最近、ため息しか出ていないような気がする。
 自分の不運を嘆くけれど、嘆いても何も変わらない。
 世間も毎日の周囲の生活も、何も変わらない。
 些細な抵抗は、ため息という手段しか見つからない自分が悲しい。
 この世の中に何を遺せるのか? 何者になりたいのか?
 何者になれるのか? 自問自答をするのは思春期のせいなのだろうか?
 私が病という名の悪魔に取り憑かれてしまったからなのだろうか?
 なんで私だけ? 自問自答の日々は出口が見えない。
 人生は不平等の連続だ。
 例えば、どんなに食生活が乱れていたとしても病気にならない人もいる。
 ましてや若いときに病気になるなんて、ごく稀だ。
 百歩譲って、歳を重ねた上で病気になるならば納得しよう。
 逆にどんなに食生活や健康に気を使っていても、病気を発生してしまう人もいる。それは、遺伝なのかもしれないし、遺伝すら超越したものなのかもしれない。
 今日は定期健診の日で、通院している病院へ来ている。学校には遅れていく予定だ。
定期健診が終わり、会計を済ませて病院の廊下の長椅子に座っていた。
そんなとき、会いたくない絶滅危惧種の姿が近づいてきた。
 その姿に見覚えがあり、まさか……と思っていたら、嫌な予感が的中する。
私は彼を知っている。
 万が一でも、気づかずに素通りしてくれないだろうかと心の底から願っていた。
 でも、それはかないそうにもない。
 目と目があう。ここで逸らすが、もう遅い。
 相手の認識センサーは完全に私をとらえたと感じる。
 知りあいだという表情が手に取るようにわかる。
 気づかないでいてほしかった。
目があったのは絶滅危惧種の生物だった。
 一般的に絶滅の恐れがある野生生物は『レッドリスト』と呼ばれている。しかしながら、多分、彼らが絶滅してもこの世界に何の弊害もなく、むしろ絶滅してくれたほうが治安が良くなると考える人間が多いのが実情だろう。ある意味、試合でいうレッドカードに近いことをしでかすものをレッドリストと呼んでもいいかもしれない。
そう。目の前から近づいてきたのは、この令和の時代、絶滅しているはずの絶滅危惧種と囁かれている不良。今時、ダサい、ありえない、時代錯誤と言われようと、この男は、不良という己のスタイルを確立している。ある種のこだわりを持って生きているのだろう。髪の毛は長めのぼさぼさした感じであり、制服の着こなし方は校則違反。ワイシャツの裾はスラックスの中に入れてはいない。スラックスに関しては裾が長く地べたについているため、ぼろぼろになっている。
「あれ、おまえは同じクラスの……えーと」
 名前が出てこないくらいの顔しか知らないクラスメイト。
 こんなところで会うなんて――。
 正直言って、会いたくなかった。
 思わず顔を鞄で隠すが時すでに遅し。
 彼は同じクラスのヤンキーポエマーと密かに囁かれている男だ。
 ずいぶんと痛いあだ名だが、彼は個性的でケンカが強い不良と認識されている。
見た目を含め、そのカリスマ性は充分だ。
「私の名前を覚えてもいないのによく声をかけてきたよね」
「人知れず、白い箱の中で孤独にさいなまれている同級生。己が手をさしのべるが拒否される」
 この男、無意識にポエムを口ずさむ。
「簡単にいえば、同級生であり、なんとなーく、顔を見たことがあるやつが総合病院にいたら、声くらいかけたくなるのが人情だろう」
 彼はつまりこれを言いたかったらしい。
ここは都会の真ん中にある大きな総合病院。
 大きな病気をした人や個人病院からの紹介患者が多数を占める。
 入院病棟も充実しており、手術をする人は、たいていこの病院を紹介される。  
 診療科も多く、この街の最後の砦だ。
 ここにいると、若者や学生は珍しいから目立つのかもしれない。
 でも、こんなところで知りあいに会うとは思わなかった。
 どうしてここにいるのかと聞くと、逆に私のことについて聞かれるかもしれない。でも、自分のことを話したくない。ここは選択肢として沈黙しかないと思う。
