《あの人は、あの子じゃない。だから、言っても意味がない》

そう、女性を見遣る影。自分の肉体を失って、黒い影だけの存在になっても、それだけはわかる。

――あの人は、探しているあの子じゃない。ま、そうだ。

「そりゃそうです。あなたと彼女が生きた年号は既に過去のもの。いくらここを彷徨っても彼女はいません」

《……なら、なんでこんな――

「ですが、思い残したまま逝くのと、心のつかえを吐き出して逝くのでは違うと言うのが師の教えでして。私たち小路流は、送る魂の声は総て吐き出させて昇ってもらう方針なんです」

音を立てて扇を閉じる。その先で女性を指す。

「彼女は幻覚です。ですが、姿はあなたの知る人のもの。言いたいこと、言って逝きませんか? あなたがここに留まれないのは、もうわかっておいででしょう?」

影は意を決したように喉をならした。

《――ごめん。………生きてくれて、ありがとう》

私が地に張っていた呪縛の紋様から光があふれだし、影を包んでいく。

また開いた扇を、平面にして影の方へ差し出した。

「少し、夜更かしし過ぎましたね。おやすみなさい。どうか、良い夢を」

バサッと大きな音を立てて、扇を下から天上に向かって大きく払う。

そこから生まれた風から数多(あまた)の花びらが舞い出て、光と共に影を包んで夜の帳に覆われ始めた空へ向かって消えて行く。

扇を閉じると、残っていた花びらと光も霧散(むさん)した。

「紅、お疲れさま」