はかからなかった。退学届けすら頭によぎりながら日々を過ごしていた。些細なことがきっかけで日常は変化する。まるで天気のように――。

 青春と言われる時期を棒に振ってしまった。
 後悔しても時間は戻らない。
 何も楽しいことなんてない。
 きっとこれからも、楽しいこと、打ち込めることなんて見つかるわけがない。一度思い込むと人間というのはそれ以上でもそれ以下でもない不幸しか見えなくなってしまう。その時の私は食欲もなく顔色も悪い状態で、ただ息をしているだけだった。悲しみに打ちひしがれ、ただ毎日を送ることが精一杯の自分にできることだった。

 たった一言に人は救われることがある。
 身をもって体感する。

「弱いものほどよく群れる。孤独と孤立は別物ですよ」
 一人ぼっちの私に声をかけてくれたのは理科の教師の理沢先生。専門は化学だ。
 その一言がきっかけで自然科学部に入部した。
 きっかけなんて些細なことだ。

「学生にとって孤独も孤立も同じですよ。私の場合、あえて孤立を選んでいないわけで、孤独を選んだわけでもないし、勝手に孤立せざるおえなかっただけなんです」

「じゃあ、自然科学部に入部してみませんか? 部員がいないと来年部自体が消滅してしまうので、一緒に部員探しをお願いします。現在は部員がゼロなので、このままだとこの秋に消滅する部活となってしまうのです」

 今思えば、ただの部員探しだったのかもしれない。
 先生は理科担当で自然科学部の顧問ではなくなってしまうと、おのずと運動部や他の文化部の顧問となるのが嫌だったのかもしれない。

 一人しかいない自然科学部なので、活動は私次第。かなり自由だから入部した。誰にも気を使わないで済む。実際入部すると思いの外快適極まりない部活だった。

 科学、化学、物理、生物、地学、なんでもOKという部活にもかかわらず、部員はたった一人。廃部にならなかったのは、今年まで三年生が2名ほど所属していたということだった。もし、今入部しなければ、来年はなくなっていた部活。とりあえず入部するには良物件だった。人間関係のしがらみもない。居場所を提供してくれたこの部活に感謝していた。

 顧問は理科の若手男性教師。きっかけは、彼の言葉に救われたから。孤独な私に一言声をかけてくれた大人がいるという理由でこの部活に入った。人が良さそうな、いかにも勉強好きな雰囲気を醸し出す先生。憧れている生徒は聞いたことがない。若いけれど、地味でモテない。黒縁眼鏡に白衣を着ており、服装はおしゃれとは縁遠いだろうと思われる。でも、いい人だという認識はみんなにあると思う。私にとっての恩師なので、居場所がない私は彼が顧問をする部活に所属する以外選択肢はなかった。

 自然科学部には部誌がある。本来は活動報告や反省を書くのだろうけれど、部員一人ゆえ、自由に好きなことを書く。

10月1日
『すき焼きがすきです。昨夜肉は焼かずに食べました』
 こんな変な文章でも、先生は必ずコメントを返してくれる。
 部誌に書くような内容ではない。でも、きっと、私の病みに気づいて誘ってくれたのだと思う。これは、私からの愛のメッセージだが、鈍感教師に通じるわけはないだろう。

10月2日
 先生はいつもかならず丁寧にひとこと返事を書いてくれる。
『上を向いて歩こう』

 もしかして、あの有名な歌手の歌と掛けている? しかも、学校に馴染めない私に対してちょっと励ましてくれている? たしかにスキヤキという名前で外国で大ヒットした歌がかつて日本にあったというけれど、私としては好きという言葉を暗号的に伝えただけだったのに――。

 変な文章の意味はシンプルに「好きです」という意図したものだ。工夫した点と言えば、『すき焼きがすきです』の中に2つも『すき』を入れて強調した。さらに『焼かずに食べました』というのは『焼きが』の部分を抜いてね、という暗号のつもりだった。絶対にあの鈍感教師には伝わっていないのだろう。案の定、好きなんていうメッセージは完全スルーだ。目にすら入っていないのだろう。

 何もない放課後はとりあえず、理科室で理科の本を読みながら、研究課題を探している。とは言っても、ほとんど話したいがために部活に行っているだけ。そんな生徒に付き合ってくれる先生はお人好しだと思われる。

 黄昏時の窓辺は絶景が広がる。高台に位置するこの学校は景色だけは自慢できる。目の前に広がる街並みは夕暮れにはぽつぽつとあかりが灯り、まるで美しい電球がひとつ、またひとつ灯る感覚に包まれる。

 理沢先生は相変わらず優しい声で話す。
「上を向くと涙がこぼれないという話から、前向きにいこうという意味を上を向いて歩こうと表現しているんですよね。一般的に右目から多く出るのが、嬉し涙。左目から多く出るのが悲し涙らしいです。ちなみに7月3日は涙の日。ドライアイっていうのも大変だけど、心が渇くのも大変です。つまり、人生は水分補給ということで、手作りのレモン水を君にあげます」