「今日は母親の検査結果の説明があって病院に来たんだ。まさかあんたに会うとは」 
「あんたじゃなくて、私の名前は美山(みやま)綾(あや)」
「あぁ、ビューティーマウンテンと書く美山さんか」
 思い出したように呟く。
 名前を知っているかどうか程度のクラスメイトの上条(かみじょう)君。
 軽い感じなのは、いかにもこの男らしい見た目から想像はできる。
 茶髪にところどころ赤いメッシュを入れた髪の毛はいかにも世間に牙をむいている かのような雰囲気だ。
 意外にもこの絶滅危惧種は何も詮索してこなかった。
 こんなところにいるということは、何かしらの病気だろうという想像は容易だからだろうか。学校を休んでいるということは、お見舞いとかそういう類(たぐい)のものではないと思っていたのかもしれない。
 上条君が長椅子の隣に座る。一息ついて、発した言葉は――。
「最高の死に方って何だと思う?」
「え……?」
 きっと病名を聞かれるのだと待ちかまえていた私は、思わぬ問いかけに言葉が止まってしまう。
「俺、こう見えて幼少期は結構入院していた経験があるし、母親は近々手術予定でさ。この病院とは深い縁があるんだよな」
 いつも授業に遅れてくる遅刻魔。ただの不良でただのサボり魔だと思っていた。この言葉を聞いて、目の前の人間に対する気持ちが百八十度変わった。
「お母さん、病気なんだ……」
 とっさに出た言葉がこれとは、なんと気が利かない人間なのだろう。
 きっと深い事情があるのだろう。でも、聞いていいものなのか戸惑う。
「ちなみに母親は乳がんを患(わずら)っているんだ。初期だから不幸中の幸いだけれど、外科手術が必要だからな。手術後も放射線治療とかホルモン療法とかあってさ。時間も金もかかるらしい。仕事との両立は厳しいかもしれないな」
「そっか……」
 それ以上何も言葉は出てこない。
 私の語彙力が人並み以下だということを思い知らされる。
「今まで何人かに聞いたことがあるんだけどさ。最高の死に方って眠るように死ぬことだと言った人もいた。ある人は、自宅で家族に囲まれて死ぬことだと言っていたな。でも、俺はどうにもピンと来なくてさ」
「どうして? 無難な答えだと思うよ。痛みを感じずに暖かい場所で、人の温かみを感じて死ぬことが最高じゃないの?」
「家族に囲まれて死ぬってことは、悲しむ家族がいるってことなんだよな。もし、まだ子供なら、悲しむ親がいるだろうし。それが高齢者だとしても、孫や子供が悲しむかもしれない。だから、孤独死って最高なんじゃないかって最近思うんだ。でも、近所の人とか大家さんに迷惑をかけるかもしれないから、最高とは言えないかもしれないな。だから、まだ解答は出ていない」
「そんなに難しいことを考えていたなんて意外」
「俺のことを馬鹿にしてるのか」
 この人、見た目と違って実は結構深い考え方をする人なのかも。
 むやみに詮索してこない程よい距離を保っているし、案外いろいろ考えている。
 つまり、自分以外の誰かのために、最高の死に方について考えているのだろう。
「私の最高の死に方は、苦痛がなく、迷惑をかけない死に方かな。拷問されて死ぬのは嫌だし、病気だと苦痛が伴うだろうし、事故も痛いだろうから最高とは言えない。事故に遭った死体を誰かが拾うのでしょ。拾う人は、気持ちがいいものじゃないよね」
「最高の死に方としては、最高齢くらい長生きしてギネスに載って死ぬってのもありかな。周囲も納得の年齢だから、そこまで悲しまないかもしれない。それに、長生きしただけで記録を残せるのも悪くはない」
 ひとり納得する彼は意外と話しやすい。
「長生きって案外難しいんだよ。どんなに努力しても生まれながらの健康体には、一般人は太刀打ちできないと思うし」
「確かにな。だから、俺は煙草(たばこ)と酒はやらない主義だな」
「まだ未成年だから、やるべきじゃないでしょ」
「黄昏時に一本の煙草と缶コーヒー。紅に染まった美しい空。思いとどまり、花火に火を灯す。なんてな」
