前回のあらすじ

よもやこの章は飯と風呂の話だけで終始するのではないか、と思わせる回。




 先に温泉を頂いた私とお母様は、ウルウたちが釣ってきた温泉魚(バン・フィーショ)なる見事に大振りな鮫のような魚を受け取り、早速調理するべく竜車まで戻ることにしました。

 とはいえ、温泉ですっかり温まったのに、服を着るときにはどんどんと冷えていき、すっかり着込んだころにはまた温泉に入りたくなっていました。

「リリオもまだまだねえ」
「むー。お母様はずっこいです」
「使える技を使ってるだけよ」
「むぐぐ」

 一方でお母様は平然としています。
 風精に働きかけて空気の壁を作り、氷精を遮って寒さを防いでいるのです。
 何の装備もない素っ裸で、呪文の詠唱もなく、息でもするかのようにそんな術を使える方がおかしいのであって、私は冒険屋としてはいたって普通だと思うのですけれど。

「普通どまりでいいなら、それでいいんじゃない?」
「そう言われると、むぐぅ」

 冒険屋の道は、長く険しいです。

 私もなにしろ辺境貴族の端くれ。魔力の量は多く、精霊にも好かれやすいのですけれど、いかんせん精霊と触れ合い、操る術に通じていません。
 ここしばらくの間にお母様にもおばあちゃんにもいくらか手ほどきしていただきましたけれど、どうにも不器用なのか、なかなか身に付きません。
 身に着ければ便利などとちょっとした宴会芸か何かのように気楽に言ってくれますけれど、本来魔術というものは一朝一夕でできるものではありません。

 そう考えると、戦闘で使えるようなものはあまりないとはいえ、細々と魔術の使えるトルンペートはかなり努力家で、そして素質があったのでしょう。
 ウルウも精霊がくっきり見えると言いますし、変わったまじないをたくさん使いますし、真面目に習えば魔術も使えるようになるのではないでしょうか。
 この二人がいるなら別に私は使えなくても問題ないんじゃないかという気もしてきましたけれど、なんだかそれはそれで悔しいので、努力あるのみですね。

 来た道を辿るように竜車まで戻る道を、温泉魚(バン・フィーショ)に雪をまぶして、表面を洗いながら進みます。これは単に後で洗う手間を惜しむだけでなく、温泉から釣り上げられたばかりでほんのり暖かい温泉魚(バン・フィーショ)を急速に冷やしてやるための工程でもあるそうでした。
 冷やしすぎると身が固くなるそうですけれど、なにしろ温泉でホッカホカの魚です。多少しっかり冷やした方がよさそうです。

「これも、温泉なんかに住んでるけど、一応鮫の仲間なのよ」
「鮫って初めて食べます」
「このくらいの距離だったら気にしないでもいいんだけど、鮫って時間がたつと独特のにおいがしてくるのよね」
「足が早いんですか?」
「腐りはしないのよ。でもその代わり、変なにおいがするのよね」

 においはするけれど保存は利くので、海辺よりもむしろ山間などで珍味やご馳走として食べられることが多いのだとか。その独特の香りを興がるということもあるけれど、新鮮な魚に慣れたハヴェノ人であるお母様にはあんまり好みじゃないみたいです。

 なので、どんな魚でも一緒ですけれど、水揚げしたらすぐにしめて、氷水などで冷やすのが一番鮮度をよく保てる方法なのだそうです。
 直接氷で冷やさず氷水で冷やすのは、直接だと氷焼けと言って身が悪くなることが……この温泉魚(バン・フィーショ)はいいんでしょうか。直接雪がっしがっしなすり付けてますけど。
 まあお母様は細かいこと気にしなさそうですね、うん。

「私が真っ先に氷の魔法を覚えたのは、猟師との付き合いが多かったってのもあるかもしれないわね」

 幼いころから好奇心旺盛だったお母様は、よく知り合いの船に乗せてもらって、様々な魚の捕り方やしめ方、捌き方を教わったそうで、それが巡り巡って、辺境まで新鮮な魚介を届けるという、お父様との出会いにつながったわけですね。
 なんだか物語のように運命的ですね。

