前回のあらすじ
胡散臭い男パフィストに誘われ、キノコ狩りに参加することになった《三輪百合》。
すでにして怪しい。
キノコ狩りに必要なものとして用意したのは、背負い籠に、手袋、あとはリリオが毒キノコを食べた時のために毒消しと吐き薬。そのくらいのものだった。
なにしろあたしもリリオも元々、森や山での活動を前提にした装備だ。それにいまさら改めて装備を揃えようったって、新しいものは早々すぐには体に馴染まない。
ウルウに関してはもう、何も考えないことにしたわ。こいつが無理な環境というものを考えるのは時間の無駄よ。
さて。
野外でも相変わらず洒落た着こなしのパフィストさんの案内で、朝早いうちからあたしたちはヴォーストの街を出て、竜尾山のふもとに広がる森を目指した。と言っても、あたしたちが目指すのは、以前鉄砲魚や鉄砲瓜を相手にしたあたりじゃない。
森と一口に言っても、それはさまざまに分かれるわ。
街を出てすぐの、農民たちが薪を拾ったり木を伐ったりする、疎らなあたり。
狩人たちが獲物を追いかけて潜る、獣たちの住む森。
冒険屋たちが挑む深い深い森の奥。
私たちが連れられて行ったのは、その深い深い森の奥の中でも、人の立ち入った痕跡が少ない未踏の森だった。
「…………あの、パフィストさん。これ大丈夫な奴ですか?」
「え? 僕ら割とこういうところばっかりだったんですけど……」
「《一の盾》が怖れられるわけですよそりゃ」
「なに、心配することはありませんよ。なにしろこの森の名は『迷わずの森』ですからね」
「それは安心です」
リリオとパフィストさんが暢気に話している後に続いて、あたしたちも踏み均されていない森をゆっくりと進んでいく。
成程、人の手が全然入っていないだけあって、森の幸がゴロゴロと見当たるわね。少し歩いただけであちらこちらに茸が生えているのが見える。
まあ、見える、けども。
「リリオ、あんた基準で採るんじゃないわよ」
「えー。慣れれば大丈夫ですって」
「人間はそういう風にできてないわよ」
リリオって毒キノコに昔から慣らされ過ぎて感覚がマヒしてるとこあるのよね。 取り敢えず口に入れるっていう赤ん坊みたいなやり方なのよ。よく今まで生きてこれたわよね。
まあ、おかげで普通のキノコと毒キノコの見分け方に関してはこれ以上信用できる奴はいないわね。だってどっちかわかんないときは齧って判断できるんだもの、こいつ。
「あ、これ毒です」
「ぺっしなさいぺっ!」
だからといって安心できるわけでは決してないけど。
あたしたちはパフィストさんの先導で森を進み、リリオの嗅覚でキノコを見分け、あたしと二人で手分けして採取した。その間ウルウが何もしないかというとそういうことはなくて、ウルウはウルウでひっそりとついてきながら、周囲の気配を探って危険がないかどうか見張ってくれてる。
リリオはともかく、あたしも気配には敏感な方だけど、ウルウは物陰にいてもまるで見えているかのように正確に気配を掴む。生き物である限りは文字通り見えるだなんてうそぶいていたけれど、姿を消したりするあの怪しげなまじないの類なのかもしれない。
ウルウはそうして気配を探ってくれるけれど、でも対処はしてくれない。獣が近くにいたりすれば教えてくれるけれど、それを追い払ったり倒したりはリリオかあたしに任せる。ウルウのよくわからない、いつものこだわりだ。でも、リリオの成長を思えばその方がいいのかもしれない。
ウルウが何でもかんでも対処して守ってあげていたんじゃ、リリオもあたしも本当に錆びついちゃう。
ああ、でも、そうして倒した獲物はきっちり《自在蔵》にしまってくれるから、甘いのか甘くないのか。
ある程度森の奥まで来ると、頭上からの日の光はほとんど入ってこなくなって、まるで洞窟にでも潜ったように暗くなる。
森賢のパフィストさんは種族柄暗視持ちで平気みたいだけど、リリオはそろそろ見えなくなってきたし、あたしもすこしつらい。
これ以上暗くなるとまずいなと思っていると、ウルウがまた例のあの眼鏡を取り出してきた。なんて言ったっけ。
「これは闇を見通す眼鏡。君が内なる闇に抗おうとする限り、」
「知性の眼鏡だっけ」
「……君が内なる闇に抗おうとする限り、力を貸してくれるだろう」
「あ、最後までやるんだ」
ともあれ、あたしたち《三輪百合》は揃いの赤渕眼鏡をかけて、無事暗視を得た。
「…………ふーむ、こうしてみると、眼鏡というものも装飾具として見直すべきかもしれませんね」
