水平線の向こうに、おびただしい量の星たちが輝いています。
流れ星がひらりと夜空を舞いました。あまりにも一瞬の出来事で、消える前に三回も願いごとをする難しさをしみじみと感じます。こんな無茶をしないと聞いてくれない神さまに頼むぐらいなら、自力で頑張った方がいい。あれはそういう意味の迷信なのかもしれません。
「できた!」
砂浜に屈み、厚紙とろうそくで燭台を作っていた船井先輩が声を上げました。長野先輩がさっそく花火セットの袋からススキ花火を一本抜き取り、その先端をろうそくの火に近づけます。数秒後、黄色い火花が勢いよく飛び散り、長野先輩がはしゃぎながら船井先輩を呼びました。
「船井! 早く! 次!」
「ちょっと待てって!」
船井先輩が別の花火を手に取り、長野先輩の花火に近づけます。すぐに火が移って船井先輩の花火からも光の洪水があふれ出しました。わたしも安木先輩もそれぞれ花火を持って火を分けてもらい、海岸がにわかに明るくなります。
「花火って、ただ派手で綺麗ってだけで何の意味もないのに、なんかテンション上がるからすごいよな」
「派手で綺麗なら意味はあるでしょ。安木みたいなこと言うね」
「言わないよ。僕にだって好きな食べ物ぐらいはあるから」
「……どういうこと?」
「美味しいものを食べることに意味があるなら、楽しいことをするのにだって意味があるはずだ。そして僕は美味しいものを食べたいという気持ちで美味しいものを食べることがある。じゃあ楽しいことをするのを意味がないとは言えないよ」
先輩たちの会話を聞きながら、わたしは花火を暗い海の方に向けてみます。するとコートのポケットに手を入れて、波打ち際に佇んでいるベロニカさんの姿が目に入りました。わたしは消えた花火を水の入ったバケツの中に刺し、ベロニカさんに歩み寄って声をかけます。
「花火、やらないんですか?」
ベロニカさんが振り向き、首を小さく横に振りました。
「あの子が花火をして欲しいのは、あなたたちだから」
「小笠原先輩がそう言ってたんですか?」
「はっきりとは言ってないわね」
「じゃあ、分からないじゃないですか。ベロニカさんだって小笠原先輩の大事な人だったんだから、一緒に楽しんで欲しいかもしれませんよ」
「……そうかもね」
ベロニカさんがまた海の方を向きました。わたしもベロニカさんの左隣に立って同じ方角を見やります。空には光の粉を散りばめたような星々が輝いているのに、海にはひたすら深い闇が続いていて、眺めていると飲み込まれそうになります。
「さっき、何を言いかけたの?」
波音の隙間から、ベロニカさんの声が届きました。
「聞きたいこと、あったんでしょう。言うだけ言ってみたら? 本当に遺品のパソコンを勝手に覗くような下世話な質問だったら、私は答えないから」
――バレていました。わたしは大きく息を吸い、潮の匂いがする空気で肺を満たします。
「小笠原先輩が、わたしと出会ったことを全く後悔していなかったか、聞きたいなって思いました」
口を閉じます。ベロニカさんは動きません。「まだあるでしょう」と言いたげな態度を前にして、わたしは再び口を開きます。
「ベロニカさんもご存じの通り、わたしたちは色々な試練を受けてからここに来ています。そしてそれがめちゃくちゃで楽しかった。ベロニカさんと会ってからも、タコスパーティをしたり、メキシコのゲームをしたり、海岸で花火をしたり、すごく楽しいです。小笠原先輩は本当にわたしたちを楽しませたいんだろうなって思います。でも――」
自分の考えたゲームをみんなに楽しんでもらいたかった。小笠原先輩は一体何をしたいのかと長野先輩に聞かれて、わたしはそう答えました。ただ、あの時に言わなかったことが一つあります。