 その後の道中も、飛魚(フルグフィーショ)は身が黒くなりやすいし、脂は足が早いし、塩漬けは硬くなるし、水槽で運ぶにはでかすぎるし、しめ方の改良や超低温の氷室の発達がなければなかなか流通させられない雑魚だったとか、氷室で寝かせると味が深まることがわかってから値が高くなり始めたとか、海辺の町に住んでいないとなかなかわからないことを教えてもらいました。
 それに、凍らせた大型魚は凶器になるとか、烏賊(セピオ)の墨を蕃茄(トマト)と煮込んで練り物(パスタージョ)に和えたものがうまいのだとか、ほかにも様々なとりとめもないことを話したように思います。

 それは情報を交換するというよりは、全く中身のない、ただ言葉を交わすことだけを楽しむ、そんなどうしようもなく下らない、そして贅沢な会話だったように思います。

 竜車に戻った私たちは、ふわふわと柔らかい新雪をある程度投げてしまい、その下から顔を出した硬い雪をさらに踏みしめて押し固めて、しっかりとした土台を作ります。
 そうしてここに空気がよく通るように薪を積み、火を起こします。
 今日は、まあ二基あればいいでしょうかね。
 雪の上で火が起こせるのだろうかとお思いかもしれませんが、起こせます。
 こればっかりは慣れですけれど、慣れさえしていれば大抵の状況で焚火は熾せます。

 かまどを作る石は、雪で埋まってしまって探すに探せませんので、五徳に鍋をかけて湯を沸かします。

 火が安定したら、早速温泉魚(バン・フィーショ)を捌きにかかります。
 と言っても私は鮫の類を捌いたことがありませんから、余さず美味しくいただくためにも、ここは慣れたお母様に手本を見せていただきます。

 まずお母様は、水袋の水とたわしを使って、改めて温泉魚(バン・フィーショ)の表面を洗ってぬめりを落としました。
 次に魚を捌くための分厚い包丁を取り出すと、手早くひれを落とし、頭を落とし、内臓を抜き取り、尾を落とし、三枚に卸していきます。
 手馴れているので非常に速やかに作業は進んでいくのですけれど、鮫の肌というものはなかなかに丈夫なものらしく、どんどん刃が削れて切れなくなっていくのが窺えます。それでもするするっと手妻のように一尾を捌き通して、奇麗な白っぽい桃色の身をさらす三枚おろしの完成です。

 お母様が包丁を研いでいる間に、私も自前の包丁で挑戦してみましたが、これがなかなか難敵です。
 鮫肌が非常に丈夫なのは承知の上でしたが、内側も意外でした。骨が恐ろしくやわいのです。
 鮫という生き物はあれだけ強そうななりをしておいて、なんとその骨は軟骨ばかりでできていたのです。
 三枚に卸そうとして骨に刃を当てると、うっかり骨ごと身を切り落としてしまいそうになるくらいでした。

 ちょっと時間をかけながらもなんとか捌き終えましたけれど、断面はがたがたになってしまって、お母様のと比べると明らかに見た目が悪く、きっと身の締りも悪くなっていることでしょう。

「まあ、誰だって最初はそんなものよ」

 私のささやかな消沈を気にも留めず、お母様は沸かしたお湯をざばざばと温泉魚(バン・フィーショ)の皮にかけていきます。
 するとなんということでしょう、あれほど丈夫で頑固だった皮がべりべりと簡単にはがれるようになるではありませんか。
 温泉に住む温泉魚(バン・フィーショ)も、さすがに沸かし切ったお湯にまでは耐えられなかったようです。

 お母様の捌いたきれいな方の身は、サシミにするということで、濡れ布巾をかけてしばらく置いておきます。
 いまのうちに切っておいてしまってもいいのですけれど、そうすると乾いてかぴかぴになってしまいます。サシミもまた、出来立てが美味しいのでしょう。

 サシミに使わない、私の捌いた方の身と、頭や骨と言った部位を使って、私が火の入った調理を施します。
 サシミも美味しいですけれど、寒いですし、やはり温かいものが欲しいですものね。

 まず玉葱(ツェーポ)をざくざく切ります。
 塘蒿(セレリオ)もあったのでこれも入れちゃいましょう。ざくざく切ります。
 人参(カロト)がしなびてきてたので、これもざくざく切っちゃいます。
 大体の材料はざくざく切っちゃえばいいんです。
 大体の大きさをそろえて、火の通りが同じくらいになるようにって考えておけばいいんです。
 まあ、あんまり考えてやってないんですけど。