なにやらパフィストさんは感心したようにそんなことを言うけれど、でも、眼鏡も高いから難しいかもしれない。あ、いや、高いのはレンズだから、ただの硝子板だったらそこまで高くならないのかしら。
「伊達眼鏡だね」
「ダテメガネ?」
「目が悪くない人が、ファッション目的でかける眼鏡。度が入ってないんだ」
ウルウのいたところでは割と普通だったらしい。こっちでも売れるかもしれない、とは思うけれど、生憎と硝子職人に伝手はない。まあ、そういう商売はガラでもないし、いいんだけど。
そんな風にお喋りしながら作業できたのは最初の内だけで、奥に行くにつれてウルウが不機嫌そうというか、黙りこくることが多くなった。いつも黙っていると言えばそうなんだけれど、しょっちゅう首を傾げたり、周囲を見回すことが多くなって、落ち着きがない。
「ウルウ、どうしました?」
「…………わからない」
「わからない?」
「《ばいたるせんさあ》に反応があるのに、姿が見えない。気配はあるけど、実体がない」
何のことかしら。
あたしは小首を傾げてあたりを見回してみるけど、これといって目立つ気配はない。
「……?」
いや、違う。気配はある。でも、それはどこかにあるという明確な物じゃない。霧か何かのように、あたり一面に気配が漂ってる。徐々に気配が濃くなっていったから、気づかなかっただけだ。まるで人ごみのように気配に満ちているのに、音もしなければ息遣いもない。影の一つも見えやしない。
あたしが警戒して短刀を抜くころには、リリオはすでに臨戦態勢だった。ウルウの言葉に敏感に反応して、そして何よりリリオ自身の直観が危険を訴えたんだ。
「ああ、大丈夫ですよ」
その中で一人、パフィストさんだけが伊達男ぶりを崩しもせず、暢気ともいえる朗らかな微笑みを浮かべている。けぶるような靄の向こうで、笑顔が、靄? 靄なんていつの間に、ああ、でも、確かに靄が、靄が出てる。足元にたまるように、濃い靄が、どんどん、ひろがって、
「ええ、大丈夫。死にはしませんよ。多分ね」
めのまえが、くらく、なっ
「この森は《迷わずの森》。どんな阿呆でも迷わずに逃げ出す森なんですよ」
あ
用語解説
・《迷わずの森》
どんな阿呆でも迷わずに逃げ出す森、略して迷わずの森。
甘き声と呼ばれる魔獣が巣食う。
死亡率が高く、冒険屋もまず近づかない危険地域である。
胡散臭い男パフィストに誘われ、キノコ狩りに参加することになった《三輪百合》。
すでにして怪しい。
キノコ狩りに必要なものとして用意したのは、背負い籠に、手袋、あとはリリオが毒キノコを食べた時のために毒消しと吐き薬。そのくらいのものだった。
なにしろあたしもリリオも元々、森や山での活動を前提にした装備だ。それにいまさら改めて装備を揃えようったって、新しいものは早々すぐには体に馴染まない。
ウルウに関してはもう、何も考えないことにしたわ。こいつが無理な環境というものを考えるのは時間の無駄よ。
さて。
野外でも相変わらず洒落た着こなしのパフィストさんの案内で、朝早いうちからあたしたちはヴォーストの街を出て、竜尾山のふもとに広がる森を目指した。と言っても、あたしたちが目指すのは、以前鉄砲魚や鉄砲瓜を相手にしたあたりじゃない。
森と一口に言っても、それはさまざまに分かれるわ。
街を出てすぐの、農民たちが薪を拾ったり木を伐ったりする、疎らなあたり。
狩人たちが獲物を追いかけて潜る、獣たちの住む森。
冒険屋たちが挑む深い深い森の奥。
私たちが連れられて行ったのは、その深い深い森の奥の中でも、人の立ち入った痕跡が少ない未踏の森だった。
「…………あの、パフィストさん。これ大丈夫な奴ですか?」
「え? 僕ら割とこういうところばっかりだったんですけど……」
「《一の盾》が怖れられるわけですよそりゃ」
「なに、心配することはありませんよ。なにしろこの森の名は『迷わずの森』ですからね」
「それは安心です」
リリオとパフィストさんが暢気に話している後に続いて、あたしたちも踏み均されていない森をゆっくりと進んでいく。
成程、人の手が全然入っていないだけあって、森の幸がゴロゴロと見当たるわね。少し歩いただけであちらこちらに茸が生えているのが見える。
まあ、見える、けども。
「リリオ、あんた基準で採るんじゃないわよ」
「えー。慣れれば大丈夫ですって」
「人間はそういう風にできてないわよ」
リリオって毒キノコに昔から慣らされ過ぎて感覚がマヒしてるとこあるのよね。 取り敢えず口に入れるっていう赤ん坊みたいなやり方なのよ。よく今まで生きてこれたわよね。
