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 侍女たちに囲まれながらカーサリーが連れてこられたのは通秋殿の裏手にある湯屋の入り口だった。たらいに水が張られ、女囚の前に置かれた。
「まずは足を洗いましょうか」
 縛られたままのカーサリーがたらいに足を踏み入れると、姉のような年頃の侍女が自らしゃがんで泥汚れを落としてくれた。
「私は明玉。よろしくね」
 女囚は落ちくぼんだ目を足下に向けながらつぶやいた。
「カーサリー」
「素敵な名前ね。あなた異国の人でしょ。言葉が分かるのね」
 黒髪の侍女がまぶしそうに金髪の女囚を見上げる。その瞳は黒く澄んでいた。
 そこへ通秋殿の内廊下を通ってきた趙夫人が姿を見せた。
「明玉、あなたがすることはないでしょうに。自分でやらせなさいな」
「ですが、縄をほどくわけにはいきませんので」
 趙夫人が閉じた扇子を振る。
「構いません。ほどいてやりなさい」
「よろしいのですか」
「逃げれば処刑の手間が省けます」
 控えていた他の侍女たちが取り囲んで縄をほどく。
「服を脱がせなさい」
 色だけは鮮やかなぼろ布を剥ぎ取るように脱がせると、現れたのは骨張った貧弱な肉体だった。ふくよかさがまるでなく女性らしさが欠けた肉体を、家畜の品定めをするように夫人が見つめる。
「お風呂は沸いてるの?」
「まもなくできるかと」
「体と髪を洗ってやりなさい」と、夫人は乾いた血がこびりついた女囚の下半身を扇で指した。「月の物は特に念入りにですよ」
 そして、夫人はかたわらに控えた侍女に指示を出した。
「養和堂から御典医の瑞紹先生を連れてらっしゃい」
「ご、御典医様でございますか?」と、目を丸くして侍女が顔を上げる。
 驚くのも無理はない。御典医は皇族専任の医者なのだ。
 だが、夫人の口調は厳しかった。
「早く行きなさいな」
「かしこまりました」
 侍女は逃げ出すように外縁廊下を駆けていく。
 入れ替わりに明玉が夫人の前にひざまずく。
「松籟様、お風呂の支度ができました」
「ではこのまま連れていきなさい」
 松籟とは宮中での趙夫人の通称である。代々女官長を務める女性が受け継ぐ名誉ある呼び名だった。
 連れられていく女囚の背中を見た趙夫人は思わず息を漏らした。その背中には、馬のたてがみというには大げさだが、金色の産毛がくっきりと一筋生えているのだった。やがて湯屋から鉄分の匂いが漂ってきた。
 ――さてと、いいものが手に入ったわね。
 裏庭の向こうには、塀の上に景旬殿の屋根が顔をのぞかせている。
 ――あの生意気な小娘にちょいとお灸を据えてあげましょうかしら。
 趙夫人は湯屋の窓から上がる湯気を見つめながら不敵な笑みを浮かべていた。