好きになった子は陰陽師になった。―さくらの血契2―【完】


「白、急いだって生まれてるのかわかんねえよ?」

「だ、ね、こ!」

「うん、言いたいことはわかったから、とりあえず落ち着け」

上気した頬で意味不明の言葉を発する白に制止をかける。

一緒に歩いている百合姫は、白の興奮に少し呆れた様子だ。

「あー、白の猫好きは相変わらずか……。呼ばない方がよかったかな?」

独白する。

母上から、真紅が産気づいた猫を拾って来たから、お前も来たらどうか? と連絡があった。

猫とのことで、ちびの頃から猫好きな白に声をかけてみたら案の定乗って来た。

……だが、乗り過ぎだ。

今にも駆け出しそうな白を一応片手で押さえているが、ものすっごい力で進もうとしているので、俺は歩く必要もなくただ引きずられている格好だ。

これが御門の当主とは……ちたあカッコがつかねえよな。

「白桜って猫、好きだったのね」

「あ、百合姫は知らないか?」

張り切って俺を引っ張る白を見て、ぽつりとした言葉に俺が反応した。

「あんたは知ってるってわけね……。でも、なら飼ってもいいのに」

「それがなー無理なんだよなー」

白に引きずられているから、なんとなく俺の声はやけに間延びしている。

「なんで?」

「すぐわかるよ」

意味ありげな返事をしたけど、母上たちの家に足を踏み入れた途端、百合姫もそれに気づいたようだ。


「わ~っ、仔猫って初めて見るわ~っ」

「私も。ちゃんと面倒見るお母さんでよかったね」

百合緋ちゃんたちが到着した頃には、三毛猫は二匹の仔猫を産んでいた。

戸棚の前に膝をついた私と百合緋ちゃんは、並んで猫を覗き込む。

今にも死にそうな息づかいだった三毛猫だが、今は落ち着いて、仔猫を舐めている。

「誰に教えられでもなく赤ちゃんのお世話出来るなんて、すごいことなんだね」

「ほんとね。でも、お母さん猫、美人さんね。仔猫たちも美形になる気がするわ」

「お母さん、顔立ちも毛並みも綺麗だよね。どっかで飼われてたのかな?」

「飼い猫なら、家で出産するんじゃない?」

「普通はそうだよね……。一応、飼い猫かどうか、探した方がいいかな?」

「それなら、涙雨が請け負おう」

言ったのは、黒ちゃんだった。

「るうちゃんが?」

黒ちゃんの方を振り返ると、ぽんっと、空中に紫色の小鳥が現れた。

黒ちゃんの三番目の式で、鳥の姿の妖異の涙雨ちゃんだ。

私には紫色に見えるけど、一般人には黒い小鳥にしか見えないらしい。

るうちゃんは今、黒ちゃんの命で私の傍についていてくれる。

修行中な身であることと、まだ私に式がいないから、護衛のためだと。

「涙雨、あの親猫の気配がある家を見つけて来てくれるか?」

『承知した。今いっとき、時間をいただくぞ』

黒ちゃんに応えて、紫色の小鳥は縁側から出て行った。

「その三毛猫が飼い猫なら、その家にはそいつのいた名残があるはずだ。涙雨が見つけてくれる。けど、見つからなかったら……どうする? 真紅が飼い主になるか? 白は無理だ――

