「お前が信じて良いのは兄さま、ただ一人だ。いいな?」
幼い頃から言い聞かせている魔法の呪文は、簡単に弟に掛かってくれる。
那智は大きくうんっと頷き、お約束だと小指を立てた。
その言葉の意味の重要性を、小学生の弟には理解できていないだろう。
ただ俺が言ったから、それが正しいのだと思っている。
それでいい。那智は俺さえ信じてくれたら、それでいいよ。
「あ。兄さまに見せたいものがあるんです」
いつもの調子を取り戻した那智が、俺の膝から飛び出す。
向かった先は、四隅に放置されたランドセル。教科書や筆箱を出した後、俺に隠すように両手でそれを持ち、駆け足で戻って来た。
「今日の給食、メロンパンだったんです。一緒に食べましょう」
こんな環境で暮らしている俺達にとって、甘味ほど貴重なものはない。
特に那智は甘い物が大好きで、時々母親の目を盗んでスティックシュガーを取ってくることがある。
菓子に手を付ければ、すぐにばれるからと、弟なりに知恵を働かせての行為だ。珈琲や紅茶に入れるスティックシュガーなら、一々数を確かめることも少ないからな。
そんな那智がメロンパンを持ち帰って来た。
俺と一緒に食べたいために、必死に我慢してランドセルに忍ばせたんだろう。ひとりで食べたって誰も何も言わないのに、こういうところが那智の優しいところなんだろう。
俺は大袈裟に驚いてみせた。
「メロンパンじゃねーか。久しぶりに見たな。いいのか? 那智。兄さまも一緒に食べて」
「はい。美味しい物は半分こにしたいじゃないですか」
兄を喜ばせたい気持ちを全面に出してくる那智に気付き、「サンキュ」俺は嬉しいと微笑みを向ける。それだけで、那智はくすぐったそうに笑った。
「じゃあ定規を持ってこい。兄さまが半分にしてやるから」
「じょーぎ? メロンパンの大きさを測るんですか?」
「はは。なんだ、那智は知らないのか? いいから定規を持ってこいって」
言われるがまま、那智は筆箱の中に入っている定規を持って来る。
それを受け取った俺は、袋の上から定規を当てて半分に割った。
ちょい潰れちまったけど、大きさは殆ど同じだろう。
「わぁあ! 綺麗に割れた!」
「定規ってのは測るだけの道具じゃない。工夫次第で、切る道具になるんだ。こうしてパンを割ることもできるし、紙を切ることもできるんだぜ?」
「えー? おれ、定規は一つしか持っていませんよ」
那智の想像の中では、ハサミのように定規を使うのだと思っているようだ。小学生らしい発想に笑い、俺はいらないプリントを使って紙を切ってみせた。
定規をしっかり押さえ、切りたい箇所を切るために、紙を手前に引くだけの簡単な作業だが、それだけで那智は目を輝かせた。
「兄さま、兄さま。おれもしたいです」
定規を渡してやると、新しい玩具を見つけたように紙を切って遊び始める。さっそくメロンパンは放置かよ。俺と一緒に食べたかったんじゃねーの?