「小笠原先輩も、一緒に楽しみたかっただろうなとも思います」
小笠原先輩は好きそう。小笠原先輩は喜びそう。そう感じる瞬間が今日はたくさんありました。安木先輩や長野先輩は小笠原先輩が好きそうな流れを作るため、自分の推測をあえて黙ったりもしていました。でも、どれほど小笠原先輩が好きそうな展開を作っても、小笠原先輩はもういない。いないのです。
「今日会った人たちはみんな、小笠原先輩はわたしたちと一緒にいて楽しかったはずだと言ってくれました。わたしもそうだと信じています。でもそれは残酷だとも思います。楽しければ楽しいほど、もっと生きたくなってしまうから」
花火を続けている先輩たちを見やります。船井先輩と長野先輩は笑顔、安木先輩は無表情ですが口は動いています。試練の下準備をしている時、小笠原先輩がこういう光景を想像しなかったとは思えません。そして想像すればきっと、自分もこの場にいたいと考えてしまう。
「それに気づいた時、わたしの存在は小笠原先輩にとってプラスだったのかなって思ったんです。人生が終わりかけている中で一生を共にしたい相手と出会うことは、本当に幸せなのかなって。だからもし、小笠原先輩がベロニカさんにそういうことを話していたなら、聞きたいと思いました。だけど聞いてもどうしようもないし、何より先輩たちには『出会わない方が良かったんじゃないか』なんて思って欲しくない。だから、あの場では黙りました」
今度こそ、全てを語りました。わたしは口をつぐみます。海風がベロニカさんの髪がふわりと巻き上げ、整った横顔がよく見えるようになります。
「あの子からは、聞いていないわ」
あの子からは。一呼吸置いて、ベロニカさんが語りを続けます。
「でも、あの子のお母さんからは聞いたことがある。今のあなたと同じことを私も考えて、彼女に言ってしまったの。私の存在がこの世への未練になるなら、出会わない方が良かったのかもねって。彼女から『そんなことない』と言ってもらいたい。不安を取り除いてもらいたい。そんな身勝手な気持ちを押し付けた」
ベロニカさんの目尻が大きく下がりました。悔やむ気持ちも、それでも言ってしまった気持ちも分かります。わたしも小笠原先輩が生きている間に気づいたら、きっと同じことを聞いてしまったでしょう。
「でも彼女は否定しなかった。むしろ『そうかもね』と肯定したわ。出会わない方が良かった可能性はある。でも私たちは出会ってしまった。だったら出来る限り楽しんだ方がいいじゃないって言って、笑っていた」
ベロニカさんが目を細めました。そしてわたしに向かって語りかけます。
「あの子もきっと、同じことを言うんじゃないかしら」
――言うでしょう。あったかもしれない世界に想いを馳せるより、今ここにある世界を存分に楽しむ。その姿勢はとても小笠原先輩らしいです。例えそれが、自分を消し去ろうとする世界だとしても。
「そうですね」
ベロニカさんの表情がほんの少し翳りを帯びました。自分は出来る限り楽しめばそれでいいけど、遺されるわたしたちの気持ちも考えて欲しいわよね。視線でそう語りかけながら、口では違う言葉をかけてきます。
「目をつむって」
意味が分かりません。でも目をつむります。まぶたを下ろして、星や月の灯りもない本当の暗闇を作り出します。
「あの子の姿を想像して」
想像します。髪を薄い茶色に染めていて、袖の長いゆるゆるな服を着ていて、なんか眠そうな目をしていて――
「どんな顔をしてる?」
わたしは、迷うことなく、はっきりと答えました。
「笑っています」
もうちょっと分かりやすく喋れよ!