「俺が飼いたい!」

「部屋にも入れない猫アレルギーなんだろ、駄目。白の健康を害する」

普段は白ちゃんにダダ甘い黒ちゃんが、厳しい声でぴしゃりと言った。


そうなんだ。白ちゃんは、庵の中に足を踏み入れただけでくしゃみと涙が止まらなくなるほどの猫アレルギーだった。

今も、縁側の外から悔しそうに私と百合緋ちゃんを見ている。

「白ちゃんにそんな弱点があったなんて……」

「わたしも知らなかったわ……」

どうやらそのことは黒ちゃん以外知らなかったようで、百合緋ちゃんも驚いている。

「遠くから眺めてるだけでも構わない! 結蓮たちなら受け容れてくれるから!」

「お前をそんな残念な変態みたいに出来るか。絶対ダメ」

「残念な変態に言われたくない!」

「否定はしない」

……とんでもないやり取りを他人ん家でさらっとやらないでほしい。

最初の白ちゃんの言い方もちょっとアレだけど、好きな子になんて言い方を出来るんだ、この従兄は……。

そして否定してほしい。

私は薄ら対応に困った。猫を連れ込んでしまった身の上として。

「白がちびの頃迷い込んで来た猫に触って全身に発疹(ほっしん)が出来たとき、大変だったの忘れたわけじゃねえよな?」

「うっ……」

黒ちゃんの鋭い瞳に、白ちゃんは唸って黙り込んだ。

「黒ちゃん、何かあったの?」

全身に発疹とは、相当なアレルギー体質のようだ。それで猫が大すきって……哀しいかな。

「白里(しろさと)じいさん――白の祖父が、どこの呪詛(じゅそ)かって騒いで一族総出で祈祷(きとう)大会だよ。いつも傍にいた俺まで疑われるし。結局猫のアレルギーだってわかって落ち着いたけど、以来御門の家では白に猫は近づけられない暗黙の了解が出来た」

「………」

い、一族総出って……。大派閥の御門の家でそんなことがあったなんて……。


「白は唯一の跡取りだったからな。じじいも必死になる」

黒ちゃんが嘆息気味に言えば、

「白ちゃんにはあげられないね」

「白桜は見ることも駄目ね」

私と百合緋ちゃんが平坦な表情で言った。

「え、そこ結託するの……?」

私たちも黒ちゃん側に廻られて、傷付いた顔の白ちゃん。

そのうちしぼんで縁石の上に膝を抱えてしまった。

「白桜にそんなことがあったのですか」

厨(くりや)――キッチン――にいた紅緒様とママが戻って来た。

「母上」

黒ちゃんが顔をあげると、紅緒様は複雑そうな顔をしていた。

「白桃にはそのようなことはなかったはずですが……遺伝とはわからないものですね」

感慨深げに紅緒様が呟くと、黒ちゃんは何故か目を糸目にした。私は黒ちゃんの表情の意味をはかりかねて首を傾げた。白ちゃん関連の話だったらいつも突っ込んでいくのに。

「紅緒様、母様とはご友人だったのですよね?」

白ちゃんが縁側の下から、目から上だけを覗かせて言った。恐らく膝を抱えたままなのだろう。なんかそんな妖怪がいそうだな、とひそかに思った。

「ええ。幼馴染ですね」

紅緒様とママが茶器の準備をするのを、駆け寄って手伝う。

「母様ってどんなお方だったんですか? 俺、伝聞でしか知ること出来ませんから」

その言葉に、はっと手が止まった。

白ちゃんの母、御門の直系だった白桃様は、白ちゃんが生まれて間もなく儚(はかな)くなっているそうだ。

紅緒様は思い返すように中空を見つめた。

「白桃は、そうですねえ……。ぱっと見は深窓の令嬢といった感じでしたが、結構な行動力がありましたね。わたくしが止めるのも聞かずに、修行でも使わないような深い山に入ったと思ったら鬼神を連れて帰ってきたり」

天音さんのことか。

白ちゃんが一の式――一番目の式――、天音さんはかつて『鬼神(きしん)』と呼ばれていたそうだ。

妖異の類(たぐい)でありながら、神と並び称されるほどの強者だった。

私は、どういう経緯で天音さんが白ちゃんの式となったかは知らないけど、天音さんが『姫』と呼ぶのが白桃様であることは知っていた。


「母様……」

あ、白ちゃんの身長が低くなった。ショックだったらしい。

「母上、白を落ち込ませないでください」

「訊いて来たのは白桜でしょう。先に落ち込ませたのはお前ですし」

紅緒様は無傷で言い返す。だが、紅緒様の上を行く存在があった。

「鬼神を連れて来たのは紅緒もでしょう。白桃ちゃんに何が言えると思ってるの」

「………」

「………」

何故か、ついでに黒ちゃんまで黙らせたママだった。

「ちょうど二匹いるし、黒ちゃんと白ちゃんのところへ行ければ仔猫たちも一番だったかもしれないけど、アレルギーがあるんじゃ無理ねえ。あ、真紅ちゃん。仔猫の名前くらい、白ちゃんにつけてもらったら?」