 ヤンキーポエマーと言われているだけあって、やたらポエムを会話に挟んでくる。少し話してみると、案外面白い人なのかもしれないと思う。
 そして、思わぬところで議論が白熱していることに驚く。
 元々、学校には病院へ行ってから登校すると伝えているので、急いで行く必要もない。
「今から学校には行かないの? 私は早く終わったら学校に行こうと思っていたんだけどね」
 診察も終わり、会計も済んでいたので、どこの科を受診したのかも知られないで 済んだことに安堵(あんど)する。この男は、私の病気に対して一切聞いてこない。気を遣っているのか興味がないのか微妙なところだ。
 なにせ、今日が初会話のクラスメイト。
 距離があって当然だ。
 ましてや私は不良でも何でもない。
「美山さんは本当に真面目だな。秋晴れってさぁ。なんか気持ちいいよな。空が高いんだよ。空気は澄んでいて、気温もちょうどいい。俺はこの季節が一番快適で好きなんだよ。天気がこんなにいいのに、本気で学校に行く気なのか?」
 建物を出ると大きな病院内の公園がある。
 都心部にもかかわらず、緑が多い。
 都会の喧騒(けんそう)も車の排気ガスも騒音も、全て生い茂る木々がかき消してくれる。
「せっかくだから、もう少し病院内の公園のベンチで話をしていたいかな」
「俺、今日は授業バックレる予定だったけどな。秋空の下で真紅に染まる木々を見て、友情を育み黄昏る」
 ポエムを一言添える。
「ヤンキーポエマーらしいね」
「世間が俺をヤンキ―ポエマーって呼んでいるのは知っているけれど、痛いあだ名がついたもんだよな。ケンカの前に一言ポエム風なことを言ってからボコボコにしていたせいだけどさ」
 この男、あだ名を気にしている様子はない。
 ケンカというのも作り話のように思える。
 クスリと心の中で笑ってしまう。
 世間体とか気にしないから、髪の毛も派手に染めているのだろうか。
 それとも彼なりの自己主張なのかもしれない。
「上条君は家事はやっているの?」
「母親が入院しているから、家事は全部自分でやらなきゃいけないからさ。結構家事は得意になったかもな」
「お母さん、早く良くなって退院できるといいよね」
「でも、乳がん治療の道のりは年単位らしい。最低五年は内服薬のホルモン療法。ホルモン療法も最近は十年が主流になっているらしい。経過観察は十年だって。長いよな。今回は初期だったから、抗がん剤を使用しなくてよさそうだけれど、手術後に検査しなきゃわからないってさ。だから、まだ抗がん剤についてはどうなるか確定ではないんだ」
「十年は長いよね。そして、抗がん剤を使用するとなると大変だよね」
「手術で治る時代になっているけどさ。不健康を抱えたままで生きるっていうのは本人が一番辛いと思う」
 病院内の公園を歩きながら、初めてにもかかわらず、いろいろと会話をする。
 私たちは木漏れ日が注ぐ院内の公園のベンチでたたずむことにした。
 人工芝生は丁寧に手入れがされていて、足元にはクローバーが広がっていた。
 夏とは違う音色の虫の声に変化しつつある秋の初め。
「AYA世代のがんって知ってる?」
 初めて話す相手にこんなことを話す気は本当はゼロだった。
「何となくは、聞いたことはあるな」
 空気が思いの外澄んでいて、授業を受けなくて正解のような気がした。
 少しためてから、彼は言葉を放つ。
「AYA世代のがんっていうのが、十五歳から三十九歳っていうのは知っているよ」
 誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
 程よい距離の知りあい。
 彼氏がいるわけでもないけれど、いたとしても、彼氏や友達にも話したくはない。
 顔見知り程度の人ならば、大して同情することもないだろうし、きっと聞き流してくれる。そんな相手をどこかで探していたのだろう。
「AYA世代って小児に好発する小児がんと成人に好発する成人がんがともに発症する可能性があるらしいの。皮肉なことに私の名前は綾」