 急にレモン水という突拍子もない展開が理沢先生らしい。
 先生は凝り性で色々な飲み物を作って来ることがある。
 先日はりんごのフルーツティーで、甘いフレーバーだった。

「ありがとうございます」
 ごくりと飲むと喉が潤う。一気に飲むとごくりごくりと音が鳴る。
 こんなに喉が渇いていたなんて自分でも気づかなかった。
 きっと熱中症になる時は、本人が気づかない以上に水分が奪われているのだろう。

「レモン水はとても体にいいんですよ。美肌効果、疲労回復、免疫力アップなど効果は絶大です」

 理沢先生って案外美容に気を使ってたりして?

「効果を聞いてから飲むと、さらに効果が倍増したように感じてしまいます」
「これは一種の心理効果ですね。プラシーボ効果と言われています」

 いつもどことなく博識で、知識の多い理系男性。普通に出会っていたら、うざいとか面倒くさいと思ってしまいそうなタイプかもしれない。でも、いただいたレモン水は少しばかり酸っぱいけれど元気が出る特別な味がした。
 最初は勢いよく飲んでしまったけれど、最後の方は味わいながらゆっくりと飲んだ。私にとっては特別な飲み物だから。

「おいしいっ」
「人間は他の動物にはない痛みや悲しみという感情があるのが取り柄です。記憶力も私たちにしかないものなんですよ」
「それっていいこと、ですよね?」
「痛みや悲しみを記憶できる人間であることは幸せですよ」
 お手製のレモン水を先生もごくりと飲む。白衣が似合いすぎて白衣を見たら先生を連想してしまいそうなくらいだ。実は隠れイケメンだということに気づく。少しばかり得した気分だ。

 よし、今回は、自然科学部的な感じで元素記号で気持ちを伝えよう。部誌に書き込む。ただの自主勉強と見せかけての告白だ。

10月3日
『今日は自主勉強として元素記号を書きます。
S……硫黄
U……ウラン
K……カリウム
I・・・・・・ヨウ素

 これ、結構簡単でありきたり。ばれちゃうかなぁ。謎解きでよくあるパターンだし。でも、あの鈍感な先生ならば、元素の自主勉強の一環としてスルーされちゃうな。でも、遠回しに伝えたい。

 ノートを読んだ理沢先生は以下のような話をしてくれた。

「ラピスラズリの青は瑠璃色や群青色でとてもきれいですよね。実は硫黄の成分が入っているんですよ。硫黄は温泉というイメージが強いですが、結びつき次第で色合いもあざやかになるんですよ。ツタンカーメンの黄金のマスクにある青色のアイライン、フェルメールの真珠の耳飾りの少女の青いターバンの青色の絵の具や塗料として使われていました。主な成分は、青金石ですが、たくさんの成分が混ざり合わないときれいな色は出せません」

「先生は、何でも知っているんですね」

「何でも知っているわけではないですよ。ただ、好奇心があるから、調べていたとか書物を読んでいたから知っていたという結果です」

 黒縁の眼鏡が良く似合っているな。一回良く見えると人は対象を好意的に見てしまう生き物だという話も先生の受け売りだ。

10月4日
『ラピスラズリは幸運を招くパワーストーンなんて言われていますね。あなたにどうか幸せが訪れますように』

 先生の文章はいつも優しい。行動も優しい。思いやりが散りばめられている。笑顔が浮かぶだけで、少しばかり目頭が熱くなる。やっぱり心が弱っているんだ。部誌が私の生命線だった。多分、先生という優しさに依存することで私はこの場所にいられる。

10月5日
 元素記号を番号で書いてみます。
16……硫黄
92……ウラン
19……カリウム
12・・・・・・ヨウ素

 前回の応用版。SUKIをただ元素の数字に変換しただけ。どれだけ、遠回しに好きを伝えたら、先生に伝わるのだろう。土日を挟む。つまり、学校がないので会えない時間が増える。ちょっと寂しい。

10月8日
『東京都に属する硫黄島という島は、2007年まで「いおうじま」と呼ばれていたんです。今は「いおうとう」が正式名称なんですよ。つまり、正式なんて誰かが決めたことであり、時代によって変わるんです。きっとあなたも変わります』

 先生からのメッセージ。絶対好きという意味に気づいていないな。硫黄の話ばかりだし。でも、何かで誰かと繋がっているっていいな。文字でつながることは今の自分にはとても有意義なことだ。

