【1】


「下川くん。今から時間ある? 文化祭の出し物決めがあるんだけど」


 そろそろ風に湿気がまじり、初夏が近づいているのだと思わせる六月の季節。
 放課後を迎えた教室に、耳障りな生徒達の会話が飛び交う。

 盗み聞きすれば、大抵くだらない話ばかり。今日のドラマはなんたら。これから部活がうんたら。先輩かっこいい、後輩のあの子がかわいいのどうたら。聞きたくなくても聞こえる話に、舌打ちを鳴らしたくなる。

 そんな空間から早いところ抜け出そうとした矢先、ひとりの女子生徒が俺に声を掛けてきた。ずいぶんと怯えた顔で、こっちの様子を伺ってくる。
 怖いなら声を掛けてくるんじゃねーよ。ああくそ、めんどくせえな。

「あ。下川は忙しいよね。声を掛けてごめん」

 たぶん、見るからに不機嫌になっている俺に気付いたのか、その女の仲間が忘れてくれと両手を振ってくる。

 はあ、良かった。答える手間が省けた。
 俺はまったく口を利くことなく軽い睨みを飛ばすと、身支度を済ませて通学鞄を肩に掛ける。
 教室を出て行く際、あいつらの会話が耳に届いた。

「亜紀ちゃん。下川は駄目だって。放課後になると絶対に帰らなきゃいけない理由があるんだから。ほら、例の……」

「やっぱり噂は本当だったの? 下川くんの家って虐待」

 しーっ。片割れが声の大きさを注意している。
 そんなお前に俺は言いたい。どっちの声も丸聞こえだあほう。せめて俺がいなくなってから話せよ、そういう話。

(べつにどう思われても構わないけど。本当の話だし)

 廊下を出ると、行き交う生徒達が目に飛び込んでくる。
 数人は俺の存在に気付き、まるで汚れ物を見るような目を投げて、そそくさと左右に避けた。露骨だなおい。

 ああ。でも、いじめの対象になっているわけじゃない。
 ただ、俺の噂を耳にした奴等が揃いも揃って、関わりを持ちたくないと避けているだけ。現在進行形で虐待されている人間に、だあれも関わりたくないってわけだ。

 あれだあれ、皆さま自分が可愛いんだろうな。俺だって自分が可愛い。明らかにめんどうな奴と、好きこのんでオトモダチになろうとは思わない。まあオトモダチはいないんですが。

 学校にいる大半は、俺に話し掛ける生徒なんざいねえし。