「あ。これ、宿題のプリントでした」
しかも、夢中になり過ぎて宿題のプリントを切りやがる。
「おいおい那智。宿題を切ってどうするんだよ」
「うーん……兄さま。定規でなんとかなりません?」
無茶ぶりもいいところだ。
さすがにそれをくっ付けてやることは、テープでもない限りだ。那智もそれが分かっていて、話を振っているんだろう。
さっきまでビィビィ泣いていたくせに、生意気だなおい。
真っ二つになった宿題のプリントを、さして問題視することもなく那智は定規をその場に置くと、思い出したかのようにメロンパンの袋を開ける。
綺麗に割れたパンの片割れを俺に差し出し、もう一切れに勢い良くかぶりついた。
それは、それは幸せそうに頬張っている。
(もっと那智に色んなパンを食べさせてやりたいな。きっと、大喜びで食いつくはずだ。こんな生活を強いられているせいで、那智は満足にパンも菓子も食べられない)
俺だって、好きな食事にありつくことができない。
周りの人間達のように、あれこれ自由に献立を決めて悩んでみたい。
食べたい時に肉を食べたり、魚を食べたり、菓子にありつきたい。
周りの人間から見れば、俺達は大層惨めな人間として哀れみの目を向けられるんだろう。
冗談じゃねえ。俺達は惨めな人間で終わらせるつもりなんざねえよ。
(我慢だ。今は母さんの暴力にも、父さんの無関心にも、周囲の目にも全部我慢する時なんだ)
いつまでも、素直な都合のいい玩具だと思うなよ。クソババア。
「美味しいですね。兄さま」
宙を睨んでいると、那智があどけない顔で言葉を掛けてきた。
我に返った俺は、メロンパンをかじって美味しいと返す。
口の中に広がる甘味が、心に秘めている決意を固めた。
そうだ。俺達はいつか自由を手に入れるんだ。
俺はこの家を出て、那智とふたりで生きていく。
ひとりじゃ孤独に殺されそうだけど、ふたりなら乗り越えられるはずだ。
自由の先には、素晴らしい幸せな世界が待っている。周りの人間達と同じように、普通の暮らしに喜怒哀楽する自分がいる。そうに違いない。
「んー……」
メロンパンを食べ終わった那智が眠そうに目をこすっていた。
少し寝てろと声を掛け、膝を貸してやる。泣いたり、はしゃいだり、短時間で感情をたくさん出したせいだろう。そう時間を掛けずに夢路を歩き始めた。
「兄さま。ぽんぽんして」
母親の愛情を一切得られなかった俺と那智だ。
兄弟の間で、幼児のように甘えることもよくあること。俺は着ているブレザーを掛けてやると、那智の腹を叩いてやる。
その安らかな寝顔に頬を崩し、残り少ないメロンパンを口に押し込んだ。
「那智。お前は兄さまの傍にいろ。それだけでいい。あとは俺が上手くやってやる」
いや、那智は俺の傍にいないといけない。
それは絶対だ。
何があろうと、それだけは覆しちゃなんねえ。もし、それが覆れば――俺はお前に何をするか分からねーや。お前を心の底から深く愛しているからこそ、な。
「さてと。どうするかな」
那智の腹を叩きながら、俺はカーテンのない窓の向こうを見つめる。強い夕陽が目を射してくる。それに目を細めながら、いつまでも那智の腹を叩き続けた。
今夜も、俺は那智が自由を手に入れる方法を考える。
高校一年、梅雨入り前のことだった。
【2】
「いいか、那智。兄さまが来るまで、この兄ちゃんとおとなしく部屋にいるんだ。大丈夫、ちゃんと迎えに来るから」
おれが六年生になった、夏休みの初日。
いつもと違う朝を迎えたおれは、大きな不安を抱いていた。
夏休みといえば小学生にとって嬉しいお休みだけど、おれ達兄弟にとって憂鬱でしかない時期。
朝から晩まで家にいるということは、お母さんに虐められる時間が増えるということ。
学校に行っている間は、少なくともお母さんの目がない。お友達の変な目はあるけど、手をあげられよりかはずっとマシだ。
だから今年も、夏休みが来ると悲しくて、怖くて、苦しくて、涙が出そうになった。
一ヶ月以上も、一日中お母さんに虐められる時間があるんだから。
だけど、今年の夏休みは違った。
「那智。起きろ。出掛けるぞ」
朝六時半に起こされたおれは、寝ぼけたまま着替えを済ませ、兄さまと公園へ向かった。
てっきり、お母さんが虐めてくる前に外へ連れ出してくれたんだと思ったんだけど、目的地に着いてびっくり。
「よお、治樹。そいつがお前の弟か?」
知らないお兄さん達がバイクに乗って、兄さまを待っていた。
しかも髪の色が赤とか、青とか、黄色とかあって変。信号機みたいな色をしている。ぜったい怖いお兄さんだ。そうだ。そうに違いない。
虐められないように兄さまの後ろに隠れると、お兄さん達に笑われた。
ばかにした笑いじゃないことだけは分かったけど、でも、うん……怖い。兄さまのお友達なのかな? 訳が分からない。
「お前の弟に見せなくていいの? これから始まるショーを」
「弟に見せる価値もねーよ。刺激があり過ぎて、怖い思い出にされても困るしな」
兄さまはお兄さん達と話して、しかもその一人におれをあずけると言った。
絶対に弟には手を出すなよ、と釘を刺して。
こうして、冒頭で言われた台詞を兄さまに向けられ、おれは知らないお兄さんの部屋で半日を過ごすことになる。
赤い頭のお兄さんは見かけによらず、とても優しかった。
人見知りが激しくて、まったく喋れないおれに温かいご飯を出してくれたし、テレビや漫画も見せてくれた。ゲームだって触らせてくれた。他人なのに、どうして、この人はここまで優しくしてくれるんだろう?