10月9日
『昨日、幸運にも四つ葉のクローバーを見つけました。そこで、クローバーについて調べてみました。四つ葉のクローバーになるものは遺伝的なものと環境的要因があるそうです。踏みつけられて四つ葉のクローバーになるものもあるらしく、幸運のイメージでしたが、不運を背負ったクローバーもいることに驚きました。別名はシロツメクサですが、漢字で書くと、白詰草。名前の由来に興味を持ちました。箱の中の緩衝材だったとか。幸せになれるように花言葉と共に四つ葉のクローバーのしおりを送ります。』

 贈り物をしてしまった。大切な人に幸運の意味を込めて探しに探した結果見つけられた四つ葉のクローバーのしおりを送る。

 9月10日
『しおり、ありがとうございます。幸運の四つ葉のクローバーは不運の結果にできたということかもしれませんね。』

 その返事には、蟻と蛾のイラストが印刷されおり、合計10匹いる。
 これ、結構気持ち悪い。理科オタクの先生ならばだけれど――。何を伝えたいんだろう。蟻と蛾が10匹でありがとうっていうこと? 蟻が10匹でありがとうっていうのはクイズで聞いたことがあるけれど、あえて蛾を入れたの? 蛾って意外ときれいな種類もあるんだなと見つめてしまう。

「部誌の内容、ありがとうって意味ですか? 蛾ってきれいな色している蛾もいるんですね。もっと地味な色合いだと思ってました」
 部室で直接聞いてみる。

「それは偏見です。美しい蛾もたくさんいますよ。視野を広く世の中を見てみると思いこみって結構あるんですよ」

「たしかに。最近、気が合いそうもないと思っていたクラスの子と話してみたら意外と話せたんです。部活の人間関係だけが全てのような気がしていたけれど、この学校にはたくさんの生徒がいますよね」

「意外なことと言えば、部員ゼロの自然科学部に入ってくる生徒がいるとは思いませんでした」

 クスリと笑いあう。
 その日、図鑑で蛾について調べてみた。
 一応自然科学部としての活動はしている。
 図鑑なんてほとんど見たこともなかったけれど、元素や鉱石の図鑑にしても蛾にしても案外美しい写真が多い。これは、自然科学部に入らなければ、気づくこともなかった事実だ。

 今日は大胆に愛してるって書いちゃおう。でも、もちろん暗号で。この学校に在学中は恋愛は禁止だ。そして、教師と恋愛などもってのほか。

 9月11日
I……ヨウ素(元素番号53)
SI……テルル(元素番号52)
TEL 
 最後に自分のスマホの番号を書いてみた。大胆な自分だけど、番号くらい、いいよね。
 愛してるという意味だけれど、さりげなく自分の電話番号を伝える手段ともなっている。でも、これでわかるだろうか。理系馬鹿男ならば、そのままヨウ素について語られそうな予感しかしない。

 その日の夜――着信音がなる。
 元素の名前と名前が送信されてきた。
『アルミニウム、ガリウム、ネオン 理沢より』
 ショートメッセージがスマホに届く。知らない番号だ。でも、先生の名前が書いてあった。

 どういういう意味? 教科書とにらめっこだ。元素記号にすると――
 AI GA NEって有り金? でも、ありがとうっていう読み方もできるよね?
 NEは元素番号10ということはトウと読める。でも、どういう意味? 例えば、好きだということに対して、好意的にありがとうと言っているのか、社交的に遠回しに断っているのか――わからない。でも、これであの先生のスマホ番号を入手した。これから、メッセージは部誌でなくとも送ることができる。でも、嫌われていたら、迷惑かもしれない。プライベートで恋人がいたら、迷惑かもしれない。でも、恋人がいるとか、そういった素振りは全く感じられないけれど。

『元素記号だ。解読せよ。I Be TE Lu』

 アイビーテール? どういう意味だろう?
 教科書にはIはヨウ素と書いてある。そのままアイでいいのだろうか。Be
ってベリリウム? アイビーだと日本語としてはおかしい。じゃあ元素番号? 番号は4。つまり、シ? TEは元素名テルル、そのままテ。Luは元素名ルテチウム。そのままル? つまりアイシテル? でいいんだよね。これって、両思いっていう解釈でいいんだよね? 思わず赤面しつつ手が震える。

 今までの私のメッセージは先生に伝わっていたのだろうか。
 鈍感なフリをしてとても敏感に感じ取っていたのだろうか。
 先生はとても気が利く人だ。
 元々、落ち込んでいた私にいち早く気づき、声をかけてくれた。
 つまり、相手の心に配慮できる人。
 じゃあ、気持ちはバレバレだった?