「そっかー。でも、十五歳から三十九歳までっていうのもずいぶん幅があるよな」
 しばらく沈黙は続き、時間が過ぎる。
「それ以上聞かないんだね」
「今日初めて話した人にいろいろ話したくないだろ。話したくなったときに話せばいいしさ。どっちにしても聞くことしかできねーし」
 手を頭の後ろに組みながら、ヤンキーポエマーこと上条君はゆっくり歩く。
 歩幅を私にあわせてくれているのだろう。
「病(やまい)なんてめぐりあわせのひとつだと思うんだ。逃れられない場合も多い。どんなに節制しても、気をつけていても、予防できないことは実際、星の数ほどあるだろ」
「星の数って何個なんだろうね。でも、きっとすごくたくさんあるってことだよね。案外、上条君はいい不良なんだね」
 いい不良、という表現は適切なのかはわからないが、そんな言葉しか出てこなかった。
「四十代前半でもがん発症者の中では若いって言われているんだ。だから、十代なんて相当若い部類だろうなって。家族が手術することになって、いろいろ病気について調べて考えた。身体にいい食べ物や健康食品も調べてさ。手術がうまくいくといいけれど……」
「上条君は勉強家なんだね。私、上条君のことを誤解していたかも。通院していることは秘密にしてるんだ。だから、クラスの人たちには言わないでね」
 心地良い間。優しい間が漂う。何も言わないし、聞かない。プライベートゾーンに無理に入り込まない人。
「つーか、俺とお前の友達ってリンクしてないよな」
「言われてみれば、重なってる友達っていないね。私の友達、不良じゃないし」
「不良って案外人情に厚いやつも多いし、俺らは全員煙草も酒もやらねーよ」
「なんで不良なんてやっているの?」
「まぁ、理不尽な世の中に少しでも抵抗してるのかもしれないな。奇抜な格好をしないと自己主張ができないだけなのかもしれないけどさ」
「また、明日の放課後、病院内のカフェに来るね。あそこなら、学校の人に会わないだろうし。お見舞いがあるから、上条君は来るでしょ」
「見舞いがあるから、毎日通うつもりだ」
「じゃあ、最高の死に方について考えておくよ」

 次の日、病院内のカフェで待ち合わせをした。
 病院内のテレビではニュースが流れており、殺人犯Zの特集をしていた。
殺人犯ばかりを狙う殺人犯で、いまだ行方知れず。インパクトがあり、誰もが耳にしたことのある有名な事件だ。
 男子と待ち合わせをしたのは、生まれてこのかた初めてだ。
 不良というくくりで見ていたけれど、案外普通の男子だということに気づかされた。話すことも考えていることも特別悪いことではない。ただ、格好が派手なだけだ。ケンカ三昧というのも噂だったのか、そんな素振りはない。
 上条君と会って、昨日の夜、風呂やベッドに入って考えてみたことについて話す。
「最高の死に方について考えてみたんだ。猫を参考にしてみたんだけどさ。猫は大好きな人がいる前で死なないって聞いたことがあるんだよね。つまり飼い主から離れて家出をするってこと。それって理想的なのかなって思うの。どこかで生きているかもしれないっていう余地が飼い主に現実を突きつけないでしょ」
「美山さん、結構考えてるな。俺の友達なんて、いい女ができたら死んでもいいとか、大金持ちになって死ぬことが最高だとか言ってるからな」
「それも、ひとつなのかもしれないね。人によって価値観は違うのだから。もちろん正解はないと思うけれど。私にとって最高の死に方は、笑って死ぬことかもしれない。たくさんの思い出を胸にしまって笑顔でこの世を去るっていうのが一番だよね」
「そーいえば、美山さんが笑っているのを見たことがない。俺と話していても全く笑わないし、無表情だよな」
「仕方ないでしょ。いろいろあるのよ。それに私の性格上大笑いなんてしないんだから」
「大笑いするまで死ぬんじゃねーぞ。必ず、お前を笑わせてみせるからさ」
 それってどーいう意味?
