僕の愛おしき憑かれた彼女

夜空には、不規則に星が散りばめられて、たなびく細い雲が、ストールのように半月を覆ったり、めくったりを繰り返しながら、夜を更に深く藍色に染めていく。

「なぁ、外で作って食うカレーは何であんな美味いんだ?」

ヤマモミジムクロジ科カエデ属と書かれた白いプレートの樹の下に、俺は、ゴロンと転がった。

夏独特の草の匂いと夏の空気が、ふわりと漂う。八月も終わりだ。どこなく夏の匂いも薄らいでいってるように思う。

「皆んなで食うのと、外なのと、自分達で作るからだろ」

ありきたりな返答をしながら、駿介が、俺の隣に転がった。俺達の寝転んでいる、テントから少し登った斜面からは、楽しそうに、はしゃぐ桃を囲んで、砂月達が談笑している姿が見える。

「何で砂月と喧嘩したんだ?」

駿介から、唐突に聞かれた俺は、僅かに間を置いて返事した。

「……してねーよ」

「嘘付くな、砂月泣いてたじゃん」

「しっかり見てんじゃねーかよ」 

ジロリと睨んだ俺を見て、駿介がクククッと笑った。

「……で?」

どうやら、俺が答えるまで聞くつもりのようだ。

「……なんかさ……砂月が隠してんだよ」

「心当たりは?」

「あったら怒鳴るかよ」

「そりゃ、やっちゃったな」

駿介は楽しそうに少し身体を起こすと、今度はこちらに身体を向けて頬杖をついた。

「砂月は何て?」

「別に……自分の問題だから、俺には言いたくないってさ」

「で、拗ねたんだ、ガキだな」

「もう拗ねてねーよ!」

「拗ねて怒鳴った奴がよくゆーよ」

俺が、押し黙ったのをニヤニヤしながら、駿介が眺めている。

「やっぱ、砂月はいい女だよな」

駿介は、再び仰向けになると、長い足を組みながら目線を藍色の空向けた。

「はぁ?」

「砂月がさ、何、隠したいのか俺にも全く分からねぇけどさ、でも、咄嗟に嘘を()こうと思えば()けたにも関わらず、お前に嘘()かなかったってことじゃん」

駿介の言葉を繰り返しながら、俺は、真上に広がる、もみじの葉の重なりから、僅かに見え隠れする月を眺めていた。

「砂月には、俺に……何でも言って欲しいんだよっ」

「完全に、お前の独占欲と我儘だな」

駿介が、口元を引き上げながら、真上を指差した。

「こっから見える景色と一緒だよ。本当に見たくて、知りたいものは、葉っぱで覆われて、ほとんど見えやしない。月の光を感じれるのなんて一瞬。人間ってそんなもんだろ?全部見せれる奴なんていないよ。そんなかに一番大事なものあれば、それでいいじゃん」

