(15)

「……っ」

 大人のプライドは、呆気なく決壊した。

 情けなく眉を歪めた暁が、口元に手を当てたままその場に崩れ落ちる。
 それを慌てて支えた千晶の腕を、暁が小さく握った。

「……もう、家出なんてしたら許さないからね」
「はい」
「それと、自分は独りだなんて思い込みも捨てること。失礼でしょ。私と烏丸に」
「何で俺だ」

 不服げに口を開いた烏丸だったが、それ以上の反論は飛ばなかった。
 頬に伝う、熱い感触をぐいっと拭い去る。

「お帰りなさい。千晶」
「……ただいま。アキちゃん!」



「暁さま! もう体のお加減はよろしいのですか!」

 一階事務所に姿を見せた暁に、琉々は声を上げた。

「大丈夫だよ。琉々くんにも逆に心配をかけちゃったね」
「いいえ、いいえ、そんなことは! 暁さまがお元気になられたとわかって、とてもほっとしております……!」
「ありがとう。琉々くんの体調はどう?」
「琉々、もう、げんキ!」「昨日、暁が帰ってくる、ちょっと前かラ!」「段々、顔色、良くなっタ!」

 琉々に代わって、家鳴三兄弟もぴょんぴょんと暁を出迎えてくれた。
 こんな小さな子たちにも心配をかけてしまったようだ。
 安心させるように微笑み、暁はソファーに腰を下ろした。二階で入れてきた、温かいお茶を差し出して。

「実は今、上で甥が朝食を作ってくれてるの。慣れない料理だから出来な保証できないけれど、よかったら君たちも食べてってね」
「そ、そんなそんな! ご迷惑をお掛けした挙げ句食事まで!」
「まあまあそう言わないで。それよりも、琉々くん。君の探していた住み処が、見つかったよ」

 そう告げると、暁はポケットからあるものを取り出した。
 昨夜広大な河底から探し当てた、木製のペンダントだ。

「これは……」
「このペンダントはガジュマルの木で出来てるの。その木はここよりもずっと暖かい気候で育って、沖縄ではあるあやかしがこの木に宿っていると言われてるんだって」

 そのあやかしとは、ガジュマルの木の精霊とも言われる──『キジムナー』だ。

「『キジムナー』……?」
「その姿は赤い肌と髪。河童と習性と酷似しているとされているけれど、伝承される姿形には、甲羅や嘴、そして頭の皿はないことが多い」
「で、ですが私の頭にはこの皿がっ」

 琉々が言い募ろうとした瞬間のことだった。

 頭上の白い皿が眩しく光ったかと思うと、まるで溶けるように消えてなくなった。
 まるで、もう役目は終えたと自ら悟ったように。

 呆気にとられた様子で自らの頭に触れる琉々に、暁は静かに口を開いた。

「推測だけど……今まで頭にあったお皿は、君を見つけた河太郎さんが君に授けた仮の皿、だったんじゃないのかな」
「河太郎どのが……?」

 ある日突然、河童の住み処である川で発見された琉々。

 外見は河童に非常に近しいが、象徴ともいえる頭上の皿がない。
 これでは仲間に引き入れ助けることが困難になると考えた河太郎は、急場しのぎで琉々の頭に皿を授けたのだ。

「だからだろうね。河太郎さんが琉々の皿のことを何かと気遣っていたのは」

 暁の言葉に、琉々自身も心当たりがいくつかあるらしい。
 そのうち膝の上でぎゅっと両手を握り、「河太郎どの……」と小さく漏らしていた。

「そして何より……水でも消えない火」

 琉々の瞳が、大きくきらめいた。

「その火は『キジムナー火』といって、キジムナーが使う術の一つなの。魚を捕まえるのが得意で、仲良くなると人間にもわけてくれる。出会う人を幸せにする妖怪なんだって」
「暁どの……」
「わかった? 君はやっぱり、出来損ないなんかじゃない。君は立派なあやかしだよ。人を幸せに出来る心の優しい、素敵な存在」

 暁が告げた一言に、琉々はぼろぼろと涙をこぼした。
 そんな琉々の様子を心配した小鬼たちが駆け寄り、涙の粒を懸命に払っていく。

 このペンダントに使われたガジュマルの木が、琉々くんの探していた住み処だったのだろう。
 それがペンダントが川に放られたときに、弾みでペンダントと離ればなれになってしまった。

 ペンダントをその小さな手のひらに乗せると、琉々はとても穏やかな泣き笑いを浮かべた。



「あなたはこの間の」
「こんにちは。また会ったね」

 サチちゃん、と言いかけて、なんとか言い止まった。

 この少女からしてみれば、暁は以前もこの橋の上で会った女の人に過ぎない。
 どうして名前を知ってるのかと問われれば、即刻不審者の烙印を押されることになるだろう。

「お姉さんも、またこの橋に用事ですか」
「うん。お姉さん、この橋が気に入っちゃってね」
「そうですか。それじゃあ、私はこれで」
「あ、ちょっと待って」

 そそくさときびすを返しそうになったサチを慌てて引き止める。
 やはり、千晶不在の世間話は長続きしないようだ。

「実は今日は、あなたに用事があったの」
「私に?」
「うん。これを」
「……っ、これ!」

 大きな声とともに、元気なポニーテールがぴょこんと揺れた。

 ペンダントを小さな手に乗せると、少女が感慨深げに吐息を漏らす。
 彼女の探しものがこれだという、何よりの証しだった。

「私のペンダント……! でも、どうしてお姉さんが?」