ママの提案に、私はあっと声をもらした。

「そうだね。白ちゃん、名前つけてもらえないかな?」

「!」

ぴんっと、白ちゃんの背筋が伸びた。

「い、いいのか?」

「白ちゃん、猫すきなんでしょ?」

「可愛いっ!」

どんな肯定の仕方だ。いつもの冷静さをなくすくらいすきなようで、思わず苦笑がもれた。

「えっとね、本当に綺麗に真っ白な仔と真っ黒な仔なんだけど――

「藤虎(ふじとら)」
「小太郎(こたろう)」

「……ん?」

私の言葉が終わる前に、二人分の声が続けて聞こえた。


「え、今、黒ちゃんも言った?」

こたろう、と言ったのは、黒ちゃんの声だった。

「あ。……なんでだ?」

首を傾げる黒ちゃん。私は二度瞬いた。自分で意識せずに言ったの?

「白ちゃんも、随分すぐに難しい名前考えたね」

「いや、なんか口をついたというか……」

白ちゃんも、自身の言葉に不思議そうな顔をしている。

ふじとらって、これまた強そうなお名前を。

「……真紅、仔猫二匹を、黒藤と白桜にそれぞれ任せてみませんか?」

そう言ったのは、紅緒様だった。

「えっ、でも白ちゃんって――」

「たぶん、仔猫の方は大丈夫ですよ。黒藤、涙雨は帰ってきていますね?」

「……お見通し過ぎて怖いですよ、母上」

黒ちゃんはため息をつきつつ、左掌を差し出した。紫色の小鳥がぽんっと現れた。

『紅緒嬢よ、涙雨に尾行をつけるのはおやめくだされ』

「わたくしの式は別に探しに出しただけです。たまたま行き先が同じだっただけでしょう」

紫色の小鳥が文句をつけるけど、紅緒様はどこ吹く風で気にしない。

『真紅嬢よ、その三毛猫の仔は、若君と白の姫君に任された方がよろしいかと涙雨も思う。神獣(しんじゅう)の末裔(まつえい)の三毛猫ゆえ』

「しんじゅう……?」

私が呟くと、黒ちゃんが応じた。


「神の末席に名を連ねる。霊獣(れいじゅう)と呼ばれる場合もあるけど、こいつは神獣と呼ぶべき存在だ。涙雨、だから白は大丈夫なんだな?」

『ゆえ。母猫は、現世に生きたことでほぼ神気(しんき)を失うておる。じゃが、生まれたばかりの仔猫は、うまく保護すれば神獣として格をあげるじゃろうて。それには、陰陽師として出来ている若君と白のひ――若君の傍に在るのがよかろう。その猫たちは、ただの動物ではくくれぬ生き物じゃ』