「とにかく、まだ思い出もなにも俺たちにはないんだから、もっとたくさんの思い出を作らないと死ねないと思うんだ」
「そのとおりだね」
 なんだか、じんわりする言葉だった。
 一生懸命励ましてくれている姿は案外可愛い。
「病院内のカフェで待ち合わせする相手がいないと、俺としては結構困る」
「友達少ないもんね」
 ここはお互い様で苦笑いだ。大笑いとはいかない。
「逆視点だとさ。最高の殺し方ってなんだろうな」
「不謹慎な質問だね。でも、哲学じみていて嫌いじゃない」
「最近話題になったニュースがあるよな。殺人犯Zが最後の事件を起こして、逃亡してから、十五年経ったらしいよな」
「あぁ、そんな事件があったね。殺人犯ばかり狙う殺人犯でしょ。珍しい事件だったし、連続でどんどん残酷な方法で殺す通称Z。子供の頃、特集番組を見たけれど、なんだかとても怖かったな」
「Zっていうのはもう後がないっていう意味らしい。つまりお前の命はここまでだっていうことだよ」
「当時ネットを中心にZ信者もいたよね。Zはヒーローだと称賛する人も多かったけれど、素性は一切不明。殺人方法もあまりにも素早く様々な方法で殺しているから、プロの殺し屋だっていう話だよね」
 沈黙が少しばかり続いた。開口一番に驚きの言葉が耳に入ってきた。
「Zって俺の父親かもしれない」
「なにそれ?」
 突然のカミングアウトだが、きっと冗談だろう。
「母親が言っていたんだ。お前はZがこの世に遺した子供だと」
「それ、本当なの?」
「写真も見たことあるけれど、普通の人だったよ。俺と目鼻立ちは似ていたかな」
「殺人犯って意外と普通だっていうよね。アニメのようないかにもっていう人は現実にはいないって。でも、今も生きているの? 海外逃亡説か自殺説が有力らしいけれど、それって本当なのかな」
「Zは最後にやり遂げたかった殺人を終えて、Zという活動を終了したと母親は言っていた。彼は正義を貫いただけ。見方によっては悪かもしれないけれど、彼は正義だって。今でも母親はZを愛している。だから、二人を会わせてあげたいんだけれど、警察が指名手配しても見つからない人間を探せないよな。母親は絶対にあの人は生きてるって言っているけれど、世間から隠れてしまった男に会うなんて夢のまた夢だ。捨てられたことに気づいてないんだよ」
「でも、Zだとばれてないなら、普通の生活だって可能じゃない?」
「でも、慎重なZは絶対に俺たちの前には現れないと思うな。実際、会った記憶は幼少期にはあるんだ。でも、本当にZだったのかなんて調べようもないしな」
「Zは痕跡を事件現場に残さない主義らしいからね。海外で殺し屋に訓練を受けたとか、いろいろな憶測が生まれたよね。カリスマ性がすごいよね。最高の殺し方についていえば、Zのやり方って私は嫌いじゃない。法で裁けないものを裁く。悪は悪で制裁するっていいと思う」
「じゃあ、最高の殺され方って何だろうな」
「そうだなぁ……この人に殺されてもいいっていうことなのかもしれないね」
「母親はZに殺されてもいいくらい愛してるから、あながち間違ってないかもしれないな。Zは女はひとりと決めたら浮気する人じゃなかったって言ってたな。でも、事情が事情で未婚の母ってことらしい」
 カフェでコーヒーを飲んだあと、公園内を散歩する。
私たちは赤く染まった木々の中を歩き出す。
 真紅の紅葉(もみじ)はとても美しく、終わりを迎えるからこそ美しくありたいと願う人の姿を紅葉(こうよう)に重ねると、とても理想的だ。
 よそ見をしていると、トレンチコートを着た背の高い細めな体型の男性とすれ違う。モデルのように脚が長い。
