事件以来、那智は車いす生活を強いられている。

 それは那智にとって多大なストレスになっていることを俺は知っていた。
 だからこそ病院の中庭を散歩させて、少しでも笑顔になってもらおうと思っていたのに。

 どんなに俺が大丈夫だと言っても、那智は俺に遠慮して散歩に行きたがらなくなってしまった。

(那智は散歩をすげぇ楽しみにしてた。俺も喜ぶ顔が見たくて外に連れ出してたっつーのに)

 ああくそ、あの記者ども、どうしてくれようか!
 被害者に突撃してくるなんて道徳心ってのが無いのかよ。そりゃ俺も弟以外の人間には、爪先も道徳心ってのはねえが、この仕打ちはあんまりじゃねーかよ。

 行き場のない苛立ちが日本の報道の在り方に結びつき、俺はニュース報道を見る度にストレスを溜めることになった。
 だったら見るなって話なんだろうが……気になるじゃねーかよ。弟の報道なんだから。もちろん那智が寝ている時にこっそりと見ている。こんなん那智に見せられるかよ。

 SNSにも話題にあがっていると聞いたから、これまたこっそり見たんだが、見事に弟の実名が流出していた。
 まじで気が遠のきそうだった。

 特定されているせいで、すっかり那智は有名人だ。どうしてやったらいいんだよ、これ。


(俺も親父にぶん殴られたことせいで、実名が流出したようだけど……那智と比べたら雲泥の差だな)


 親父のことを思い出すと、これまた腸が煮えくり返りそうになる。
 あンのクソ親父、いきなりヒトの頭をかち割りやがって。おかげ4針縫う羽目になったじゃねえか!

 それだけじゃ飽き足らず、親父のせいで那智の傷口が開きかけるわ。首に深い引っ掻き傷ができるわ。高い熱は出るわ。俺がそのイカレた頭をカチ割ってやろうか? くそったれめ。

 その一方、俺は益田から当時の那智の行動について、こんなことを聞いた。


『坊主はおめぇさんを守るために、殺意のある人間の前に飛び出した。あんなの自殺行為も同然だ。俺から首を刺したが、おめぇからもきつく言っておいてくれ。俺よりもずっと素直に聞くだろう――あの時の坊主は恐怖も何も感じていない様子だった』


 恐怖も何も、か……。

 俺は冷蔵庫からオレンジジュースのパックを取り出すと、それを持って那智の下へ向かう。

 転院後も那智の病室は個室だ。
 転院前の病室のように、ソファーやミニキッチンや風呂がついているおかげで、俺は那智の看護をしながらここで寝泊まりしている。
 世間を賑わせているせいで、警察の警護がオプションでついているが、じつに快適な生活だ。

 だけど那智はあんまり良く思っていないようで、早く元気になって退院したいと口癖のように言っている。
 その理由は表立って口にしていないが、俺が理由に絡んでいるのはすぐに分かった。何も言ってこないけど、醸し出す空気が物語っていた。