お菓子は何がいいかと聞かれて、それに答えた時はちょっと困った顔をされた。
「坊主。スティックシュガーはお菓子じゃないぜ」
お菓子だと思っていたおれは、はじめて、それがお菓子じゃないことを知った。
そうなんだ。
紅茶や珈琲に入れるものとは知っていたけど、甘いからお菓子だと思っていたよ。お砂糖はお菓子じゃないんだ。美味しいんだけどなぁ。
夕方になると約束通り、兄さまが迎えに来てくれた。
なんだか嬉しいことがあったみたいで、兄さまはすごく上機嫌だった。
一緒に部屋に上がってきた、お兄さん達にこんなことを言う。
「お前らな。もう少し手加減してやれって。びっくりするくれぇ泣いてたじゃねーか」
「なに言ってるんだ。治樹、お前が一番えぐかったぜ。まさか、アイロンが出てくるなんざ思わなかったぞ。声が近所に響いていたんじゃねーの?」
「いつものことだって、近所の人間は無視するだろうさ」
そんな会話を、げらげらと笑うお兄さん達と交わしていた。どういう意味なのか、おれにはさっぱりだった。
マンションを出ると、おれは兄さまと手を繋いで家に向かう。
その途中、兄さまはコンビニへ寄った。そこでおれに食べたいものを選ぶよう言ってくる。
兄さま、またお母さんのお金をくすねてきたのかな。
買ってくれるのは嬉しいけど、見つかった時が怖いから、安いものにしよう。お母さんに見つからない小さなもので、兄さまと半分にできるものがいいな。チョコレートとかよさげかな。
そんなことを考えていると、カゴを持った兄さまが次から次にパンやカップ麺を放り込む。え、ええ? そんなに買ったら、お母さんにばれちゃうよ。
「んー。取りあえず、明日の朝食は食パンにすっかな。あ、ジャムあったっけな」
「兄さま……」
「どうした? 那智」
どうした、じゃないよ。
「いっぱい買う……みたいですけど」
カゴと兄さまを見比べる。
これを全部お腹に隠して家に入るのかな。誤魔化せるかな。
「ああ。これから夏休みだし、朝飯や昼飯を買い溜めしようと思ってさ。夜はどこかに食いに行ってもいいし」
食べに行く? 耳を疑った。
「だめですよ。夜の七時以降は、お家から出ちゃいけないってお母さんが」
「兄さまが許す。もう、母さんなんざ怖くねーよ」
にったり。
兄さまが満面の笑みを浮かべて、おれの頭に手を置いた。お母さんが怖くない。それってどういうことなんだろう。ちんぷんかんぷんだ。
戸惑うおれに、「ほら。食べたいものを選べって」と言われたから、兄さまを信じて好きな物を選んだ。
大きなメロンパン。
これなら、兄さまと半分こできるし、お腹にも溜まりそうだから。
「後で半分こしましょ」
メロンパンを兄さまに見せると、嬉しそうな、だけど少しだけ困ったような顔を作って頭を撫でてくる。
「那智はいつも、兄さまと半分こしてくれるんだな。たまには、那智ひとりで食べてもいいんだぞ?」
「どうして? 美味しい物は兄さまと一緒に食べたいですよ?」
兄さまだって、いつもおれと半分こしてくれる。おにぎりも、お菓子も、お茶も。お布団だって、兄さまの体の方が大きいのに、おれと半分こしてくれる。
そんな優しい兄さまが、おれは大好きなんだ。おれも同じことをしたい。
「あ、もしかしてあんパンがいいです? だったら、あんパンにします」
メロンパンからあんパンに持ち買えると、兄さまは両方カゴに放り込んだ。
「どっちも半分こしよう。那智と一緒に食べたら、きっと美味いんだろうな」