駿介は、夜風に揺れて、落ちてきた緑の葉を、掌に乗せると指で摘んで、くるくると回してみせた。
「そんなことで砂月泣かせんなら、俺、貰うよ?」

駿介が俺を見ながら、真顔で言った。

「じゃあ俺が、藤野のこと気になってるって言ったら?」

くるくる回していた葉をほろりと落とすと、駿介が、目を見開いて、口を開けた。

「は?……何て言った?」

予想通りの反応に、俺は口角が上がった。

「藤野って美人だし、気は強いけど、脆いとこあるじゃん」

駿介の顔が、面白いほど嫌悪感に溢れていく。

「彰、お前な、つまんねぇ嘘()くんじゃねぇよ」

「その言葉そっくりそのまま、お前に返してやるよ」 

起き上がって、暫く俺の顔を見ていた駿介が、不意に顔を逸らしてそっぽを向いた。

「愛子に何きいてんだよ!」

「お前な、二回も振られて、まだ諦めないとか鋼のメンタルだな」

たまには、駿介を揶揄い返すのも悪くない。

「うるせぇよ、砂月に年から年中引っ付いてる、お前に言われたくねぇな」

「ちなみにな、藤野にバレてるからな」 

俺の言った言葉の意味をすぐに理解したのか、駿介は、珍しく頬を染めた。

「だっせー。あーまじかよ!」

くしゃくしゃっと茶髪をかき乱しながら、俺から視線を外して、そっぽを向いた。

そういえば昔、死んだ、ばあちゃんが、嘘()きには、三つ種類があると言っていたことを思い出す。

一つ目はただの嘘()き。二つ目は、悲しい嘘()き。三つ目は、相手を想う優しい嘘()き。

ーーーー砂月は、俺に嘘を()かなかった。駿介の言う通りだ。それだけで充分だろう。いつも誰かに言われてから、気づく、俺は、大馬鹿者だ。

俺は立ち上がった。砂月に謝りにいこう。

「いってらっしゃい」

駿介が寝転んだまま、形の良い唇を引き上げた。

「どうも」

斜面を下りながら、見上げた、藍の空にかかる半月は、いつの間にか雲の衣を脱ぎ捨てて、どうしようもない俺達を、ただ煌々と静かに照らしていた。

 屋上から見上げた放課後の空は、鮮やかな青に白い鰯雲が、所狭しと散りばめられ、浮かんでいる。合宿が終わり、あっという間に、季節は秋に移り変わってていた。

ーーーーこの鮮やかな青って、何ていう色だっけ。

 「ねえ、彰、聞いてる?」

隣から、ミルクフランスを頬張りながら、砂月の大きな黒い瞳が、少し不満げに口を尖らせた。

「あー……かき氷でいいんじゃね?」

「違う!屋台は、かき氷で決まってるじゃん。看板書くのにアクリル絵の具がいるけど何色がいるかな?って聞いたのに」

「コイツはほっとけ、苺の赤と、レモンの黄色とだな、メロンの黄緑と、ハワイアンブルーだな、……」

愛子が、スマホ片手にメモアプリに入力していく。

 小学生の頃、絵を描いた。確か好きな花の絵を描きなさい、とか、そんな感じで先生に言われて、俺はセルリアンブルーの絵の具で空を塗りつぶして、あ、そうだ、セルリアンブルーだ。

テレビに出てくるヒーローの名前みたいで、俺はこの色が好きだった。

「セルリアンブルー……」

画用紙の下部分を、茶色で塗りつぶしただけの地面には、砂月の好きなタンポポを描いたのを思い出した。

お世辞にも上手ではなかったが、クラスで砂月だけが、俺の下手くそなタンポポを見て喜んだ。
「春宮彰ナイス!それそれ!送信っと!」

「あ?……あぁ」

俺は、剥き出しのコンクリに腕を枕にして、ゴロンと身体を預けた。目を閉じるとあっという間に落ちていく。心地よい程に。

「彰、寝ないでよ!」

朝と同じ、程よい力加減で揺さぶられて、甘い香りが降ってくる。最高の昼寝だ。

「五分。一夜漬けだったからさ……」

「夏休み明けは、実力テストって分かってたでしょうが。計画性ってもんがないな、男どもは。こんなんで文化祭の屋台大丈夫かな」

「……藤野うるせ、やるときゃやる」  

「春宮彰が、その台詞、よく吐けるね」

俺を、蔑んでるのであろう藤野の顔は、見なくても想像できた。

「あ、愛子ちゃん、この間のね……」

砂月が、話す度にカロンと飴玉を転がす音がする。

意識が宙に舞ったり落ちたりしながら、至福の時間が、俺を支配していく。時折、笑い合う二人の声が、心地よく、そして、段々遠くなっていった。
砂月が、用具置き場で憑かれてから四か月、合宿から三週間……本当に平凡でありきたりな高校生活を俺たちは送っていた。

