雪蓉の輿入れは、色々な意味で前例のないものだった。

 まず、身よりのない一介の女巫が、正一品の貴妃(きひ)に任命されたこと。

現在、後宮には皇后がいない。

四夫人といわれる貴妃、淑妃(しゅくひ)徳妃(とくひ)賢妃(けんひ)妃妾(ひしょう)としては最高位となるのだが、劉赫はこれまで四夫人すらも置かなかったので、雪蓉が後宮内で一番高い位となる。

正二品の九嬪(きゅうひん)、正三品から正五品の二十七世婦(せいふ)、正六品から正八品の八十一御妻(みめ)は、いることはいるが、数が圧倒的に少なく不在の位も多い。

 劉赫は後宮嫌いとして有名で、妃妾を迎い入れることを頑なに拒んでいた。

後宮など解体してしまえばいいと言っていたくらいである。

それを家臣がなんとか食い止め、首の皮一枚で存続していたのである。

 どんな美妾が入ってきても、会うことすらしなかったので、劉赫は男色家なのではないかとあらぬ噂が立っていたくらいだ。

 そんな時に、劉赫自らが、後宮に入れたい女がいると言ってきたので、家臣たちは両手を挙げて喜んだという。

ただし、喜びも束の間、女の身分を聞いて家臣たちは青くなる。

 しかも劉赫はご機嫌な様子で、「そういえば皇后いなかったから、皇后にするか」なんてのたまうので、泡を吹いて卒倒する者までいた。

 そうして、劉赫と家臣との譲れぬ戦いが幕を開けた。

皇后にしたい劉赫、身分のない女をいきなり皇后にしたら国の威信が保てないと主張する家臣たち。

激しい衝突を繰り返し、折衷案として、雪蓉を貴妃に据えることが決まった。

 劉赫が小屋から消えてから、一か月の時を経たのにはこうした理由があったのである。