今日も今日とて、いつも通り仕事をしていると、突然陛下に執務室に呼び出された。そして、私を前に、陛下はとんでもないことを申し付けたのである。
告げられた内容に追いつかず、私は呆けた顔で陛下と柏葉さんを交互に見た。
陛下から告げられたお言葉は、
「――功績を称え、黎暁明に吕雹華を下賜することとする」である。
二人とも、にこにこと涼やかな笑顔を浮かべている。
下賜?
「ちょちょ、あの、意味が分からないのですが?」
これ以上ないほどの笑顔の陛下と柏葉さん。そして、その正面には開いた口が塞がらない私。
執務室は、混沌に包まれている。
「そなた、科挙に合格したこの国有数の人間だろう。そんなそなたが、なにが分からないというんだ?」
「いや、全面的に意味が!」
吕雹華妃は後宮の上級妃だ。上級妃の下賜なんて聞いたことがない。しかも、雹華妃は暁明が仕える妃でもある。妃がいなくなったら、暁明……じゃなかった、私、雪玲はどうなるのだ。
「そなたは異例の大出世を遂げた、これまでにないほど優秀な文官だ。なんの問題もないではないか」
「ありますあります。問題大ありです。そもそも私はなんの功績も上げていませんし、陛下が勝手に私を優秀な文官に仕立て上げただけでしょう」
「まあ、聞け」
「聞いていられるか!」
陛下に手で制されるが、落ち着いてはいられない。思わず食ってかかると、柏葉さんが笑顔で私の両肩を掴む。
「まあまあ、暁明。陛下に暴言はいけませんよ」
笑顔が恐ろしく黒い。
「失礼いたしました……」
柏葉さんになだめられ、私はふーっと息を吐き、陛下を見る。
「私は今から、雹華妃にそのことを告げに行く」
「なっ……」
口を開こうとすると、柏葉さんに手で口を塞がれる。
「むぐっ!」
「黙ってお聞きなさいね」
「安心しろ。今回はそなたも連れていく。下賜までにいろいろと支度をしてもらう必要があるからな。分かったか」
私は柏葉さんの手をどけると「分かりませんってば!」と、強く返す。
強引にも程がある。これならば、殺された方がどれだけましか。
「陛下。空いた貴妃の件も話しませんと」と、柏葉さんが陛下に耳打ちをする。漏れ聞こえた内容に、私はハッとする。
「そうですよ! 雹華妃は宰相のご長女ですよ。下賜なんてしたら……」
というかそもそも、二人は良い仲だったのではないか。
「それについては問題ない」
「問題ない?」
「まずは、雹華妃の話をすることにしよう」
私は眉を寄せ、陛下を見やる。
「雹華妃と私は、昔馴染みなんだ」
「なんと」
「雹華妃は、幼い頃から男が苦手だった。だから、彼女の希望で男のいない後宮に入れたのだ。建前上は、私の妃として」
「……では、陛下と雹華妃は……」
「ただの昔馴染み。それ以上でも、それ以下でもない」
つまり、好きでもない男の子を産むくらいなら、乙女で貫き通したいということか。潔癖で繊細な彼女らしい。
「なるほど……でも、それならなおのこと、雹華妃は結婚だなんて嫌がるのでは? それともなんです? 私が実は女だからとか言いませんよね?」
目の前の人物が天上の人であることを忘れ、私は睨むように陛下を見つめた。
「言っただろう。雹華妃は、私が行くといつも雪玲という侍女の話ばかりすると」
雪玲……は、私だ。だが、今の後宮の雪玲は、私ではない。入れ替わっている弟、暁明だ。
「そ、それは……つまり」
冷や汗が、たらりと背筋を辿った。
ようやく合点がいく。つまり、雹華妃は恋をしたのか。私に成り代わった暁明に。
「……雹華妃は、雪玲の正体をご存知なのですか?」
もし、暁明を女として好いているならば、それはそれで裏切っているようなものである。
おずおずと尋ねると、陛下はこっくりと頷いた。
「あぁ。知っている」
陛下が教えたのか、暁明が打ち明けたのかは分からないが。とにかく、暁明と雹華妃は恋仲にあるらしい。
「で、でもでも、たとえ雹華妃が承諾したとしても、吕宰相は納得しないのでは?」
「いや。元々宰相は雹華妃の事情を知っている。問題ない」
「ですが、後宮での問題がまだあります。貴妃がいなくなったらどうするんですか。貴妃は後宮内の秩序を取り仕切る大変重要な妃です」
「だから、いるではないか。最も貴妃に相応しい候補者が」
「誰です?」
そんな人物いただろうか。後宮事情に詳しくない私には、まるで検討もつかない。
ぐるぐると考えていると、不意に陛下がにやりと笑った。なんだか、嫌な予感がする。
そして、陛下は言った。
「次の貴妃は、雪玲だ」
「…………は?」
雪玲?
「雪玲はなんといっても、私の側近である暁明の姉君だ。それに、吕宰相とも親戚になる。教養もあるし、なんの問題もない」
開いた口が塞がらない。
「というわけで、新しい貴妃として、雪玲を迎えることにする」
陛下はなんの冗談か、そんなことを言った。
雪玲とは、私だ。でも私は今暁明で、文官だ。男だ。あれ? なんか混乱してきた。つまり、暁明が陛下と結婚するの? いや、違う。暁明は愛する雹華妃と結婚して、雪玲が陛下の妃になるのだ。そしてその雪玲というのは、私……。
「どうした? 暁明?」
「…………」
「……陛下、おそらく暁明は、衝撃のあまり目を見開いたまま気絶しております」
「……私の寝台で、しばらく寝かせてやれ」
「かしこまりました」