「はあ……なるほど」

 テーブルの向こうで、お父さんが小さく頷きました。頷きはしたけれど理解できていないのは、眼鏡の奥で細められている目を見れば丸分かりでした。隣のお母さんはふーんという感じです。

「それで、その結婚式とやらには私たちも出た方がいいのかな?」
「いや、出なくて大丈夫ですよ。娘の結婚式に出席するって重大イベントじゃないですか。そのイベントをこんなんで消化しちゃうの、もったいないですし」
「だったら、私たちの許可は必要ないんじゃないか?」
「そこは、俺なりのけじめってやつです」

 お父さんが首を傾げました。わたしと小笠原先輩は横並びに座っていて、二人でわたしの両親を説得する構図になってはいるけれど、お父さんのついていけない気持ちはよく分かります。何ならわたしもまだ事態を飲みこみきれていません。

 一応、事前説明はしました。付き合っている人がいて、その人が余命宣告されていて、死ぬ前に結婚式っぽいものをやりたがっていて、そのために挨拶に来たいと言っていると、夕ご飯の時にお父さんとお母さんとお兄ちゃんに話しました。結果、お父さんとお兄ちゃんからは「何言ってんの?」という顔をされました。お母さんはふーんという感じでした。

「けじめ、ねえ」

 お父さんが隣のお母さんを見やりました。お母さんは平然と言い放ちます。

「いいんじゃない? 私も友達が再婚して、結婚式はやらなかったけれど、仲間で集まってお祝いをしたことがある。それと同じようなものでしょう」
「それはちゃんと結婚しているじゃないか」
「ちゃんと結婚しないことが気になるの?」

 お父さんがぐっと言葉に詰まりました。そして小笠原先輩に目を向けます。

「君にこういうことを言うのは酷だと思うけれど、私にとって結婚というのは人生を共に歩んでいく宣言なんだ。惚れた相手を生涯かけて守り抜く覚悟が先にあって、その上に築く誓いなんだよ。だから、ただのパーティなら好きにすればいいが、結婚式と呼ばれると……」

 お父さんの視線が、わずかに下がりました。

「すぐいなくなる人間に娘は任せられないと、どうしても思ってしまう」

 お父さんが口を閉じました。わたしも同じように唇を横に結びます。全員がピタリと静止して、リビングで動いているものはエアコンだけ。普段は気にも留めないささやかな送風の音が、やけに小うるさく聞こえてきます。

 ポン。

 わたしの肩に、小笠原先輩の手が乗せられました。振り向くと小笠原先輩は右手の親指を立てて、リビングのドアを指し示します。

「お父さんと二人で話したいから、ちょっと席外してくれる?」

 わたしは困惑しました。理由を尋ねようとした矢先に、お母さんが口を開きます。

「じゃあ、私もどこかに行かなくちゃね」

 お母さんが椅子から離れ、わたしをじっと見つめてきました。そして「二階にいるから、終わったら呼んで」と言い残してリビングから出て行きます。そうなればわたしだけ残るわけにはいきません。お母さんを追いかけて廊下に出ると、お母さんは二階に続く階段の傍で立ち止まり、わたしを待っていました。

「ねえ」お母さんに歩み寄ります。「わたしたち、なんで追い出されたのかな」

 お母さんがわたしを見つめ、落ち着いた声で語り出しました。

「男二人で話したいことがあるんでしょう。こっちも女二人で話したいことがあるから、ちょうど良かった」
「話したいこと?」
「あんた、あの男の子のこと、本当に好きなのね?」
「当たり前でしょ。好きじゃなきゃ連れてこないよ」

 迷うことなく言い切ります。本当に当たり前すぎて、意味がよく分かりませんでした。お母さんの唇が柔らかくほころびます。

「そう」

 お母さんがわたしに背を向け、階段を上り始めました。いきなり話したいことがあると言われて、聞くまでもないようなことを聞かれて、完全に置いてけぼりです。どうすればいいか分からず立ちすくんでいると、お母さんが階段の途中で足を止めて振り返りました。

「惚れた相手を生涯かけて守り抜く覚悟、だって」

 お母さんがふふふと笑いました。そしてまた階段を上り出し、囁くような一言を足音に重ねます。

「カッコつけちゃって」