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 インターネットでタルパの情報に行き着くまで、成瀬美和は友達がほしくてたまらなかった。だから、高校デビューでつまずいて中途半端な時期でも友達はできないものかと、すがるような思いで“友達の作り方”について検索したのだ。
 だが、出てくるのは何の役にも立たない情報ばかり。当たり障りのない、それこそ友達がいない人間でも書けてしまいそうな無難な内容しか載っていなかった。
 それでも有益な情報がどこかに載っていないかとあきらめきれずに検索し続けてたどり着いたのが、人工未知霊体タルパの作り方だ。理想的な人格を宿すことができれば、良き友にも良き恋人にもなるという、夢のような存在だ。
 その夢のような存在を生み出したとき、成瀬はもう他に何もいらないと思ったほどだ。それこそ、友達なんていらないと。
 学校でどれだけ孤独感と疎外感に苛まれて惨めな思いをしても、家に帰れば優しい恋人がいる。同じクラスにいけ好かない子たちは何人かいるが、その子たち全員に彼氏がいるわけではない。それなのに自分にはいる。それがかなりの優越感だった。
 ただ恋人がいるわけではなく、とても理想的な恋人がいるのだ。優しくて穏やかで、そしてとびきりかっこいい、素敵な恋人が。
 家に帰るまでおしゃべりはできないが、それが逆に恋人っぽくていいと思っていた。恋人は、四六時中一緒にはいないものだ。離れている時間があるからこそ、一緒にいられるときの愛しさも増すというものだ。
 おしゃべりをしたり、スマホで動画を見て楽しんだり、成瀬がゲームをするのを見せたり、ごく普通の恋人たちがするようなことをしていつも過ごしている。触れ合うことと外に一緒に出かけること以外、何でもできる。
 だから、成瀬は本当に友達なんかいらないと思い始めていた。初めは強がりで思っていたことだったが、いつしかそれは本音になっていた。
 だが、その思いを変えてしまうような存在が現れた。
 うるさくて図々しい、ひとりのクラスメイト。たまたま選択教科の授業が同じで、他に組む相手もいないからペアになっただけで、それ以降もやたらと絡んでくる子だ。成瀬と違って人当たりがよく、他に友達もいるはずなのに、なぜか一緒にいたがったり自分が属しているグループとの会話に混ぜたりしようとする。
 そんな子とつるんでるくらいだから、他の子たちも感じがいい。もしかしたら、友達とやらができたのかもしれない――成瀬はそう考えてしまった。
 それが、いけなかった。

『美和、どうして?』

 ある日帰宅すると、いつもは優しく『おかえり』と言って出迎えてくれるはずの恋人が、不機嫌な顔で言った。激情を顕にしているわけではないが、怒っているのは伝わってきた。
 そのときに、成瀬は思い出したのだ。タルパを所持するにあたっての、禁則事項を。
 嫉妬させてはいけない。
 寂しがらせてはいけない。
 交流を欠かしてはいけない。
 正気になってはいけない。
 それが、タルパを持つ者に課せられたルールだ。こんなの、破るわけがないと成瀬は思っていたし、この半年以上の間、ずっと守ってやってきていたのだ。孤独だから、できたことだ。
 だが、成瀬は孤独ではなくなってしまった。それを、“理想の恋人”は許しはしなかった。

『美和、どうして?』
『俺がいれば、ほかに何もいらないって言ったのに』
『よそみはだめだよ。俺だけ見てて』
『ひとりにしないで』
『俺には君しかいないのに』

 家に帰れば和やかに会話をしていたはずなのに、いつの頃からかそうした恨み言が増えてきた。なだめても、許しを乞うても、また時間が経てば思い出したかのように恋人は成瀬を攻め立てる。
 そのことに徐々に嫌気がさしてきて、恋人と話さなくて済む学校で過ごす時間が成瀬にとって救いの時間になりつつあった。それに、学校では会話をする相手ができた。人付き合いがうまくない、可愛い受け答えができるわけでもない成瀬に、めげずに話しかけてくれる人が。
 だが、学校にはついてきていない、話ができないと思っていた恋人の声が、ついに学校でも聞こえるようになってしまった。成瀬が誰かと一緒にいると、おしゃべりをすると、恨めしそうに声をかけてくるのだ。
 それでも、小さな呪詛の言葉をたまに囁かれるくらいなら我慢できていた。しかし――。
 
『どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さ』

 ある日、授業中に耳元でそんなことを延々大きな声で聞かされて、成瀬は耐えきれなくなった。
  
***

 数学教師の抑揚のない声を聞きながら、駿はどうしたものかと考えていた。
 考えているのは、琴子のことだ。
 この前、変なのを連れた友達らしきものと歩いているのを見かけた日の放課後、買っておいてやった飲み物は渡すことができた。だが、「お前の友達、何か変だぞ」と言うことはできなかった。
 たかが同じ部活なだけで、しかも知り合ってまだ少ししか経っていない人物に、先輩風を吹かせて上から物を言われたくはないだろうと思ったのだ。
 しかし、あれから時間が経つにつれて、琴子のことが心配でたまらなくなった。いろいろ考えた結果、オカルトのことを抜きにしてもよくない状況だと判断したのだ。
 というのも、三郎丸のことを考えればわかるように、おかしなものを憑けている人間は、十中八九本人の性格か振る舞いに問題があるのだ。それなら、いくら琴子の背後の金剛力士像が無反応だろうと、あんな変なものを背負った人間と親しくするのは考えものだろう。
 高二の春という微妙な時期に転入してきたから、もしかしたら例の女子くらいしか親しくできる者がいなかったのかもしれない。だがだからといって、あんなのと一緒にいてはだめだ。あんなのしか友達になってくれないというなら、ひとりでいたほうがまだマシだ。

(でもやっぱ正面切ってあいつの友達を悪く言うのは、無理だよな。それなら、何か便利グッズを貸してやって、それであの変なのを弱体化できれば……)

 駿は琴子の友達と思しきあの女子に憑いているものを何とかできないかと、秘蔵の清めの塩やネットで評判だったから買ったお清めスプレーを貸してやろうかなどと考えていた。数学の授業なんて、まるで聞いていやしない。
 だが、そんな思考を遮るようなことが起こった。

「ついてこないで! ほっといてよ!」

 そんなふうに叫ぶ声と、バタバタと走る降りる足音。それを引き止めようと追いかける別の足音と、呼びかけの声。

「待って! 成瀬さん、落着いて」
「男虎さんには関係ないでしょ!」

 聞き覚えがある声と、知っている名前が聞こえてきて、駿は驚いた。そしてすぐに、琴子に何らかの危機が迫っていることを理解した。
 放課後まで待って琴子に忠告するなんて悠長なことを言っていられないとわかり、カバンを手に教室を飛び出していた。

「小幡くーん」
「すいません、トイレ!」

 数学教師ののんびりとした声に答えてから、駿は廊下を駆け出した。足音の感じから、琴子たちは下に向かっているのだろう。それなら、一階を目指せばいつか追いつくに違いない。
 とにかく追いつかねばと、追いついて琴子の安全を確保してやらねばと、便利グッズがいろいろ入ったカバンを抱えて駿は走った。琴子が引き止めようとしているのは、おそらくあの変なのを憑けた女子だ。それなら、今こうして追いかけているときに何か対策を考えねばと考えていたから、唐突に視界に灰色の靄がかかって、駿は腰を抜かすかと思った。

「うぉっ……!」

 三階から二階、二階から一階へと降りようとしていたところで、駿は足止めされた。というより、目的の人物たちがいた。
 背中に何か悪いものが憑いている女子は、戸惑うように立ち尽くしていた。その少し離れたところには、必死の形相で両手を広げる琴子がいた。琴子に先回りされ、通せんぼされたからこの女子は困っているのだろう。

「やめて……本当にこういうの困る。ほっといてよ!」
「ほっとけないよ! だって、友達が授業中にいきなり叫んで教室飛び出したら、追いかけるでしょ?」
「……あ、あんたなんか、友達じゃないし!」

 女子の言葉に、琴子は傷ついた顔をした。だが、言った本人も苦しそうな顔をしている。というより、琴子より傷ついている様子だ。
 その原因なのか何なのか、女子の背後の気持ちが悪いものが女子に向かって何かを叫んでいた。何を言っているのか、琴子にはもちろん駿にも聞こえてこない。だが、そいつの言っていることのせいでその女子がおかしくなっているのはわかった。