……るうちゃんは口が軽いのか、また『白の姫君』って言いかけたよ。白ちゃんに殴られコースまっしぐらだよ。

「私じゃダメなの?」

私が問うと、るうちゃんはゆうるり首を横に振った。

『真紅嬢はまだ、陰陽師として不安定、神獣の面倒まで見切れんはずじゃ。仔猫の神獣とて、霊力がある。修行中の真紅嬢がそれにあてられては大変じゃ』

……残念ながら、この仔猫は私の傍には置いておけないようだ。

そっと、仔猫を舐める母猫の頭に手をかざした。感じる、波動。

「じゃあ……ママ、紅緒様、仔猫たちはもう少し育ったら、黒ちゃんと白ちゃんに預けていいかな? お母さん猫の方は、元気になるまでは私が面倒を見たい」

ママと紅緒様は目を合わせてから、肯いた。

「いいわよ。今まで動物を飼う余裕なんてなかったものね」

「生命に触れるのはよいことです。ですが、白桜が来づらくは――

「毎日来ますっ! 門の外から眺めるだけでも構いません!」

白ちゃんが宣言すると、百合緋ちゃんの顔色が一瞬悪くなった。そしてぼそり。

「白桜が残念な変態なこと言った……」

否定出来ない……。さっきは黒ちゃんに否定してよと思ったけど、いざ自分が巻き込まれればなかなか難しかった。

「黒ちゃんも来る?」

百合緋ちゃんを慰めようもないので、話をすり替えることにした。

「そうだなー。仔猫って一日でおっきくなっちゃうもんな。時間見て来るよ」

なんだかさっきから、白ちゃんよりも黒ちゃんの方がまともなことを言っているように聞こえるのはなんでだろう。いつも一番ぶっ飛んでる人なのに。

「黎たちは知ってるのか?」


「今日はここに来られるの、午後だって言ってた。黒ちゃんを呼んだのも紅緒様でしょ?」

「落ち着いたら早目に連絡してやれ? 俺や白がいるって知ったらあいつ、妬くから。毎日来てるんだろ?」

「うん。黎も猫大丈夫だといいんだけど。……うん? 焼く?」

「って言うか、え? 真紅ちゃん、黎明のって毎日来てるの?」

黒ちゃんの言葉に首を傾げていた私に、目を丸くする百合緋ちゃん。言ってなかったっけ?

「うん。もう桜城のおうちは架くんが跡取りに決まったから、黎は小埜の家の監督下だけど、行動範囲もほぼ自由になったよ」

今まではどこへ行くかも必ず報告して、古人翁(おきな)の式が監視についてまわっていたそうだ。黎は私なんかよりずっと大変だったんだよね……。

「毎日って……面倒とか思わないの?」

とつと言われた百合緋ちゃんの半眼の言葉は意外だった。

「ええっ、な、なんで? す、すきな人に逢える時間なんて貴重過ぎるよっ?」

「あー……真紅ちゃんはそういう子なんだ……」

「ゆ、百合緋ちゃん? どういう意味……? まさか世間的には毎日逢うのは逢い過ぎ……?」

家のことにいっぱいいっぱいで、ずーっと恋愛事から遠ざかっていたから、一般的な価値観というものはてんで知らない。

不安になってたずねると、百合緋ちゃんはバツが悪そうに目線を逸らした。

「真紅ちゃんと黎明のがいいんなら、いいと思うけど……」

「百合緋ちゃんは、そうじゃないんだ?」

重ねて問うと、百合緋ちゃんからあったのは「まあね」という虚ろな返事だった。

私が黙ったままでいると、俯き気味に少しずつ話し出した。


「うちさ、水旧家の本家で、わたしの父親が当主なの。お母様が正妻なんだけど、父は外に愛人が何人もいるの。お母様は、そういうことが珍しくない家柄だって割り切ってるみたいなんだけど……。なんてゆうか、結婚不信? みたいな感じでさ、わたし」

「………」

結婚不信、と言う言葉なら、それは自分も当てはまるかもしれないと思った。……少し前の、私なら。

百合緋ちゃんは膝を抱える。

「私が一番上の子なんだけど生まれてすぐに御門の家に行ってるから、弟妹たちとはほとんど面識ないの。……もしかしたら、わたしの知らないきょうだいもいるかもしれないけど」

「……お父さんと、仲良くないんだ?」

「仲良くないっていうか、早く死んでほしいレベルに嫌い。そうなったら、父の弟の東雲(しののめ)叔父様が跡を継がれる。叔父様は結婚してるけど子どもがいないから、わたしの弟の誰かが叔父様の跡継ぎになると思う。叔父様は父と違って、奥様のことだけを本当に愛していらっしゃる。……お母様も、叔父様みたいな人と結婚してたらあんな気苦労もなかったと思う……」

うちも父のことでは大変だったけど、私もママも、もうそのことに囚われてはいない。

……百合緋ちゃんは違う。そのただ中から抜け出すのは容易ではないのだろう。

「そうなんだ」

「うん。だから……白桜が、羨ましい」

そっと、百合緋ちゃんは縁側の外の白ちゃんと、白ちゃんに向かって話している黒ちゃんを見た。

……黒ちゃんは、白ちゃんだけが大すきだ。