(12)

 少年の目が、まん丸に見開かれた。
 見間違えではない。この瞳は確かに、眩しいほどの金色だった。

「……驚いたな。もう気づいたか」
「今日から小学校も新学期です。こんな日に、君くらい年齢の子がよろず屋に来る時点でまずおかしい。加えて歳にそぐわない話し口調。着慣れた様子の高価な着物。言い出したらきりがありませんよ」

 正直、こんな日が来るのではとは思っていた。

 近所のスーパーを歩いていただけで猫又の少女に弄ばれたのだ。
 当然、他のあやかしに何か仕向けられる可能性だって、十二分にあるだろう。

 幸い今ここには甥がいない。
 その目に触れることなく問題を収められるのだとすれば、それに越したことはない。

「なるほどな。度胸だけはあるということか」

 目を細めながら、少年はソファーの上であぐらを掻いた。
 足には下駄が履かれたままだ。お行儀が悪い。諭そうと口を開きかけた──その瞬間だった。

「動くな」

 ぐらり、と。視界が一気に歪んだ気がした。

 気づけば、目の前に座る少年の周囲に妙な霧が立ちこめる。
 どこか丸みを帯びていた瞳は鋭く切れ長に変化し、小さな鼻はまっすぐ際だった鼻筋を浮き出した。

 こめかみ部分の長髪はより一層長く流れ、まとう着物も体に合わせてより豪華絢爛な印象を受ける。
 なにより、ソファーであぐらを組みながら向けられる視線が、一層凶暴なものになった。

 目の前にいるのはあやかしだ。
 なにがあっても、不思議なことはないのかもしれないけれど。

「大人の姿に、なった……? って、わ!」

 世界がじわじわと闇に満たされていく。比喩ではない。そのままの意味だ。

 目の前のあやかし男を中心に広がった黒背景は、みる間に暁の背後全てまで及んでしまった。
 思わず座っていた腰を浮かせると、男の口がつり上がるように持ち上がる。

「あまり舐めてくれるな人間よ。俺はすでに百年の時を生きている。気分一つで、お前などすぐに息の根を止められるぞ」
「……気分を害されたのなら、申し訳ありません」

「ですが」ここは、この事務所は。どうあっても暁自身のテリトリーだ。

「オイタが過ぎるお客さまの依頼は受けかねますね。どうぞ、お引き取りを」
「状況が見えておらぬようだな。このままお前だけ、暗黒に取り残すことも可能なのだが?」
「ご自由に。あなたの意思をねじ曲げる権利は、私にはありませんので」

 男の表情が、不快に歪んだ。
 ここまで言い募っても顔色を変えない女は、確かに珍しいのかもしれない。

「私はね。時代錯誤で権力至上主義のクソ田舎だろうと、唐突に恐喝してくる迷惑千万なあやかしだろうと、何にも屈せず、自分のやりたいように生きると決めてるの」

 熱いマグマのような感情が、じりじりと胸を満たしていく。
 その正体は、いつもは最奥にしまってある過去への怒りだった。

「理不尽な要求を突きつける客は客とは呼ばない。客じゃない輩に使う無駄な時間はない。自営業は時間を売る商売なので」
「あいにく、あやかしの俺に人間ごときの屁理屈は通用せん」
「それなら一層、人間ごときの営むよろず屋にできることはないかと」
「チアキを出せ」

 ああ、やっぱりか。
 会話に出なければ良いと思っていた名前を聞き、内心舌を打った。

「チアキという従業員はここにはおりません」
「ここに住んでいるはずだ。調べはついてる」
「お答えしかねます」

 答えた瞬間、暗闇に染まっていた辺りにぼんやり光が漂うのに気づいた。
 決して人工的なものではなく、まるで意思を持って飛び回るその光。ああ、違う。

「……っ」
「どうした。顔が青いぞ」

 光じゃない。みんな、あやかしだ。

「聞けばお前、人ならざる者に慣れておらぬな。あのチアキとも、長年顔を合わせなかった様子」

 対峙している男は、あやかしといえど人型だ。
 それに対して辺りを浮遊するそれらは、暁にとって確かに「慣れている」ものではなかった。

 寒々しい青い光の中で、苦悶の表情を浮かべる者。
 長い髪をおどろおどろしく振り乱しながらこちらを睨む者。
 人間とも動物ともつかない、ありとあらゆるあやかしたちの姿が、移す視線の先々に浮かんで見えてくる。

 こういうことか、と暁は思う。

 あの子を──千晶を守るというのは、こういうことなのだ。

「あの者を匿うということは、ここにいる者たちの相手をする覚悟がある──そう見なすことになるが?」

 言葉を終えるや否や、男の姿がなくなる。
 次の瞬間、背後から首を隙間なく掴まれるのがわかった。

 大きい。男の手だ。
 五本の指から伸びる爪が、僅かに肌にめり込んでいる。

「さて、今一度問おう」
「……すごい。まるで風のように移動できるんですね」
「無駄口を叩くと、その喉に爪が刺さるぞ」

 振り向けない。それでも、男が不敵に笑っているのは容易にわかった。

「チアキを引き渡せ。従えばお前は五体満足のまま、これからも平穏無事に過ごすことができる」
「差し出さなかったら?」
「無力で愚かな人間が、この世から一人消えることになるな」
「はは」

 力ない笑みが漏れる。
 ふつふつと胸の奥から湧きあがってきたものは、恐怖ではない。

 目の前の理不尽に対する、底のない怒りだった。

「……あーもう。面倒くさいなあ!」

 後ろから掴まれた首元の手を、思い切り掴む。
 そのまま無理やり体を反転させ、一瞬離れた男の手を素早く捻り上げた。

 直後、事務所内に弾けるような平手音が響く。
 爪がかすってしまったらしい。
 目の前の男の頬には、赤く細い筋がじわりと浮かび上がっていた。

「私はあの子は渡さない。あんたが何をしようと、どう脅してこようと。あの子に害をなすつもりなら、誰だろうと容赦しない」

 自分はもう、ただ不甲斐なさを嘆くだけの非力な女子高生とは違うのだ。

「あの子は私が守る。覚悟ならもうとっくにしてるわ。ここは私の──」

 ああ、今はもう違った。

「『私たち』の、帰る家なんだから!」

「──ほら。もういいでしょ。烏丸(からすまる)