「溝口さんって冷たいよね」

掃除の時間、ホウキを手にお喋りしてサボってる二人がヒソヒソ言っていた。

丸聞こえなんですけど。

そう思いながら彼女たちの後ろを通りすぎた私の視線は、間違いなく冷たかっただろう。

私が冷たい? そんなこと、私が一番知っている。



中学受験をして私立の女子校に入った。

公立の中学校に行くと、今と同じメンツと顔を会わせ続けることになる。

女子はまだいい。でも、男子とこれ以上一緒だなんて考えられない。

悪ふざけばかりして、乱暴で、鼻水垂らしたバカばっかり。

私はバカが大嫌いだ。テストで50点なんて、どうやればとれるのか。驚くばかりだ。

中学校は素晴らしいところだった。

まず、男子がいない、当たり前だが。本当に女の子しかいない空間を初めて体験したときの解放感はすばらしかった。空気が澄んで、甘い花の香りがする気がした。

そして、バカがいない。みんな受験している。一定以上の成績をとって入ってきているのだから当然だ。

お嬢様学校と有名だっただけあって、幼稚園からのエスカレーター組は上品だし、受験組も、ある程度の自覚を持ってやってきている。

優雅な空気のなか、私はのびのびと呼吸した。



だが、どんなに優雅に見えても、中学生の女の子は、やはりバカなのだ。

禁止されている漫画をカバンに忍ばせて持ってきたりする。仲良しグループで回し読みしたりする。私のところにもやってくる。

そして、見つかった。

先生に、持ってきたのは自分ではないと申し入れ、罰を受けたのは友人だった。私は軽く叱られただけ。だがその時、私も見えない罰を受けた。私は知ったのだ。

私は冷たい。

周囲と距離を取るようになった。漫画を持ってくるようなバカとは縁を切らなければ。



二年生でクラス変え。それから私は群れに所属せず、一人で行動した。

クラスに一人、浮いている子がいた。

いつも卑屈な弱々しい笑顔を浮かべて、びくびくと生きている。私は群れに入らないが、彼女は群れに入れなかった。

学校生活は、一人でいたくても、そのようにさせてはくれない。体育では二人一組が基本だし、班で動くなんてことも当たり前だった。

彼女はどこにも所属できない。私はどこにも所属したくない。

私たちは意識の違いはあったが、二人一組にさせられていた。



彼女は、いつも一人で手帳になにか書いている静かな休み時間を過ごしていた。

ある日、なんにでも顔を突っ込むタイプの子が、彼女のメモ帳を覗きこみ、取り上げた。

彼女は卑屈な笑顔のまま、メモ帳を取り替えそうとピョンピョン跳ねた。小柄な彼女の手にメモ帳は触れもせず、

「ポエム好きなんだー!」

と、からかう声を頭から浴びせられていた。

私は二人のそばに立ち、メモ帳の方に手をつきだした。からかいと卑屈な笑顔が醸し出していた騒々しさが消え、メモ帳は私の手の中に落ち着いた。メモ帳を彼女に渡し、机に戻った。

助けようと思ったのではない。私は彼女を軽蔑した。ポエム? 秘密の手帳? くだらない。

私は、私に無いものを持っている人間が大嫌いだ。

同じくらい、私の価値観に合わない人間が大嫌いだ。

卑屈な笑顔、人の輪に入れない気弱さと、マイノリティな雰囲気、孤独な少女がやりそうなマイポエム。吐き気がする。彼女を軽蔑しながら、私は彼女と行動した。

病弱な彼女は、たびたび授業中に机に突っ伏して動かなくなった。平穏な授業の時間が、彼女のために騒々しくなる。教師が彼女を心配するふりをするのも胸くそ悪かった。教師が彼女を面倒くさく感じていることなど、皆気づいていた。

彼女と二人で過ごさなければならない時間に、ふと気が向いて聞いたことがある。

「病気なの?」

「うん。再生不良性貧血なの」

やはり卑屈な笑顔のまま答えた彼女を、私は憎んだ。私に無いものを持っていたからだ。

難病、同情、かわいそうな私の秘密の手帳。

マイナスの方向に振れたものでも、非日常なものを彼女が持っていることが恨めしかった。



移動教室のとき、彼女がまた机に突っ伏していた。声をかけ、肩を揺すってみたが、反応はまったくない。

「保健室に行きなよ」

そう言い残して一人で教室を出た。彼女を残して。

移動した先の教室で、彼女はどうしたのかと尋ねた教師に「帰りました」と嘘をついた。面倒くさかったのだ。彼女のことを考えることが。そして、恨めしいという感情を押し殺して、彼女のために何かをするのが。

彼女は教科書を持ったまま廊下で倒れているところを発見された。教室を移動してこようとしていたらしい。教師が彼女を送っていき、彼女は二度と学校に来なかった。



三年の担任は初めてクラスを受け持つということで、希望に満ち、やる気にあふれていた。

彼女にとって、クラスに溶け込まない私は、格好の標的だった。よし、やるぞ! 孤独な少女を友達でいっぱいの笑顔あふれる生徒に変えるぞ! そう思っているのが、ありありとわかった。

うっとうしい。熱心に語りかけられ、昼休みには呼び出され昼食を共にしながら人生訓を説かれる。私は次第に学校へ通うのがしんどくなっていた。

通学はラッシュアワーのバスに乗る。ぎゅうぎゅうに押し込められる。

夏はまだ良かった。ぎゅうぎゅうで暑くても、クーラーの風を吸い込むことができた。

だが、担任と二人の昼食を半年以上も重ねた冬休み明け。バスは最悪だった。

ぎゅうぎゅう押され息苦しくて上を向いても、暖房と人いきれで熱く湿った空気しかない。いくら吸っても苦しくて仕方なかった。

ある日バス停で、どうしても足が動かなくなった。

小雨が降っていた。傘は持ってこなかった。

バスは行ってしまった。どうやって学校へ行けばいいのか、わからない。

うずくまった。暑いのか寒いのか怖いのか怒りたいのかもわからなかった。

「大丈夫?」

女性の声が降ってきた。見上げると頭の上に赤い傘が差し掛けられていた。
まるで晴れた日の太陽のように。
まるで知識を与える知恵の身のように。

「大丈夫です」

立ち上がれた。私に傘を差しかけてくれた女性の肩は濡れていた。

「家に帰ります」

傘から出て頭を下げた。

カバンを強く抱きしめながら歩いた。鼻水が垂れた。雨が本降りになった。寒かった。

傘がほしかった。真っ赤な傘だ。たった一本でいい。

それが手に入ったら、たとえ晴れていても放さず持ち歩く。豪雨でも雪でもいい。

うずくまったあの子に真っ赤な傘を差し掛けてやりたかった。



今、私が手にしているのは破れかけた灰色の薄汚い傘だ。強い雨なら壊れてしまうだろう。

たった少しの小雨の日、私は誰かに差し掛けることが出来るだろうか。たとえ折れてしまっても差し掛けることが出来るだろうか。

彼女の上に雨があたりませんように。誰かが傘を差し掛けてくれますように。

太陽のような、真っ赤な傘を。