レジでお会計を済ませると、兄さまはおれの手を引いて、今度こそ帰り道を辿って行く。
見覚えある光景が近づくにつれて、気持ちが沈んでいくのが分かる。
お母さんに見つからないといいな。きゅっ、と手を握り締めると、兄さまが大丈夫だと目尻を下げた。
「なにも怖くない。那智には兄さまがついているから」
今日の兄さまは、なんというか、うーんっと……なんて言うんだろう。すごく穏やかだ。お母さんに逆らうことをしても笑顔。ヨユーがあるように見える。
どうして、そんな顔をしているのか。おれが意味を理解するのは、家に帰ってすぐのこと。
玄関で靴を脱ぐおれよりも先に、兄さまがリビングに入っていく。
急いで後を追うと、中から怒鳴り声が聞こえた。聞きなれたお母さんの声じゃない。大好きな兄さまの声だった。リビング手前で足を止めてしまう。
「まだ、片付けが終わってねーのかよ。俺は言ったよな。帰って来るまでに終わらせておけって。はあ、怪我? あんたがいつも、俺達に言い訳すんなって言ってたじゃねーか」
荒々しい口調と共に、マグカップらしき物を投げつける音が聞こえてくる。
ちょっとだけ扉を開けて中を確認すると、お母さんが兄さまに『許して』と言っていた。
あのお母さんが、兄さまに向かって。おれ達がいつも口にする言葉を、お母さんが言っているなんて。
しかも、ボロボロだ。
お母さんはとっかえひっかえ彼氏さんを作っている、それなりに美人さん。
なにより顔と肌を命にしていて、すごく化粧品にこだわっている人なんだけど……その人の頬に痣ができていた。
涙を浮かべて、兄さまに『許して』と言った。あの怪我は兄さまが仕業なんだ。
「那智。あんた、帰っていたのか」
扉の隙間からおれの姿を見つけたお母さんが、兄さまを押しのけて駆け寄ってくる。
「あ、てめっ!」
兄さまの怒鳴り声を振り払い、お母さんがおれの両肩に手を置いた。
ひっ、声が出なくなってしまう。お母さんが目の前にいるだけで、おれの体がこわばった。
「治樹がおかしくなった。お母さんの言うことを聞かなくなった。あいつは悪い子になったんだ。あんたなら分かるよな、この意味」
分からない。お母さん、分からないよ。意味が分からないよ。
「あんたもお願いするんだ。お母さんを叩くなって、これは悪いことなんだって。弟のあんたが言えば、あいつは正気に戻る。ほら、那智」
迫るお母さんが怖くてこわくて。体の芯が震えてしまった。
兄さまは悪い子じゃないよ。おかしくもないよ。
今日の兄さまは、確かにちょっと変だな、と思っていたけど、でもすごく機嫌が良かった。いつも以上に優しかった。
「あんたは、お母さんの味方だよな」
小学生のおれにだって、この状況くらい分かる。
お母さんはおれに、お前は私の味方になれ、と命令している。これ以上、兄さまからひどいことをされないために。
不思議と気持ちが落ち着く。
毎日のように怯えていた、その目をそっと見つめ返して、おれは答えた。
「おれは……おれは兄さまの味方です。おれが大好きなのはお母さんじゃない、兄さまです」
はじめてお母さんの命令に逆らった。
けれど、これで良いんだと思えた。
うそでも、お母さんの味方になんてなりたくない。
おれは痛いのも嫌いだし、怖いのも嫌いだ。お母さんはおれに嫌なことばかりしてきた。泣いて許してと言っても、嫌いなことばかりしてきたのはお母さんだ。
そんなお母さんの味方にどうしてならなきゃいけないの?
