影狩師は月夜に舞う

満月が近づくと古来より、妖しの存在である「影」達が活発に動き出す。

満月には、古来より浄化の力があるとされる。
闇に堕ちた影達が、本能的に浄化を求めて彷徨うのだという。

闇に堕ちた影を『狩る者』を『影狩師(かげかりし)
相対して闇に影を『縫う者』を『影縫師(かげぬいし)』と呼ぶ。


ーーーー影は、誰かが、狩らなければ自然浄化されることはない。
ーーーー東京渋谷某所。

アイツから指定された時刻の五分前。古びた自動販売機の横の街灯の下で、足をとめる。 

点いたり消えたりを不規則に繰り返す、街灯の光で、自身の履いている黒のブーツから細身の身体をなぞる様に、影が伸びたり縮んだりしている。その影は、異様ともいえるほど黒く怠惰(たいだ)な淵を帯びていた。

霊印冴衣(れいいんさえ)は、小さく溜め息を吐き出した。吐息は、すぐに冬空の暗闇にふわりと飲み込まれていく。真円に近づきつつある、月だけが、嘲笑うかのように嬉々として輝いていた。 


「だから満月は嫌いなのよ」

ただ美しく浮かんでいるソレに心からの忌避を込めて言葉を吐いた。

満月の前後、数日は「影」が特に活発に動き出す。

人は、誰でも多かれ少なかれ、闇を抱える生き物だ。「怖いもの」「目に見えないもの」「得体の知れないもの」「この世ではないもの」その他諸々の所謂(いわゆる)科学では証明できない、『わからない』ものに本能的に恐れをなす。

一般的に言う、オバケなるものの代表が「影」の一つだ。 

「影」には、大きく分けて二種類があり、一つは、人間がこの世に未練や憎しみ、恨みを持って死んだ後成仏できずに「影」となる。

先程のオバケなるものは、こちらの分類だ。自然発生型とされ言葉を持たない「影」。

もう一つは、人間の心の闇を集めたモノを自然発生した「影」に縫いつけ、言葉を持たせて実体化させる、影縫師による後天的発生。

ーーーーどちらにしても共通しているのは、この世のモノではない、ということ。

自然発生の「影」及び後天的発生の「影」であり、妖しの存在である「影」を狩れるのは、その血筋を脈脈と守り続けている影狩師の一族のみだ。

「…遅いなぁ、もうっ、寒いし……」

ここ一週間、ほとんど休みなく、私は、アイツと狩りに出ている。

ジタバタと、その場で足踏みをしてみるが、

「本日の夜の最低気温は一度の予報です。明日は夜から雪が降るでしょう」

と、よく通る爽やかな声でお天気お姉さんが朝テレビで言っていた通り、氷点下近い寒さで足先は、すでにじんと痺れてきている。

ふぅ、と再び小さく白い溜息をつくと、私は、肩まである漆黒の髪を左耳にかけ直した。左耳には、ラピスラズリの小さなピアスが光る。

仕事柄、魔除けの石は欠かせない。指令に集中する為にも、小さな雑魚レベルの影は、この程度の魔除けでも多少の効果は期待できる。

手袋をしていても指先と外気に晒される耳たぶが夜風に触れるたび、キンとする。

あの日も…夜から雪が降りだして深々と冷える夜だった。この時期とこんな夜は、もう会えない、たった一人の姉のことを思い出してしまう。

「……礼衣(れい)何で……死んじゃったんだろう。」

返事が返ってくる訳もなく、誰に聞かれることなく呟いた言葉は、雪のように白く弧を描くと、月夜の空にあっという間に消えていった。
「あの馬鹿……」

手元の時計を確認する。
長い秒針が、正確に時を刻み12の文字を通り過ぎた。

時刻は深夜二時丁度。

アイツの毎度の遅刻にも慣れたが、時間通り、いや指定された時間より最低でも五分は早くに到着するこちらとしては、寒さもあってやや苛立ちが募る。寒さを紛らわせるように、自身を両腕で抱える様にして空を見上げる。

明日は満月。満月の輝く夜に雪が降るかもしれないなんて、ロマンチックの限りだ。


ーーーー狩りさえなければ。

痺れを切らしてノーカラーの黒のコートのポケットからスマホを引っ張りだす。タブレットが操作できる、お気に入りの黒手袋の人差し指で、アイツに嫌味の一つでも送ってやろうかとした時だった。
冴衣(さえ)ー、おまたせっ」  

お待たせなどと露ほども思っていないであろう
、暢んびりとした口調で茶髪の長身が、こちらに右掌をひらひらとさせている。

御津宮志築(みつみやしづき)。全国の影狩師の頂点に立つ、御津宮家24代目の若き当主だ。

黒のチェスターコートに、上下黒のスウェット姿に白のスニーカーというカジュアルな服装で現れた志築は、端正な顔に茶がかかった瞳を持ち、その長身とスタイルの良さから何も知らない人達はモデルか、はたまた新人俳優か、等と思うのだろう。

コイツの人間性を知らない人が、心の底から羨ましい。

「遅い!たまには時間を守ろうとはおもわないの?志築!」

「また怒ってんの?冴衣、俺にもイロイロとあるのわかってるでしょ」

ポイッとこちらに向けて投げられたのは、ポケットカイロだった。冷え切っていた指先がじんわりと熱を帯びていく。

「当主だからって関係ないっ!大体、志築は、全部が緩いの!だらしないのっ!」 

「……俺にさぁ、毎度毎度、誹謗中傷浴びせてくんの冴衣位だけど」

「あ、そう!でも皆!そう思ってる!言わないだけ!」  

「皆って。大体それってその人だけの主観ってやつじゃない?」


はぁ。ーーーー売り言葉に買い言葉だな。
志築との狩りの時は、毎回こんな不毛なやり取りが繰り返される。

前回、『遅刻も個性』だと言われた時は、心底呆れたものだ。

ジロリと睨み返すが、身長の低い私に睨まれたところで何の問題もないと言わんばかりに、茶がかかった瞳が、飄々と見下ろしてくる。

「冴衣ってさ、ほんとすぐ怒るよねー。短気は損気ってガッコーで習わなかった?」

「習ってない。志築こそ、時間は守れって教わらなかった?」

「俺、冴衣の怒った顔より、笑った顔のが好きなんだけどねー」

唇の端を持ち上げると、こちらを揶揄うように視線を投げてくる。 

「ばっ…馬鹿じゃないの!」

さっき貰ったばかりのカイロを志築の顔面目掛けて投げつけてやる。どうせ当たらない。

「おっと」

志築が、こちらを見てニヤッと笑った。

最後はいつもこうだ。無駄に見た目が良いこの男は、いつも最後は真剣に腹が立つくらいに揶揄って、私の反応を楽しんでいる。

結局、最後は、私が諦めて口を噤むのをわかってるのだ。