 野菜を見比べて、生姜(ジンギブル)を二欠け。
 一欠けは叩いて細かく刻みます。
 もう一欠けは、うすーく薄切りにして、それをさらに千切りにして、針のように細くして、水にさらします。

 しなびかけた韮葱(ポレオ)も見つけたので、頭の青い部分はぶつ切りにして香り出しに、白い部分は、外側のしなびたところを取り払い、適当な長さに筒切りにして行きます。
 ちょっと考えて、この筒を切り開き、芯を取り除き、繊維にそって千切りにして行きます。
 出来上がったら先ほどの生姜(ジンギブル)と一緒に水にさらします。

 この針生姜(ジンギブル)と白髪韮葱(ポレオ)は、ウルウに教えてもらったやりかたでした。

 温泉魚(バン・フィーショ)の身は程よい大きさに切り分け、兜は割り、中骨の部分も適当な大きさに分けます。

 身の部分に軽く下味をつけ、粉を叩き、油を温めた浅鍋でさっと両面を焼いて、すぐに取り上げます。
 これは表面を固めてうま味を逃がさない工夫だとかで、ここで火を通してしまう必要はありません。
 私一人ならこの時点で食べてしまっても良いような気分にもなりますけれど、ここはちゃんと最後まで頑張っていきたいところ。

 同じ浅鍋で微塵切りにした生姜(ジンギブル)を温めて香りを出し、野菜の類を放り込んだらざっくり炒めます。玉葱(ツェーポ)は先に炒めると甘みが良く出ますし、人参(カロト)は火が通りづらいのでここである程度通しておきたいところ。
 塘蒿(セレリオ)? 塘蒿(セレリオ)はなんかこう、うまいぐあいにやればいいんじゃないですかね。
 生でも火を通しても美味しいんですからあんまり気にしなくていいんですよ、うん。

 炒め終えたら深めの鍋に移して、先ほど焼き目を入れた温泉魚(バン・フィーショ)の身を崩さないように並べ、隙間にアラを放り込みます。
 そこに水、白葡萄酒(ヴィーノ)をひたひたになるまで注ぎ……ひたひたでいいんでしたっけ。まあいいでしょう。もう注いじゃいましたし。多すぎたら火にかけて飛ばせばいいんですよ。うん。

 で、塩と、砂糖を少し、月桂樹(ラウロ)の葉を適量放り込んで煮込みます。
 月桂樹(ラウロ)の葉はいいですよね。大体何に使っても間違いないですから、適当に放り込んでもまずくなることはありません。
 トルンペートなんかは、いろんな香辛料を使い分けますし、ウルウもなんだかんだ鼻がいいので、それらしいものを放り込みますけど、まあ、私は、うん、これも私らしさというか?

 船旅や、長期の旅のために、お湯で溶くだけで使える固形の出汁なんかもあるらしいですけれど、あれはさすがにお高いのでそうそう気軽に使えません。
 いや、私たちの資金からしてみたら使えないことはないんですけど、あんまり割に合わないなあ、と。
 瓶詰の濃縮出汁なんかはまだ手が届くお値段ですけれど、移動が多い冒険屋にとって、割れ物の瓶詰はちょっと使い辛いんですよね。
 これらがあれば、ちょっとの手間で味わいはぐっと深くなる、らしいのですけれど、そういうのは町のお店とかで外食する時に食べればいいかなあ、と。

 トルンペートの鹿節(スタンゴ・ツェルボ)なんかは、割とお値段は張りますけど、壊れ物でもなし、お手軽でもあり、ある種、この固形出汁のお仲間と言っていい気もします。

 まあ、私はよくわからないので、わかる方法で調理するとしましょう。

 勘で味を見極めたら、蓋をして少し火からはなし、コトコトと煮込みます。
 後は美味しくなあれと祈るだけです。

 コトコト煮込まれる鍋の前で私が美味しくなれの祈りと踊りを捧げていると、やがてお風呂上がりでほかほかとしたウルウとトルンペートが帰ってきました。
 ゆっくり温泉を楽しんできたんでしょうけど、なんかほかほかしすぎてません?
 私が凍えながら着替えて、冷め往く体温を感じながら帰ってきたのと全然違いません?
 またなにか不思議な便利道具でも使っているんでしょうか。
 ぐぬぬ。