「おかしいのはお母さんです」
呆然とするお母さんの手を振り払い、おれは兄さまの下に走った。
腰に抱きついて甘えると、頭にやさしい手が置かれる。見上げると、満足気に口角を持ち上げている兄さまのお顔がそこにはあった。
「那智。いい子だ」
本当にいい子だと褒めてくれる兄さまは、おれに少しだけ、キッチンにいてくれるよう頼んでくる。
そして冷蔵庫の前に座り、耳と目を塞いでおくよう指示した。
「兄さまが良いと言うまで、そうしておいてくれ。お前を怖がらせたくないんだ」
くしゃくしゃに頭を撫でられると、うんとしか言えない。
おれはキッチンに入り、言われた通りに冷蔵庫の前に座る。
でも、耳と目は塞がなかった。どうしても兄さまが気になったから。
「おいおい。どこに行くんだ? お母さま。逃げるんじゃねーよ」
笑い声がひとつ。
「た、たすけて」
怯える声がひとつ。
「なにビビッてやがる。あんたが、俺の体に教えてくれたんだぜ? 気に食わないことがあれば暴力でねじ伏せるって。腹が立てば、暴言を吐いて蹴り飛ばせばいいって」
フローリングに叩きつけられる物音。お母さんの悲鳴と、兄さまの楽しそうな笑声。おれは冷蔵庫に寄りかかり、それらの音に耳をすませた。
「那智を味方にしようなんざ無駄だ。あいつは俺が必死に守り続けた、たった一人の家族。あんたになんかやんねーんだよ。那智は、弟は、あいつだけは俺を裏切らないっ」
お母さんが虐められ、兄さまが虐めている。
その現実を理解したおれは、自然と涙がこぼれた。こわいんじゃない。うれしいんだ。今日を持って、お母さんに怯える日は終わるんだ。お母さんに命令される日が終わる。それがどんなに幸せなことか。
おれは泣いた。お母さんの悲鳴を聞きながら、兄さまの暴言を聞きながら、崩れた日常を前に声を殺して泣いた。
狂った状況だったけど、まぎれもなく、おれはうれし泣きをこぼしていた。
その日を境に、お母さんと兄さまの立場は逆転する。
虐められていた子どもから、支配する子どもになり、お母さんを徹底的に管理していた。
いつも口酸っぱく言われていた七時以降の外出禁止、九時以降は自室待機、食事と風呂の用意を強いて、何かあれば命令をする。
夏休みの期間だから、朝から晩まで兄さまはお母さんに目を光らせていた。
兄さまは何も言わないけど、あの怖いお兄さん達とお母さんを虐めたんだと思う。うん。たぶんそう。お母さんの怯えっぷりを見ていると。
おれを見るだけで、部屋にこもっちゃうんだから、ものすごいことをされたんだと思う。
あの怖いお兄さん達は、どうも不良さんらしくて、兄さまはその人達とつるんでいるらしい。
でも、友達じゃないんだって。きっと兄さまが、お母さんの立場を奪うために、その人達の仲間になっていたんだと思う。難しい話は、よく分かんないけど。
「那智。夏祭りに行ってみねーか? せっかくの夏休みなんだし」
夏休みの間、兄さまは受験勉強をしながらも、おれに沢山構ってくれた。
一緒にリビングでテレビを観たり、その部屋の冷房に涼んだり、ご飯を作ったり。
縁のなかった夏祭りにも連れてってくれた。憧れていた綿菓子やりんご飴、ヨーヨーを買ってもらった。帰りに花火を買って庭で遊んだ。
あんなに怖いと思っていた夏休みが、こんなにも楽しい日になるなんて思いもしなかった。
「見て見て。兄さま、二刀流!」
花火を二本持って振り回すおれに、「那智。甘いな」と言って、兄さまは花火を四本も持った。
「こっちは四刀流だぜ」
自慢気に返してきた。
二人して、花火を振り回しては笑っていた。
「最後は線香花火だ。那智、どっちが長く花火を持たせられるか勝負しようぜ」
「わっ、楽しそうです!」
「負けた奴は勝った奴の命令を一個聞くってのはどうだ?」
「ええっ、絶対に負けられないじゃないですか!」
ぶうぶう文句を言いながら、勝負をすると、やっぱりおれが負ける。そんな予感はしていたんだ。だって相手は兄さまだし。兄さまに勝てる気がしないし。
「よし、俺が命令な。んー、そうだな……那智、俺の背中に乗れ」
「え? 背中?」
「ほら、命令だぞ」
首を傾げながら、しゃがむ兄さまの背中に乗ると、そのままおんぶをされた。
そして庭を走り回ってくれる。それがすごく楽しくて、楽しくて、おれは嬉しい声を上げながら兄さまの背中にしがみついた。
休み中のおれは笑いっぱなしで、兄さまと笑ってばっかりだった。