まるで神仙の世界を再現したかのような後宮の庭園が紅葉の色に染まってきた、ある日のこと。
妃嬪達が何やらクスクスと嫌な笑いを浮かべながら、茂みから出てくる場面に出くわした。
「こんんな丸々と太った白ネコ、可愛くないったらありゃしない」
「頭の模様も愛らしくもなんともなくてよ」
「あやかしの類いかもしれなくてよ。道士達の代わりに私たちが成敗してやったと思ったら良いわ」
「ふふふ、そうね」
私は近くの茂みにさっと身を潜めると、彼女たちの声が聞こえる場所へと視線を移した。
どうやら丞相の娘・曹貴妃が先導しているようだ。
(一体全体、何……?)
閉ざされた空間では女性同士の虐めの類いが起こりやすい。
時折、自分達の鬱憤晴らしに、家格の高い妃が低い妃をいじめることがあるのだ。
麗華はそんな彼女達に巻き込まれないように細心の注意を払ってきていた。だけど、生家での自分の暮らしのことを思い出して、酷い目に合っている女性達には声を掛けて励ますこともあった。
(また誰か家格の低い女性がいじめられているの?)
その時。
「……にゃあ……」
――動物と思しき鳴き声が聞えてくるではないか。
(え……? まさか……)
白い何かが、茂みの向こうにいるのを見つけてしまう。
「猫じゃない……!」
地面を見やれば――頭に黒い縞模様がついた猫が倒れ伏していた。
白い毛並みが赤い血でぐっしょりと濡れてしまっていた。
今にも死にそうな猫を、丞相の娘である曹貴妃たちが棒で打ち付けていたのだ。
いや、もしかしたら彼女たちが棒で打ち付けたから血を流しているのだろうか?
まさか、人間に飽きたらず、動物にまで虐待をするような女性達がいるなんて……。
義母といい、人はなんて恐ろしい生き物なのだろう。
(放ってはおけない……!!)
平穏な暮らしのために、このまま見ず知らずで過ごした方が良いなんて、そんな考えは浮かびもしなかった。
「止めてください!!」
すると、曹貴妃が棒で打つのをやめて、こちらを見て眉をひそめてくる。
驚鵠馨に結い上げた漆黒の髪に金の豪奢な簪を挿している。キリリとした蛾眉の間の額には、雫を模した赤い花鈿が描かれており、唇は流行を取り入れた朱脣が塗られている。柘榴紅の上衣に瑠璃藍の裙を履きこなしており、圧倒的な美しさを誇っていた。
「ふん、誰か知らないけれど、見の程知らずも良いところね。まあ良いわ、行きましょう」
それだけ吐き捨てると、彼女は他の妃嬪達を連れてどこかに行ってしまった。
私は赤ん坊程の大きさの白猫の元へと駆けつける。
一張羅である碧色の上衣の裾をビリビリと破り捨てると、傷口に直接当てて止血をはじめる。
大声で呼んだが、どうやら近くに宦官達はいないようだ。
「私がどうにかするしかない……? 動物だけれど、侍医なら分かる……?」
この白猫は下手をしたら、神聖な後宮を汚した存在だと、ますます棒で撃たれたり処刑されたりするかもしれない。
いいや、それ以前に、この白猫は死んでしまうかもしれないのだ。
「絶対に私が助けてあげる……!」
血で衣服が汚れるのも忘れて、私は猫にしては少しだけ大きな身体の生き物をぐいっと抱える。
なるべく揺さぶらないようにして、私はその場を駆け出そうとしたのだけれど――。
「待て……動かさないでほしい」
「ひゃあっ……!」
突然、女性か男性かは分からないけれど――声がするものだから、思わず悲鳴を上げてしまった。
白猫を護らないといけないと思って、腕にぎゅっと力がこもる。
だが、キョロキョロと周囲を見回すがどこにも姿はない。
「ここだよ……」
声がしてくる腕の中へと視線を向ける。
「そんな……まさか……」
「ああ、やっと気がついてくれたんだね?」
どう考えても白猫が口を開いて喋っているではないか――!
どうやら人語を喋る白猫のようだ。
(まさか、さっき妃嬪達が言っていたように、あやかしの類いだというの……?)
小刻みに身体が震えはじめる。
すると、諭すような口調で白猫が声をかけてきた。
「落ち着いて。貴女に危害を加えたりはしない」
「……本当に?」
「本当です」
白猫からは怪しい感じはしない。
しっかり観察したところ、どうやら頭に黒い縞模様があるようだ。
それに――。
この白猫を抱えていたら、なぜだか懐かしい感覚に包み込まれていくのはなぜだろうか?
「後宮ではあまり見かけない顔ですが……お名前は……?」
白猫に問いかけられ、私はたじたじになって返答する。
あやかしの類かもしれないけれど、名乗っても大丈夫なものなのだろうか?
私はゴクリと唾を飲み込むと名乗りを上げる。
「え……ええっと……麗華と申します……」
すると、白猫の声が少しだけ高くなる。
どことなく上機嫌な様子だ。
「麗華! そうか、やはり貴女は……!」
白猫の反応を見て、なんだろうかと気にはなったものの、はたと大事なことに気付く。
「あ、そうです! 怪我をしているから、動物が見れる侍医に診てもらいましょう」
「いいえ、麗華、貴女の神聖な気のおかげで、私はもう問題ない」
「え?」
道士でもない私に神聖な気などあるはずもないのに。
しかしながら、猫の身体を見れば、立ち所に傷が塞がってしまっているではないか。
「怪我が治っている……?」
私は今の今まで幻覚でも見ていたのだろうか?
「助かったよ、礼を言う。ありがとう。それではまた」
それだけ言い残すと、白猫は私の腕の中をすり抜けて、宮殿の方角へと姿を消したのだった。