 男性は何も言わずに行ってしまった。
「あれ? この紙切れ、いつの間にかポケットに入ってる」
 上条君のポケットに入っていたのは一枚の紙切れだった。
 遠くまで見渡すも、先程のトレンチコートの男はいない。
 横を見ると、上条君はトレンチコートの男を追って走っていったが、見失ったらしい。
「母親の病室に行ってみる」
 しばらく待っていると、上条君が戻ってきた。息があがっている。
「やっぱり、父親が来たらしい。すれ違った瞬間、Zだとピンと来たんだよ」
「そうなの? その紙切れになんて書いてある?」
「He Shore Flower  親愛なる妻と息子へ」
 朱色の手書きで書かれたシンプルな文字だ。
「英語を日本語に訳すと、彼、岸、花だよね」
 スマホで検索する。
「赤の彼岸花の花言葉は『情熱』『思うのはあなたひとり』。毒のあるこの植物を食べたあとには死しかない、ということに名前が由来するという説もあるらしい。死しかないなんてZらしいじゃないか」
 スマホを見つめて説明してくれる上条君。
 どういう意味だか理解するのに時間がかかる。
「彼岸花は赤のイメージが強い。だからあえて、朱色で書いたのかもしれない。赤い彼岸花の花言葉にかけて、今でも妻子を思い続けているっていうメッセージなのかもしれないな。逃亡犯だから、なるべく痕跡を残さないように、花言葉を暗号にして気持ちを伝えたのだろう。母親が手術をすることを知って会いに来たのかもしれない」
「Zに対する印象がすごく変わったよ。今でも、入籍こそしていないけれど、二人は思いあっている夫婦なんだね。そして、彼なりの正義があったんだね。それは決して許されることじゃないけれど、もし、身内が誘拐犯に殺されて、Zがその誘拐犯を殺してくれたとしたら――視点を変えたら彼はきっと英雄になると思う」
 そんなセリフが私から出るとは思いもしなかった。
「彼岸花に例えた愛情は美しい家族の永遠の形となる。たとえ紙切れ一枚だとしても」
 上条君のポエムは相変わらずだ。
「最高の死に方って選べないと思う。でも、もし選べるのなら、好きな人間を思いながら死にたいな」
 結論はこれだと思った。いろいろ考えた結果、たどり着いた答えだ。
「そんな相手、見つかるのか?」
「案外近くにいるのかもしれないよ。灯台下暗しっていうし」 
「大切な人は灯台下暗し。気づいたら共に過ごす時間が増えていく。そんな時間が愛しくなっている」
 見上げると上条君と目があう。
「Zの息子ってことは美山さんにしか言ってない。Zは指名手配犯だけれど、俺はもっと彼の本質を知りたいと思った。Zのやったことは許されないことだ。俺自身、父親の存在と向きあうのが怖くて、誰も逆らえないようにこんなド派手な格好でカモフラージュしていたのかもしれない」
 結局、病気について上条君は詮索してこないし、話せてはいない。
 今度花言葉で思いを伝えたい。そんな気持ちになった。
 通院していなかったら、話をすることもなかった。
 初めて病気に感謝する。
「人生、明日何があるかわからない。だから、最高の生き方を求めないとね」
 私の最高の生き方の結論だ。
 自然と笑顔になる。
「あっ、綾が笑った!」
 下の名前で呼ばれるとくすぐったい。
 私、案外笑えるんだ。
 どんなに不幸だとしても、持病があっても、今、笑えている。
 寄り添ってくれる人がいるからかな。
 私たちの関係は始まったばかりだ。
 最高の死に方、最高の殺し方、最高の殺され方、最高の生き方。
 これって案外紙一重なのかもしれない。