(那智の口から、こんなかわいい言葉が聞ける日がくるなんてな)

 つくづく思う、那智はまぎれもなく血を分けた俺の弟だって。手塩に育ててきた甲斐がある。
 とはいえ、とはいえだ。

「那智。俺はお前が傷付くことを望まねえ。体格差で負けると分かった時点で引け」

「えー? 引いちゃうんですか?」

 脹れ面を作る那智にしっかりと釘を刺す。

「努力してもどうにもならねえことがある。お前の体格は親父や俺のように、でかくなれるか分からない。どっちかっていうと那智はババア似だ。容姿はもちろん体格的も華奢だしな」

「勝ち目はないってことですか?」

「正面勝負に持ち込むなってことだ。勝ちてえなら引くことを覚えろ。それも大事な駆け引きの一つだ。負け試合と分かっているのに、正面から突っ込むなんてばかがすることだ。お前はお前のやり方で勝負するべきだ」

「おれのやり方で……」

「例えば、兄さまを例に出すぞ。兄さまはこの生活を勝ち取るため、ババアや親父に正面切って勝負をしたことがねえ。なんでだと思う? 大人の悪知恵に負けると分かっていたからだ」

 両親に事がばれちまったら、あいつらは財力と暴力で屈そうとする。俺はそれを知っていた。
 大人は金を持っている。金は人を動かせる。力を持つ人間を呼びよせることができる。
 そうなれば俺に勝ち目はない。粋がっても所詮、当時の俺は高校生のガキ。大人に勝てるだけの力は持っていなかった。

 だから俺は暴力に耐えながら、作戦を練って機会を狙っていた。あいつらを不意打ちで屈せる機会を。俺と弟の自由を勝ち取るために。

 那智の努力したい気持ちは分かるが世の中、それだけじゃ通じないことが多い。

「兄さまは兄さまのやり方でお父さんやお母さんに勝った、ということですよね」

「ああ。いくら腕っぷしがあっても、両親相手じゃ一筋縄じゃいかないって分かっていたからな」

「……すごいなあ。兄さまは本当にアタマがいい。ねえ、兄さまはどうしてそんなに賢いんですか? どうやってアタマが良くなったんですか? 参考になる本でも読んだんですか?」

 矢継ぎ早に質問してくる那智は、本当に『弱点』とやらを無くしたいんだろう。弟の本気を感じる。
 俺は小さく噴き出すと那智の両頬を包んで、むにゃむにゃに揉んでやった。

「本も何も読んでねえよ。お前がいたから必死こいて考えただけだ」

 そう、俺がここまで努力できたのは弟の存在があってこそ。
 那智は俺を強いだの賢いだの称賛してくれるが、俺は言われるほど強くも賢くもねえ。ただただ弟と二人で一緒に暮らせる自由が欲しい。その一心で努力しただけのこと。

 「お前の存在が俺を強くさせただけだよ」と言って、俺は那智の額に自分の額をこすり合わせる。


「お前の気持ちはよく分かった。だけど、焦るなよ。那智は那智のやり方で努力すればいい。ああ、だけど無理だけはするな。他人から傷をもらってくれるな。俺が嫉妬しちまうだろう」


 かわいい弟は腕を組んで考え込んでしまった。
 泣き虫毛虫を卒業したい。『弱点』を無くしたい。心に決めた目標はぜんぶ達成したい。

 だけど自分のやり方で勝負しないと正面勝負じゃ勝てない。どうすればいいんだろう。色んな感情が混じっているようで、それはそれは低い声で唸って悩んでいた。