 ともあれ、二人が帰ってきたのならば、ご飯です。
 私が煮込みの最後の調整をしている間に、お母様はサシミに取り掛かります。

 美しい桃色をさらした温泉魚(バン・フィーショ)の柵は、笹穂のようにするりと細長い包丁でもって、するりするりと鮮やかな手つきでサシミにされていきます。
 サシミってただ切ればいいものだと最初は思っていましたけれど、違うんですよね。使う包丁、切り方、また温度や、しめ方、そういったもの全てが、ありありと出てきてしまう繊細な料理なんですね、サシミ。

「お魚は寝かせた方が美味しいんだけどねえ。南部人はあんまり寝かせないで、ちょっと歯応えの(こわ)いのが好きよねえ」

 お肉も熟成させた方が美味しいですものね。
 普段は獲ったらその場で食べちゃいますけど。

 お母様はするすると切っていった――サシミは「引く」と言うそうですね――温泉魚(バン・フィーショ)を皿に奇麗に盛り付け、そして新たな切り身を、今度は沸かしたお湯にくぐらせます。
 茹でるのだろうかと思いきや、さっと取り上げて、冷水につけて冷ましてしまいます。
 これは湯引きというそうで、表面だけ加熱され、生臭さや余分な脂を取り去るほか、身が引き締まる効果もあるそうです。
 冷水から引き揚げられた柵は、霜が降りたように白く染まっており、これをサシミのように引いていくと、薄桃色の中心部が鮮やかに表れて、見た目にも美しい仕上がりです。

 またもう一つ柵を取って、こちらは串を刺して、なんと火で炙り始めました。
 串焼きで食べるにしては大きい、と思っていると、これも表面を炙るにとどめて、冷ましてしまいます。
 こちらはタタキと言うそうで、西方の炙り焼きのやり方だそうです。
 藁で焼くと香りがついてよいとのことでしたが、さすがにそこまでの準備はありませんでした。
 こちらも生臭さなどが取れる他、水分が飛ぶので味が濃く強まるそうです。
 また、食欲をさそう香ばしさがたまりません。

 刺し身は醤油(ソイ・サウツォ)で、湯引きは胡桃味噌(ヌクソ・パースト)と酢などを混ぜた酢味噌で、タタキは大蒜(アイロ)生姜(ジンギブル)、さらし玉葱(ツェーポ)などの薬味と一緒に、柑橘の汁と醤油(ソイ・サウツォ)を合わせたものでいただくと美味しいとのことでした。

 私の方はもう少しかかりそうでしたので、先に頂くことにしましたけれど、これがまた、同じような姿をしているのに、その味わいは三者三様に素晴らしい物でした。

 まずサシミです。
 少し独特の香りが鼻につくかな、とも一瞬思うのですけれど、脂が豊富でとろりと舌にとろけて、甘みが強いんですね。
 ちょっと不安になるくらいくにゅりくにゅりと柔らかくて、脂を食べている、という感じなのですけれど、これがまた美味しい脂なんですね。

 湯引きはがらりと印象が変わりました。
 表面が締まっていて、先ほどの不安になるような柔らかさに、確かな歯ごたえをもたらしてくれるんですね。そして酢味噌がまた、いい。甘みのある胡桃味噌(ヌクソ・パースト)を酢がさっぱりとした具合に仕上げてくれていて、濃厚、だけどあっさりという味の妙なのですね。
 そして、湯引きの効果と酢の効果との合わせ技か、先ほどは少し気になった独特の匂いが、全然気になりません。

 タタキは力強い印象でした。
 まず薬味を使わずに合わせ醤油(ソイ・サウツォ)だけで頂いてみたのですけれど、これがなかなか、味わい深い。湯引きと同じように身が締まっているだけでなく、炙りによる香ばしさが鼻に心地よく、またいくらか脂っこいなと感じ始めた舌に、身自体のうま味が濃縮されて感じられるんですね。
 ここに大蒜(アイロ)生姜(ジンギブル)玉葱(ツェーポ)と言った力強い薬味をけしかけますと、温泉魚(バン・フィーショ)の方も、追いやられるなどと言うことは全くなく、力を合わせて舌に挑んでくるんです。
 その上で決して重たく感じさせないのが、合わせ醤油(ソイ・サウツォ)の柑橘の爽やかさですね。