 でも、本当にあの堅物知識男が愛してるという言葉を暗号で送るのだろうか? 真相を確認するにも、できず、何とも言えず私はただ、その場で脱力する。

 私が送った四つ葉のクローバーのしおりを握りしめながらこの文章を送ったなんて、今の私が知るはずはない。

 翌日、メガネを外した理沢先生を見かける。
 髪型もいつもと違う流行を取り入れたものだ。
 思った以上に童顔で若い。
 白衣を脱ぐと案外私服は悪くない。というかカッコいい。
 これは、女子生徒のファンが増えてしまうかもしれない。
 少しばかり焦る。

「先生、メガネはどうしたんですか?」
「コンタクトにしてみたんですよ」
「髪型もいつもと違うとイメージが変わりますね」
「そうでしょうか」
「私服も感じがいいですよね」
「この方がいいかと思い、最近洋服屋に行って、購入したんです。生理的に受け付けないと思われると結構悲しいので」

 肩をすくめる。どういった心境の変化だろうか。

「先生は黒縁メガネじゃなきゃだめですよ」
「どうしでですか?」
「他の生徒が外見で好きになっちゃったら困るじゃないですか」
「あなたは、冴えない外見でも気になりませんか?」

 もしかして、私のために?
 嬉しい気持ちに包まれる。

「先生の中身は最高にイケメンですから。外見までイケメンとなると、競争率高そうなので」

 電話番号の交換の後に話した会話がこれだ。
 つまり、お互いに気持ちを確信したということだ。

「今度、部活の課外活動として、植物の散策に行きませんか? 生物分野の探求です」
「部員一人の場合、二人でいくことになってしまいますが……いいのでしょうか?」
「私は、むしろ二人がいいです。人数が少ない方が活動に打ち込めますし」

 こんな言い訳は嘘だと見抜かれることはわかっている。
 ただ二人でいたいだけ。

「じゃあ、学校に許可証を出します。これで、堂々と課外活動としての部活動ができますね」

「星を見る会もやりたいです。つまり、地学分野の活動もやりたいです。元々星を見ることは好きだったので」
「わかりました。その件も提出しておきます。学校の屋上からは見えると思うので、そこならば許可は下りますよ」

「これからも、部誌にプライベートな相談とか、気持ちを書いてもいいですか?」
「もちろん。あまりプライベートな内容だと学校側から指摘されると困りますけどね」

 恋愛がらみの内容が学校側にばれたら困ることは重々承知だ。
 先生はそれを懸念しているのだろう。

「今日は屋上で星を見ませんか? この時間帯ならば夕暮れ時で星も見えるし、許可証もいらない時間帯ですよね」

「そのとおりですが、地学活動にしますか」

「はい」

 先生と誰もいない屋上でただ空を眺め景色を眺める。

「望遠鏡は後日準備しておきます」

 先生は相変わらず真面目だ。

「あの……。先生にずっとノートにメッセージを発信していました。お気づきかと思いますが、私は先生に救われました。孤立から今は脱皮して仲間もできつつあります」

「それはよかったです。僕からのメッセージも届きましたか」

「はい。口でちゃんと伝えたいと思って。これからも、先生のファンでいさせてください。学校の校則で恋愛禁止なのは承知しています。でも、人の気持ちまで校則で束縛は不可能だと思うのです。だから、一人の生徒としてファンとして応援させてください」

「あ、ありがとうございます。こんな素敵な言葉を言われるなんて想像もしていませんでした。僕の方こそ、あなたのファンでいさせてください」

 先生の方が私よりずっと赤面している。
 それに、コンタクトの先生はいつもより垢抜けていてとても美しい顔立ちをしていた。

 先生は手を差し出す。
 私はこの手に救われたのかもしれない。
 私の手とクロスして、握手という儀式が交わされる。

 私たちはファンとしてお互いを尊重して今後も学園生活を送る。
 これが恋だとしてもそんなことはファンという言葉で片づけられるのだ。

 眼下に広がる景色はイルミネーションの如く、少しづつぽつぽつとあかりが灯る。この時間帯の空は藍色に染まり、夜へと移行する色合いを醸し出す。星は今日は見えないけれど、粒のようなビルの灯の中に大勢の人がいて、それぞれに物語があるように、私たちにも物語が存在する。

「先生、私のためにイメチェンしてくれたんですか。そーいうところが真面目ですよね」

「別に、そーいうわけではないですよ」
 きっと一生懸命美容室をリサーチして、流行の髪型を検索したのだろう。
 洋服を買いに行く店もかなり探して、店員に相談している様子が目に浮かぶ。それくらいわかりやすい人間性。それを想像しただけでクスリと笑える。

「これからも部誌で交換ノートしましょうね」
「もちろん。これはあくまで部活動です」
「新入部員も探さないといけないけど、部員が入った時は、別なノート用意しますね」
「そのほうがいいかもしれません」
 コホンと咳ばらいをする先生は照れているのだろう。
 暗闇の中でもスラリとした足が体型の良さを物語る。
 暗闇に便乗して、指を絡める。

 でも、私たちは多分これからもきっと記号と暗号を用いてお互いにやりとりをする。絶対恋愛禁止の高校で、誰にも悟られないように――。