お久しぶりです。

 中国に行ったのかも、まだ中国にいるのかも分かりませんが、とりあえず中国宛に手紙を書かせてもらいます。前に言っていたように、なんか垂れてきた蜘蛛の糸にノリで捕まり、糸が切れて勢いで地獄まで行ってしまったのなら、別の糸に捕まって中国まで戻ってきてください。あれから『蜘蛛の糸』を読みましたが、人を殺して家に火をつけても蜘蛛一匹助けただけでお釈迦様に糸を垂らしもらえるようなので、数えきれないぐらい垂れているんだろうなと勝手に思っています。

 小笠原先輩が中国に行ってから、現世では長い時が経ちました。船井先輩も長野先輩も安木先輩もわたしも職に就いたので、何をやっているか軽く語らせて下さい。あと俊樹くんも就職したみたいですが、お盆に実家に帰っているなら知っているでしょうし、そこは省きます。ロクに帰ってなさそうな気もしますけど、それはシンプルに小笠原先輩のせいなので、気になるなら帰ってあげてください。

 船井先輩は公務員になりました。浄水場で水質管理の仕事をしているそうです。わたしは堅実な船井先輩らしくていいと思ったので、公務員になったと聞いた時に誉め言葉のつもりで「船井先輩らしいですね」と言いました。そうしたら「面白味が無くてごめんね……」と落ち込まれました。理不尽ですよね。そんなことに負い目を感じるなら、面白い仕事に就けばいいのに。

 長野先輩は弁護士になりました。今は弁護士事務所に雇われて働いていますが、将来は自分の事務所を設立したいと思っていて、そのために資金と人脈と実績を積み上げているそうです。ちなみに事務所に持ち込まれる仕事はインターネット上のトラブル解決が多いらしく、わたしも「ムカつくやつがいたら追い込むから相談して」と言われました。弁護士というより、ヤクザみたいだと思ってしまいました。

 安木先輩は大学に残って研究者の道を歩んでいます。何かの菌の研究をしているそうですが、やっていることの複雑さと安木先輩の説明の回りくどさで何も分かりませんでした。とりあえず人を救うための研究ではあるようですが、一歩間違えると世界を滅ぼす可能性もあるそうです。そうなったらさすがに地獄行きでしょうから、小笠原先輩が助けてあげて下さい。

 わたしは、小学校の先生になりました。

 ちびっ子たちはみんな、自由で、ワガママで、手に負えない――なんてことはありませんでした。もちろん中にはそういう子もいますけど、こっちが不安になるぐらい大人しい子もたくさんいます。激しい子でも小笠原先輩ぐらいです。わたしは小笠原先輩のおかげで耐性がついていたので、最初からそれなりに上手くあしらうことが出来ました。ありがとうございます。

 ただ逆に、元気のない子や引っ込み思案な子の対処は苦労しました。そういう子への対応が上手い、わたしと同じ年ぐらいの先生が同僚にいたので、その人にアドバイスを貰ったりしていました。その人は小笠原先輩と船井先輩を足して二で割ったような男の人で、アクティブに他人を振り回すタイプではあるけれど、根っこはちゃんと常識人でした。小笠原先輩が生き続けていたら、こういう社会人になったのかもしれない。話していてそう思いました。

 告白をされたのは、先生になって二年目の夏でした。

 わたしは驚きませんでした。大人の告白って、確認ですよね。お互いがお互いをどう思っているかうっすら分かっていて、間違いありませんよねと確認する行為。だからわたしはその人の想いを理解していて、その人もわたしの想いをきっと理解していました。惹かれていることを、見透かされていました。

 それでも、お互いに好きなら付き合いましょうという気分にはなれなくて、わたしは煮え切らない返事をしました。そしてその理由を話しました。小笠原先輩と付き合って、結婚して、同棲して、死別したこと。小笠原先輩は自分がいなくなった後、自分のことは忘れて前に進んで欲しいと思っていたこと。だけど忘れられなくて、結局は小笠原先輩の懸念通りになってしまっていること。全部、話しました。

 そうしたらその人は、忘れないでいいと言ってくれました。

 忘れないで、進めばいい。進んでいるうちに忘れてしまうかもしれないし、どこまでも進んでも覚えているかもしれない。でも、どちらにせよ、進んでいることには変わりはない。それが一番大事なんじゃないかなと語ってくれました。わたしは気持ちがすごく楽になりました。忘れて進むことに捉われていたわたしに、忘れないで進むという道を示してくれた。それならばと踏み出す気力が起きました。

 わたしの周りにはまだ、小笠原先輩の生きていた痕跡があちこちに残っています。

 誕生日プレゼントの指輪は玩具の宝箱と一緒にしまってあります。ゴールデンバニーのサボ太郎は実家ですくすくと育っています。そもそも、わたしが今こうしていること自体が、小笠原先輩の遺してくれたものです。小笠原先輩の生き様に触れて、ふにゃふにゃだったわたしに芯が通ったからこそ、わたしは人を導く先生をちゃんとやれているのだと思います。

 だからわたしはこれからも、小笠原先輩のことを永遠に忘れないでしょう。でも前に進むため、きちんと区切りはつけたいと思います。宝物を愛でるように思い出を眺めることはあっても、今もそこにいるように思い出に話しかけることはない。そういうのはこの手紙で最後にします。

 最後に何を言うべきか、たくさん考えました。山ほどの言葉が頭の中に浮かびました。その中から三つだけ、残します。ちゃらんぽらんでテキトーでゆるゆるな小笠原先輩が、いつか中国から再び現世に旅立つその時まで覚えておけるよう、選びに選んだ三つです。絶対に忘れないでください。わたしは忘れません。忘れないまま、前に進みます。

 ありがとう。

 さようなら。

 また、来世。