後宮の庭園が紅葉に染まってきた、ある日のこと。
妃嬪達が何やらクスクスと嫌な笑いを浮かべながら、茂みから出てくる場面に出くわした。
「こんんな丸々と太った白ネコ、可愛くないったらありゃしない」
「頭の模様も愛らしくもなんともなくてよ」
「あやかしの類いかもしれなくてよ。道士達の代わりに私たちが成敗してやったと思ったら良いわ」
「ふふふ、そうね」
(一体全体、何……?)
閉ざされた空間では女性同士の虐めの類いが起こりやすい。
時折、自分達の鬱憤晴らしに、家格の高い妃が低い妃をいじめることがあるのだ。
麗華はそんな彼女達に巻き込まれないように細心の注意を払ってきていた。だけど、生家での自分の暮らしのことを思い出して、酷い目に合っている女性達には声を掛けて励ますこともあった。
また誰か家格の低い女性がいじめられているのだろうか――?
そう思っていた、その時――。
「……にゃあ……」
――何かの鳴き声が聞えてくるではないか。
(え……? まさか……)
白い何かが、茂みの向こうに倒れているのを見つけてしまう。
「猫じゃない……!」
地面を見遣れば、頭に黒い縞模様がついた猫に気づく。
白い毛並みを紅い血がぐっしょりと濡れてしまっていた。
そんな今にも死にそうな猫を、丞相の娘である曹貴妃が棒で打ち付けていたのだ。
まさか、人間に飽きたらず、動物にまで虐待をするような女性達がいるなんて――。
義母といい、人はなんて恐ろしい生き物なのだろう。
(放ってはおけない……!!)
平穏な暮らしのために、このまま身を引いた方が良いなんて、そんな考えは浮かびもしなかった。
「止めてください!!」
すると、曹貴妃が棒で打つのをやめて、こちらを見て眉をひそめてくる。
「ふん、誰か知らないけれど、見の程知らずも良いところね――まあ良いわ、行きましょう」
それだけ吐き捨てると、彼女は他の妃嬪達を連れてどこかに行ってしまった。
私は白猫の元へと駆けつける。
赤ん坊程の大きさがあるではないか。
一張羅であるウグイス色の襦の裾をビリビリと破り捨てると、傷口に直接当てて止血をはじめる。
大声で呼んだが、どうやら近くに宦官達はいないようだ。
「私がどうにかするしかない……? 動物だけれど、侍医なら分かる……?」
この猫は下手をしたら、神聖な後宮を汚した存在だと、棒で撃たれたり処刑されたりするかもしれない。
いいや、それ以前に、この巨大な白ネコは死んでしまうかもしれないのだ。
「絶対に私が助けてあげる……!」
血で衣服が汚れるのも忘れて、私は猫にしては少しだけ大きな身体の生き物をぐいっと抱える。
なるべく揺さぶらないようにして、私はその場を駆け出そうとしたのだけれど――。
「待て……動かさないでほしい」
「ひゃあっ……!」
突然、女性か男性かは分からないけれど――声がするものだから、思わず悲鳴を上げてしまった。
白猫を護らないといけないと思って、腕にぎゅっと力がこもる。
だが、キョロキョロと周囲を見回すがどこにも姿はない。
「ええっと……」
「ここだよ……」
「え……?」
声の主は――。
「そんな……まさか……」
だが、どう考えても白猫が口を開いて喋っている。
どうやあ、人語を喋るようだ。
(まさか、さっき妃嬪達が言っていたように、あやかしの類いだというの……?)
小刻みに身体が震えはじめる。
だが――。
「落ち着いて。貴女に危害を加えたりはしない」
「……本当に?」
「本当です」
白猫の言うとおり、なんだか怪しい感じはしない。
よく見れば、頭に黒い縞模様がある。
それに、この白猫を抱えていたら、なぜだか懐かしい感覚に包み込まれていくのはなぜだろうか。
「後宮ではあまり見かけない顔ですが……お名前は……?」
「……え……ええっと……麗華です……」
すると、白猫の声が少しだけ高くなる。
「麗華……そう……やはり貴女は……」
(……?)
白猫の反応を見て、なんだろうかと思っていたが、はたと大事なことに気付く。
「あ、そうです! 怪我をしているから、動物が見れる侍医に――」
「いいえ、貴女の神聖な気のおかげで、何の問題もない」
猫の身体を見れば、立ち所に傷が塞がってしまっているではないか。
「助かったよ、礼を言う。いつもありがとう。それでは……」
それだけ言い残すと、白ネコは私の腕の中をすり抜けて、宮殿へと姿を消したのだった。