まあ、おかげで普通のキノコと毒キノコの見分け方に関してはこれ以上信用できる奴はいないわね。だってどっちかわかんないときは齧って判断できるんだもの、こいつ。
「あ、これ毒です」
「ぺっしなさいぺっ!」
だからといって安心できるわけでは決してないけど。
あたしたちはパフィストさんの先導で森を進み、リリオの嗅覚でキノコを見分け、あたしと二人で手分けして採取した。その間ウルウが何もしないかというとそういうことはなくて、ウルウはウルウでひっそりとついてきながら、周囲の気配を探って危険がないかどうか見張ってくれてる。
リリオはともかく、あたしも気配には敏感な方だけど、ウルウは物陰にいてもまるで見えているかのように正確に気配を掴む。生き物である限りは文字通り見えるだなんてうそぶいていたけれど、姿を消したりするあの怪しげなまじないの類なのかもしれない。
ウルウはそうして気配を探ってくれるけれど、でも対処はしてくれない。獣が近くにいたりすれば教えてくれるけれど、それを追い払ったり倒したりはリリオかあたしに任せる。ウルウのよくわからない、いつものこだわりだ。でも、リリオの成長を思えばその方がいいのかもしれない。
ウルウが何でもかんでも対処して守ってあげていたんじゃ、リリオもあたしも本当に錆びついちゃう。
ああ、でも、そうして倒した獲物はきっちり《自在蔵》にしまってくれるから、甘いのか甘くないのか。
ある程度森の奥まで来ると、頭上からの日の光はほとんど入ってこなくなって、まるで洞窟にでも潜ったように暗くなる。
森賢のパフィストさんは種族柄暗視持ちで平気みたいだけど、リリオはそろそろ見えなくなってきたし、あたしもすこしつらい。
これ以上暗くなるとまずいなと思っていると、ウルウがまた例のあの眼鏡を取り出してきた。なんて言ったっけ。
「これは闇を見通す眼鏡。君が内なる闇に抗おうとする限り、」
「知性の眼鏡だっけ」
「……君が内なる闇に抗おうとする限り、力を貸してくれるだろう」
「あ、最後までやるんだ」
ともあれ、あたしたち《三輪百合》は揃いの赤渕眼鏡をかけて、無事暗視を得た。
「…………ふーむ、こうしてみると、眼鏡というものも装飾具として見直すべきかもしれませんね」
なにやらパフィストさんは感心したようにそんなことを言うけれど、でも、眼鏡も高いから難しいかもしれない。あ、いや、高いのはレンズだから、ただの硝子板だったらそこまで高くならないのかしら。
「伊達眼鏡だね」
「ダテメガネ?」
「目が悪くない人が、ファッション目的でかける眼鏡。度が入ってないんだ」
ウルウのいたところでは割と普通だったらしい。こっちでも売れるかもしれない、とは思うけれど、生憎と硝子職人に伝手はない。まあ、そういう商売はガラでもないし、いいんだけど。
そんな風にお喋りしながら作業できたのは最初の内だけで、奥に行くにつれてウルウが不機嫌そうというか、黙りこくることが多くなった。いつも黙っていると言えばそうなんだけれど、しょっちゅう首を傾げたり、周囲を見回すことが多くなって、落ち着きがない。
「ウルウ、どうしました?」
「…………わからない」
「わからない?」
「《ばいたるせんさあ》に反応があるのに、姿が見えない。気配はあるけど、実体がない」
何のことかしら。
あたしは小首を傾げてあたりを見回してみるけど、これといって目立つ気配はない。
「……?」
いや、違う。気配はある。でも、それはどこかにあるという明確な物じゃない。霧か何かのように、あたり一面に気配が漂ってる。徐々に気配が濃くなっていったから、気づかなかっただけだ。まるで人ごみのように気配に満ちているのに、音もしなければ息遣いもない。影の一つも見えやしない。
あたしが警戒して短刀を抜くころには、リリオはすでに臨戦態勢だった。ウルウの言葉に敏感に反応して、そして何よりリリオ自身の直観が危険を訴えたんだ。
「ああ、大丈夫ですよ」
その中で一人、パフィストさんだけが伊達男ぶりを崩しもせず、暢気ともいえる朗らかな微笑みを浮かべている。けぶるような靄の向こうで、笑顔が、靄? 靄なんていつの間に、ああ、でも、確かに靄が、靄が出てる。足元にたまるように、濃い靄が、どんどん、ひろがって、
「ええ、大丈夫。死にはしませんよ。多分ね」
めのまえが、くらく、なっ
「この森は《迷わずの森》。どんな阿呆でも迷わずに逃げ出す森なんですよ」
あ
用語解説
・《迷わずの森》
どんな阿呆でも迷わずに逃げ出す森、略して迷わずの森。
甘き声と呼ばれる魔獣が巣食う。
死亡率が高く、冒険屋もまず近づかない危険地域である。