「兄貴に調教されているようだから、どの程度なのか、ちと試しただけだ。兄貴なら平気なんだろ?」

 だとしたら、やっぱりお前は重症で異常なガキだと皮肉り、おれの肩に手を置く。
 じゃらり。手錠の掛かった両手で、反射的にその手を叩き落とす。触るなと態度で示した。いい子を演じるなんて到底無理だった。

「なるほどね、兄貴じゃないとだめってわけね」

 鳥井さんは想定の範囲だったのか、驚くことも怒ることもなく、手錠のつなぎを掴むと、強引に車の後部席までおれを移動させた。
 早鐘のように鼓動が鳴る。とてつもなく嫌な予感がした。

 後部席に押し込もうとする鳥井さんに向かって、首を横に振り、乗りたくないと主張する。
 まったく聞く気がない鳥井さんは、軽々とひとの体を持ち上げて一緒に車内へ。

「男……趣味じゃねえだけどな」

 面倒くさそうにため息をつきながら後部席を倒し、足用の手錠をおれの足に掛けて自由を奪うと、「適当に分からせるぜ」と言って、おれの体に乗っかった。

(まずい。これはだめだ、絶対にだめなやつだ)

 身の危険を感じたおれは、鳥井さんから逃げようと体を捩るけど、まったく動けず、不自由な手足をばたばたさせることしかできない。

「やっと俺に怯えたな。気づいているか? お前、俺が攫って一度も怯えていないんだぜ?」

 そんなことはないと思うんだけど、鳥井さんは露骨に怯えることはなかった、と俺に語る。 

 暴力を振るった時も、通り魔だと正体を明かした時も、ちっとも怯える様子がなかった。スタンガンを自分に当てた時なんて、その痛みを不気味なくらい嬉しそうに感じていた。
 それはきっと今までいた環境がそうさせたのだろう。そして異常なほど他人に触れられることを嫌悪する心も、過ごしてきた環境と教育の賜物だろう。

「だからこそ今、仇になっている。お前は他人から触られる。大好きな兄貴じゃなくて、俺に。可哀想にな」

 鳥井さんはひとつ(わら)うと、おれの首に顔を埋めながら、服をたくし上げて脇腹を触ってくる。首には生温かい舌が這い始めた。
 それだけで気持ち悪くなったおれは下唇を噛み締めた。つよく噛み締めすぎて血の味がしたけど構わなかった。感触に悶えるくらいなら、痛みで悶えた方がマシだと思った。ああ、早く終われ、おわれ! おわれ!

 気をしっかり持とうと、心中で何度も終わりを祈った。

 そうだ。
 これは悪夢だ地獄だ冷たい世界だ。
 お母さんに殴られ続けた、あの世界と同じ世界。
 お母さんはおれが悪い子だからいっぱい殴った。すぐに泣くからイライラすると言った。甘えたのくそったれだといつも毒づいていた。おれだって泣き虫毛虫な自分が嫌いで嫌いで。
 そんなおれを兄さまだけが受け入れてくれた。泣き虫毛虫のおれに大好きだと言って、笑い掛けて、愛してくれた。いつもお母さんからおれを守ってくれた。

 兄さまがいなかったら、おれはこの世にいない。殴り殺されていた。
 ああ、おれの命は兄さまに生かされた命。だから全部兄さまのために使わなきゃ。
 兄さまがおれを欲しいというのなら、おれは全部あげる。兄さまに全部あげる。やってほしいことは全部叶えたい。