「……ひとりになる……友達なんていらないから……あなただけでいい。もう欲張らない……」

 耳を塞いで、俯くようにしながら女子はブツブツ言っていた。怯えている。どう見ても、背後にいるやつに脅されている。だが、琴子には見えないし聞こえないから、ただただ戸惑って傷ついた顔をしていた。害なしとみなしているからか、後ろの金剛力士像は特に動く様子はない。

「おい、あんた。コトラ……男虎が心配してんだよ。あんたに友達なんかじゃないって言われても、怒ることもなくここにいるんだぞ。後ろにいるよくわからん男に何か言われたからって、冷たくしていい相手じゃないだろ!」

 カバンから取り出したお清めスプレーを取り出して吹きつけながら、駿はその女子に啖呵を切った。本当は変なものに憑かれた人間に声をかけるなんてしたくないことだ。だが、その女子の意識を背後にいるやつから、こちらに引き戻す必要があると考えたのだ。
 すると、それを聞いた琴子が何かに気がついたようにハッとした顔になった。それから、その女子に一気に近づいた。

「彼氏に、モラハラされてるんだね? 嫉妬深いモラハラ彼氏に、『友達と縁を切って俺だけ見てろ』って言われたんだね?」

 何をどう解釈したのか、琴子はそんなふうに捉えたらしい。その女子の肩を掴み、ぐっと顔を覗き込もうとしている。

「人の彼氏のことどうこう言うのは、よくないってわかってるけどさ。友達と縁を切らせようとするやつなんて、禄でもないよ? 成瀬さんは、彼氏の言うように私と縁切りたい?」

 琴子が落ち着いた声で尋ねると、弱々しく首を振った。琴子には、それだけで相手の意思表示は十分だったのだろう。

「それなら、縁切らないでいよう? 友達だよ」
「無理だよ……無理……私がひとりにならなきゃ絶対許してくれない……」

 成瀬と呼ばれた女子は、いやいやをするように首を振った。その合間にも「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」と呟いている。
 琴子の目には、成瀬がただ精神的に追い詰められているようにしか見えないだろう。だが実際には、すぐ背後にいるものに何事かを叫ばれ、それに対して狼狽えているのだ。背後のものの雰囲気から、恨み言の類いであるのは間違いない。
 そんなふうに追い詰められる成瀬を見て、琴子の表情がさらに凛々しくなった。

「無理じゃない! 私がついてる! だから、怖くないよ!」

 そう言って琴子は、成瀬の背中を叩いた。一度だけではない、二度三度と繰り返しだ。
 そうして琴子が成瀬を叩くとき、琴子の後ろのゴツイ守護霊もまた、成瀬の背後のものを殴っていた。右ストレート、左ストレート、そしてトドメはアッパーだ。
 琴子に背中を叩かれた成瀬は突如ハッとなって、それから安堵したかのように涙を流した。背後にいた気味の悪いものも、すっかり雲散霧消してしまっていた。
 すべてを見届けても自分以外それを知る者がいないため、駿は手持ち無沙汰になった。だから仕方なく、成瀬の背中に何度かお清めスプレーを吹き付けておく。そんなことをしなくても大丈夫なのは、わかっているのだが。

「ていうか、こわたん先輩は何でこんなところにいるんですか?」

 落ち着くと、琴子は駿の存在に改めて気がついたらしい。胡乱げな目で、お清めスプレーを片手にへっぴり腰になっている駿を見つめる。助けてやったというのに、隣の成瀬も怪訝そうに見てきた。

「と、トイレに行こうとしたらコトラの声が聞こえた気がして、やばそうな空気だったから追いかけてきたんだよ」
「トイレ? 授業中に?」
「そ、そういうこともあるだろ?」

 駿の言い分に最初は疑うような視線を向けてきた二人だったが、少しして何だか可哀相なものを見る目に変わった。
 そして二人して手を取り合って、二階に戻るために階段を登り始めた。

「先輩も、ちゃんと教室に戻ってくださいね。……ちゃんとトイレに戻ってから」

 琴子はそう言うと、さっさと行ってしまった。
 残された駿は、やるせない気持ちになる。

「やだ俺……頻尿かお腹ゆるいやつだと思われたんだ……」