ただ毎日を平凡に過ごせることに、俺は、ちっぽけな優越感すら感じていた。

 「彰!お前な、マジでありえねーだろ。何でお前が昼寝してて、俺が!ゴリと買い出しなんだよ!」

いきなり脇腹をつま先で蹴られ、俺の夢遊散歩はあっけなく終わった。

「痛ってーな、駿介!蹴るなよ!」

 痛みで起き上がると、両手に画材の入った袋を両手に持った駿介が、恨めしそうに俺を、見下ろしていた。

「やあ!!諸君!!待たせたな!」

屋上の扉が、バンっと、大きく開いたと思ったら、屋台の看板となる長方形パネルを軽々と、両脇に四枚ずつ抱えた谷口先輩が、鼻息荒くガハハと笑った。

来週に控えた文化祭に、我が陸上競技部は、かき氷屋を出店する事になっている。

「先輩、買い出しご苦労様です。じゃ早速作業始めましょ」

愛子が、駿介から画材の袋を奪い取ると、逆さまにして、中身をコンクリの上に散りばめた。

谷口先輩が、パネルを屋上の中央に並べていく。

「砂月、鉛筆で下書きしてくれる?」

「うん、分かった。愛子ちゃん、字が綺麗だから看板の文字」

「あ、うん。文字はあたしが書くね」

 砂月は、昔から絵が上手だった。上手なだけでなくて、色彩感覚も豊かだった。一つの色から色んな色を作って、平坦な画用紙に色づけていく様は、小さな魔法使いだと、幼心に俺は、思っていた。

そういえば、砂月はあの時、確か向日葵の絵を書いていた。砂月から、特に向日葵が好きだとは聞いたことない。砂月が向日葵を書いた理由って何だろう?

「分かんねぇな……」

「どしたの?彰?」

ふと呟いた独り言に、砂月が、隣から、俺を覗き込んだ。

(やばっ……近い)

砂月の大きな瞳に見つめられて、顔が熱い。慌てて、俺は、平静を装う。

「別に、何でもねぇ、んっ……」

急に、口の中に甘い香りが広がって、カロンと音が鳴る。目を丸くした俺を見ながら、砂月がクスッと笑った。

「彰にもあげる」

カロンコロンと飴玉を転がす、砂月に見惚れながら、俺は、小さく、お礼を言った。


「先輩、バケツに適当に、水入れてきてくれます?駿介は、絵の具適当に出してってよ」

「俺、いま帰ってきたんだけど」 

「やって!」

「はいはい……」

愛子から、テキパキと出される的確な指示に、反抗できる余地はどこにもない。

駿介は、しゃがみこむと黙って、パレットに赤色のアクリル絵の具を出した。

「春宮彰、あんたもボーッとしてないで、駿介と絵の具でも出しなさいよ」

愛子の肘が脇腹に入る。

「痛っ!!……てゆーか、今日だけで完成させるとか無理じゃね?」

渋々、駿介の隣にしゃがみ込んだ俺に、愛子の怒声が降り注ぐ。

「春宮彰うるさい!」

今度は、足のつま先をわざと踏んづけられる。

クスクスと砂月が横目で笑った。

「文化祭終わったら、すぐ地区大会あるんだから!今日中に仕上げて、明日からまた練習!」

今の愛子に、何を言っても無駄と言うように、俺の肩に手を置いた駿介は、首を振った。

そして、意外だったのは谷口先輩だった。

あの見た目からは想像もつかない、繊細な筆使いで、砂月の下書きの線から一ミリも、はみ出す事なく、正確に丁寧に色を落としていく。

それもあの、谷口先輩が一言も言葉を発することなく、黙々作業に没頭していた。

女子達からは、拍手喝采と黄色い声援があがる。
余程悔しかったのか、駿介が「言葉忘れたのかよ。やっぱゴリラだな」と、俺にだけ聞こえるように、負け惜しみを呟いた。

数時間前まで真っ白だったパネルは、大きく整った黒色の文字で『かき氷』と書かれ、その横に赤い文字で『陸上競技部』とある。

その下に苺、レモン、メロン、ハワイアンブルー味のかき氷のイラストがそれぞれ描かれて、小さく谷口先輩の顔が描かれていた。

先輩の特徴は、そのままに、可愛らしいタッチで、かき氷屋のマスコットキャラクターのように見える。

最後の仕上げで、谷口先輩が、必勝祈願の達磨に目玉を描く様に、自分の目を黒で色付けた。

「やったぁ!完成ーーーー!!」

 愛子が筆を放り投げて、手を叩いて喜んだ。

「いやー!素晴らしい!これこそ、まさに芸術だな!あとは、当日売って売って売りまくるだけだ!ガハハハッ!!」

谷口先輩が、両手を空に突き上げて叫んだ。

黙って作業していた三時間分の雄叫びが、秋空に吸い込まれていく。

「あれ?砂月?」

さっきまで愛子の横で飴玉を転がしていたかと思ったが姿が見えない。よく見れば、パネルの横にドロップの缶が、ちょこんと置き去りになっていた。