船井先輩の大声が、風に乗ってわたしの耳に届きました。安木先輩へのツッコミでしょう。今さら、それ言うんだ。おかしくなって含み笑いを浮かべてしまいます。
「目を開けて」
目を開けます。ベロニカさんが海の方を向き、さっきのわたしと同じようにまぶたを下ろしました。全身で海風を受けながら、透き通った声で語ります。
「みんなの思い出に笑顔で残りたい。あの子のお母さんはそう言っていたわ。そしてわたしが彼女のことを思い返す時、彼女はいつも笑っている」
ベロニカさんのまぶたが上がりました。水平線の向こうに輝く星空の、そのまたさらに向こうを見つめる目をして、噛みしめるように呟きます。
「素敵よね」
はい。声に出さずそう答え、わたしも夜の海を眺めます。遠くの空でまた一つ、流れ星が音もなく瞬き、幻のように消えていました。
流れ星がひらりと夜空を舞いました。あまりにも一瞬の出来事で、消える前に三回も願いごとをする難しさをしみじみと感じます。こんな無茶をしないと聞いてくれない神さまに頼むぐらいなら、自力で頑張った方がいい。あれはそういう意味の迷信なのかもしれません。
「できた!」
砂浜に屈み、厚紙とろうそくで燭台を作っていた船井先輩が声を上げました。長野先輩がさっそく花火セットの袋からススキ花火を一本抜き取り、その先端をろうそくの火に近づけます。数秒後、黄色い火花が勢いよく飛び散り、長野先輩がはしゃぎながら船井先輩を呼びました。
「船井! 早く! 次!」
「ちょっと待てって!」
船井先輩が別の花火を手に取り、長野先輩の花火に近づけます。すぐに火が移って船井先輩の花火からも光の洪水があふれ出しました。わたしも安木先輩もそれぞれ花火を持って火を分けてもらい、海岸がにわかに明るくなります。
「花火って、ただ派手で綺麗ってだけで何の意味もないのに、なんかテンション上がるからすごいよな」
「派手で綺麗なら意味はあるでしょ。安木みたいなこと言うね」
「言わないよ。僕にだって好きな食べ物ぐらいはあるから」
「……どういうこと?」
「美味しいものを食べることに意味があるなら、楽しいことをするのにだって意味があるはずだ。そして僕は美味しいものを食べたいという気持ちで美味しいものを食べることがある。じゃあ楽しいことをするのを意味がないとは言えないよ」
先輩たちの会話を聞きながら、わたしは花火を暗い海の方に向けてみます。するとコートのポケットに手を入れて、波打ち際に佇んでいるベロニカさんの姿が目に入りました。わたしは消えた花火を水の入ったバケツの中に刺し、ベロニカさんに歩み寄って声をかけます。
「花火、やらないんですか?」
ベロニカさんが振り向き、首を小さく横に振りました。
「あの子が花火をして欲しいのは、あなたたちだから」
「小笠原先輩がそう言ってたんですか?」
「はっきりとは言ってないわね」
「じゃあ、分からないじゃないですか。ベロニカさんだって小笠原先輩の大事な人だったんだから、一緒に楽しんで欲しいかもしれませんよ」
「……そうかもね」
ベロニカさんがまた海の方を向きました。わたしもベロニカさんの左隣に立って同じ方角を見やります。空には光の粉を散りばめたような星々が輝いているのに、海にはひたすら深い闇が続いていて、眺めていると飲み込まれそうになります。
「さっき、何を言いかけたの?」
波音の隙間から、ベロニカさんの声が届きました。
「聞きたいこと、あったんでしょう。言うだけ言ってみたら? 本当に遺品のパソコンを勝手に覗くような下世話な質問だったら、私は答えないから」
――バレていました。わたしは大きく息を吸い、潮の匂いがする空気で肺を満たします。
「小笠原先輩が、わたしと出会ったことを全く後悔していなかったか、聞きたいなって思いました」
口を閉じます。ベロニカさんは動きません。「まだあるでしょう」と言いたげな態度を前にして、わたしは再び口を開きます。
「ベロニカさんもご存じの通り、わたしたちは色々な試練を受けてからここに来ています。そしてそれがめちゃくちゃで楽しかった。ベロニカさんと会ってからも、タコスパーティをしたり、メキシコのゲームをしたり、海岸で花火をしたり、すごく楽しいです。小笠原先輩は本当にわたしたちを楽しませたいんだろうなって思います。でも――」
自分の考えたゲームをみんなに楽しんでもらいたかった。小笠原先輩は一体何をしたいのかと長野先輩に聞かれて、わたしはそう答えました。ただ、あの時に言わなかったことが一つあります。
