俊樹くんがビデオレターの撮影に参加することになったと聞いても、船井先輩たちはあまり動じませんでした。

 何でも「そういう暴走は小笠原で慣れている」そうです。ついでに暴走したわたしに「小笠原に似てきた」という評価を頂きました。わたしは小笠原先輩に憧れていたはずなのですが、なぜだかすごく微妙な気持ちになりました。

 繁華街の甘味処に入ります。二人がけの席を三つ繋げて長いテーブルを作り、五人で座ってそれぞれ好きなものを注文します。わたしはあんみつを頼みました。暑い日にクーラーの効いたお店に入って食べる甘いものは最高です。生きている実感が湧きます。

 あんみつを食べ終えた頃、藤色のブラウスを着た白髪のおばあちゃんがお店に入ってきて、わたしたちのテーブルに歩み寄ってきました。小笠原先輩が小学五年生と六年生の時の担任、丹羽先生です。小笠原先輩を教えている時にもう定年間近だったそうですから、歳は六十後半から七十と言ったところでしょう。ですが頬肉は上がっていて、背筋も張っています。わたしも教育学部生として将来は先生になるかもしれないわけですが、もしなるならこういう雰囲気の先生になりたい。そう思わせてくれる佇まいです。

「あなた方が、小笠原くんの?」
「はい。そうです。まずはそちらにおかけ下さい」

 船井先輩が示した空席に丹波先生が座ります。全員の自己紹介と今日の主旨の説明を済ませたら、いよいよ撮影です。インタビュアーの船井先輩と長野先輩は丹波先生の正面に、カメラマンの安木先輩はハンディカムを構えて斜め前に座ります。わたしと俊樹くんはカメラに映らないところに椅子を動かして待機。一応、サブのインタビュアーとして発言は許されています。

「では、これから撮影を始めさせていただきます。」

 船井先輩の合図で撮影が始まりました。まずは軽い自己紹介。そしてすぐに小笠原先輩の過去に話が伸びます。

「丹波先生から見て、小学生の小笠原くんはどういう子でしたか?」
「めちゃくちゃだったわ」

 迷いなく言い切り、丹波先生がため息をつきました。思い出すだけで疲れるとでも言いたげです。だけど口元は、幸せそうにほころんでいました。

「小笠原くんの友達が、コンビニの店長に万引きを疑われた時の話をしましょうか」

 丹波先生が目を細めました。目尻に深いしわが浮かびます。

「万引きしたと思われたものはカードゲームのカード。実際に万引き被害は継続的にあったそうだから、神経質になっていたんでしょうね。でもその子は万引きなんてしていないし、証拠も出て来なかった。ただ店長はそこで引かなかったのよ。その子の家が母子家庭でお金がないのを知っていたから、そういうところも突いて、コンビニのバックルームでその子を何時間も責め続けたらしいわ」

 ひどい。わたしは眉をひそめました。そんなわたしの心理を読み切り、丹波先生が語り続けます。

「ひどい話だと思ったでしょう。小笠原くんもそう思ったわ。そこまではみんなと一緒。ただその後にやることが、あの子のオリジナリティなのよね」

 感性は普通の人と同じ。だけど行動がぶっ飛んでいる。確かに、その通りかもしれません。感性だけなら安木先輩の方が変わっている気がします。

「友達が受けた仕打ちを知った小笠原くんは、コンビニに復讐することにした。ただし暴力的な手段はなし。さて、何をしたと思う?」

 丹波先生がクイズを出します。船井先輩が自信なさげに答えました。

「コンビニの悪評を流した、とか」
「評判を下げようとしたのは正解。でも小笠原くんはそのコンビニを下げるんじゃなくて、他の店を上げようとした」
「他の店を上げる?」
「そのコンビニと同じものを安く買えるお店を調べて、チラシにして配ったの。そうしたら地域で話題になって、学校も巻き込んで大騒ぎになったわ。そして騒ぎになれば店長の仕打ちも広まってコンビニの評判は下がる。さっきは他の店を上げようとしたと言ったけれど、本当の狙いはそっちだったのかも」
「騒ぎにしたいだけなら、もっと直接的なやり方がありませんか?」
「そうね。でも小笠原くんにそんな理屈を言っても無意味。あなたたちもそれは分かっているんじゃない?」

 船井先輩が黙りました。丹波先生が不敵に笑います。

「最適でも、最善でもなく、最高を選ぶ。小笠原くんはそういう子だった。だから今日、こうやってあなたたちに呼び出されて嬉しかったわ。あれから倍の年齢になっても小笠原くんが変わってないことを知れて、本当に嬉しかった」

 うっとりとした顔。きっと長い教員人生の中でも特別に思い入れのある相手なのでしょう。数ある候補の中から丹波先生を撮影相手に選んだのは、学校経由で連絡が取れそうだったからなのですが、選んで良かったと心の底から思いました。

 その後も丹波先生は、小笠原先輩の思い出を色々と語ってくれました。やがて用意していた質問も尽き、船井先輩が〆に入ります。

「では最後に、小笠原くんへのメッセージをお願いしてもいいですか?」
「分かったわ」

 丹波先生がこほんと小さく咳払いをしました。それから安木先輩の構えているカメラと向き合います。

「小笠原くん、結婚おめでとう」

 波の音のような、しわがれた柔らかい声が、わたしの耳をくすぐりました。

「あなたと過ごした日々は本当に大変だったけれど、本当に楽しかった。今あなたと一緒にいる人たちも、きっと同じように感じていると思います。これからもあなたらしく駆け抜けてください。あなたが最後まであなたで在り続けることを、先生は期待しています」

 撮影終了。船井先輩がお礼を言い、安木先輩がハンディカムを切ります。一仕事終えた達成感が場に満ちる中、丹波先生がわたしに話しかけてきました。

「ねえ、あなたが小笠原くんのお嫁さんでいいのよね?」

 お嫁さん。聞き慣れない響きに耳たぶが熱くなります。

「そうです」
「じゃあ、あの子に伝言をお願い。私もすぐ逝くって伝えてちょうだい」

 返事の言葉が出てきませんでした。丹波先生が自分の胸に手を当てます。

「あと一年ですって」

 詳細を語らずとも、何を言いたいかはすぐに分かりました。

「もちろん見立ては見立てだから、私の方が先に逝くこともあるかもしれない。でも向こうで会えることは間違いない。それがほんの僅かでもあの子の支えになってくれるなら嬉しいの。こんなおばあちゃんでもそれが分かった時は辛くて、世の中を恨みたくもなったけれど、少しは意味があったんだなと思えるわ」

 丹波先生の表情は、今までと同じように穏やかでした。こういう話をしている時にそういう顔ができる人を、わたしは一人だけ知っています。小笠原先輩です。丹波先生を撮影相手に選んでよかった。改めて、思います。

 だけど――

「すいません。それは伝えられません」

 わたしは頭を下げました。そして上げ直し、丹波先生の目をじっと見つめます。

「結婚式が終わったら、今度は夫婦で会いに来ます。その時に丹波先生の口から直接お話ししてください」

 丹波先生が乾いた唇が、ふわりとほころびました。

「分かったわ」