「小笠原先輩も、一緒に楽しみたかっただろうなとも思います」
小笠原先輩は好きそう。小笠原先輩は喜びそう。そう感じる瞬間が今日はたくさんありました。安木先輩や長野先輩は小笠原先輩が好きそうな流れを作るため、自分の推測をあえて黙ったりもしていました。でも、どれほど小笠原先輩が好きそうな展開を作っても、小笠原先輩はもういない。いないのです。
「今日会った人たちはみんな、小笠原先輩はわたしたちと一緒にいて楽しかったはずだと言ってくれました。わたしもそうだと信じています。でもそれは残酷だとも思います。楽しければ楽しいほど、もっと生きたくなってしまうから」
花火を続けている先輩たちを見やります。船井先輩と長野先輩は笑顔、安木先輩は無表情ですが口は動いています。試練の下準備をしている時、小笠原先輩がこういう光景を想像しなかったとは思えません。そして想像すればきっと、自分もこの場にいたいと考えてしまう。
「それに気づいた時、わたしの存在は小笠原先輩にとってプラスだったのかなって思ったんです。人生が終わりかけている中で一生を共にしたい相手と出会うことは、本当に幸せなのかなって。だからもし、小笠原先輩がベロニカさんにそういうことを話していたなら、聞きたいと思いました。だけど聞いてもどうしようもないし、何より先輩たちには『出会わない方が良かったんじゃないか』なんて思って欲しくない。だから、あの場では黙りました」
今度こそ、全てを語りました。わたしは口をつぐみます。海風がベロニカさんの髪がふわりと巻き上げ、整った横顔がよく見えるようになります。
「あの子からは、聞いていないわ」
あの子からは。一呼吸置いて、ベロニカさんが語りを続けます。
「でも、あの子のお母さんからは聞いたことがある。今のあなたと同じことを私も考えて、彼女に言ってしまったの。私の存在がこの世への未練になるなら、出会わない方が良かったのかもねって。彼女から『そんなことない』と言ってもらいたい。不安を取り除いてもらいたい。そんな身勝手な気持ちを押し付けた」
ベロニカさんの目尻が大きく下がりました。悔やむ気持ちも、それでも言ってしまった気持ちも分かります。わたしも小笠原先輩が生きている間に気づいたら、きっと同じことを聞いてしまったでしょう。
「でも彼女は否定しなかった。むしろ『そうかもね』と肯定したわ。出会わない方が良かった可能性はある。でも私たちは出会ってしまった。だったら出来る限り楽しんだ方がいいじゃないって言って、笑っていた」
ベロニカさんが目を細めました。そしてわたしに向かって語りかけます。
「あの子もきっと、同じことを言うんじゃないかしら」
――言うでしょう。あったかもしれない世界に想いを馳せるより、今ここにある世界を存分に楽しむ。その姿勢はとても小笠原先輩らしいです。例えそれが、自分を消し去ろうとする世界だとしても。
「そうですね」
ベロニカさんの表情がほんの少し翳りを帯びました。自分は出来る限り楽しめばそれでいいけど、遺されるわたしたちの気持ちも考えて欲しいわよね。視線でそう語りかけながら、口では違う言葉をかけてきます。
「目をつむって」
意味が分かりません。でも目をつむります。まぶたを下ろして、星や月の灯りもない本当の暗闇を作り出します。
「あの子の姿を想像して」
想像します。髪を薄い茶色に染めていて、袖の長いゆるゆるな服を着ていて、なんか眠そうな目をしていて――
「どんな顔をしてる?」
わたしは、迷うことなく、はっきりと答えました。
「笑っています」
もうちょっと分かりやすく喋れよ!
船井先輩の大声が、風に乗ってわたしの耳に届きました。安木先輩へのツッコミでしょう。今さら、それ言うんだ。おかしくなって含み笑いを浮かべてしまいます。
「目を開けて」
目を開けます。ベロニカさんが海の方を向き、さっきのわたしと同じようにまぶたを下ろしました。全身で海風を受けながら、透き通った声で語ります。
「みんなの思い出に笑顔で残りたい。あの子のお母さんはそう言っていたわ。そしてわたしが彼女のことを思い返す時、彼女はいつも笑っている」
ベロニカさんのまぶたが上がりました。水平線の向こうに輝く星空の、そのまたさらに向こうを見つめる目をして、噛みしめるように呟きます。
「素敵よね」
はい。声に出さずそう答え、わたしも夜の海を眺めます。遠くの空でまた一つ、流れ星が音もなく瞬き、幻のように消えていました。