 サシミを楽しんでいる間に、煮込みの方もいい具合に誤魔化せもとい出来上がりましたので、皿に取り上げて、最後の仕上げです。

 水にさらしておいた針生姜(ジンギブル)と白髪韮葱(ポレオ)をよく絞って、これでもかっというくらいたっぷりと煮込みの上に散らします。散らすというか、もう、乗せます。たっぷり。
 そして枸櫞(ツェドラト)を搾って果汁をかけまわし、さらにその上から、浅鍋で熱した橄欖(オリヴォ)油をかけまわします。
 バチバチと跳ねながら、橄欖(オリヴォ)油の香りが漂い、爆ぜた枸櫞(ツェドラト)の汁が爽やかな香りをあげ、また韮葱(ポレオ)生姜(ジンギブル)とが高熱にさらされて、しおれながらその香りを解き放ちます。
 香りの三重奏と、跳ね上がる油の音に、視線も集まります。

華夏(ファシャ)街でやってたわよね、こういうの」
「あれ美味しかったんで、やってみようかなと」
「あれは蒸し物だったけどね」

 仕上がった白葡萄酒(ヴィーノ)煮込みを、熱々の内に頂くことにしましょう。

 火を通した温泉魚(バン・フィーショ)の肉は、生の時の柔らかな食感とは異なり、しっとりとした鶏肉のような歯応えで、硬すぎるということはなく、口の中でほろりとほどけていくようでした。
 味わいは淡白ですが癖はなく、白葡萄酒(ヴィーノ)の香りが邪魔されずに漂います。
 また、針生姜(ジンギブル)と白髪韮葱(ポレオ)と一緒に食べると、じゃくじゃくとした食感と辛みが、この控えめな味わいにすっきりとした芯を一本通してくれるようでした。
 煮込み料理には普通はあり得ない、かけまわした油の香ばしさもまた、味わいに複雑さを与えてくれます。

 また、出汁とり用として放り込んだアラも、侮れません。骨周りなどぷにぷににとした食感がたまらず、軟骨ももう少し煮込めば美味しくいただけそうなものでした。

「かなり凶暴な魚だったけど、こうしてみると美味しいねえ」
「存外、危険な魔獣の方が美味しいのかしら」
熊木菟(ウルソストリゴ)も調理次第で美味しくいただけましたしねえ」

 温泉魚(バン・フィーショ)は美味しいだけでなく、その鮫皮はおろし金に使ったり、剣の柄巻きに用いたりと、素材としてもなかなかに優秀なようでした。

「温泉も楽しめて、美味しいご飯も食べれるなんて、いい場所だね」
「住みついたらあっという間に温泉魚(バン・フィーショ)絶滅させそうよね」
「そう言えばキューちゃんたちはどこへ?」

 ご飯時になっても帰ってこない飛竜二頭に小首を傾げると、ウルウとトルンペートは顔を見合わせ、そしてぼそりと呟いたのでした。

温泉魚(バン・フィーショ)、絶滅したかも」

 おやつと温泉をたっぷりいただいた飛竜二頭が帰ってきたのは、それから少しした後でした。




用語解説

玉葱(ツェーポ)
 ネギ属の多年草。球根を食用とする。タマネギ。

塘蒿(セレリオ)
 セリ科の淡色野菜。独特の香気がある。セロリ、オランダミツバ。

人参(カロト)
 セリ科ニンジン属の二年草。もっぱら根を食用とする。ニンジン。

月桂樹(ラウロ)
 クスノキ科の常緑高木。葉に芳香があり、古代から香辛料、薬用などとして用いられた。
 食欲の増進や、消化を助けるとされる。

・固形の出汁
 固形出汁《ブリョーノ・クーコ》(buljono kuko)と呼ばれるものは様々な種類が存在する。
 例えば、材料となる牛、羊、豚、鶏などを蜂蜜のような粘度になるまで煮詰め、オーブンで乾燥させたもの。
 例えば、乾燥・粉砕した原料を粉類、調味料、香辛料などとともに押し固めたものなどである。
 どちらもある程度大掛かりな工業手法が必要であり、また需要がそこまで高くないため、現在はまだ高価であるか、希少である。
 多量の油脂で食材などとともに出汁を固めたものは安価であり、手作りも難しくなく、またカロリーが高く寒冷地や難所では人気がある。

・美味しくなれの祈りと踊り
 そんな宗教的儀式は存在しない。

枸櫞(ツェドラト)
 ミカン科ミカン属の常緑低木樹。シトロン。檸檬(リモーノ)の類縁種。
 でこぼことした楕円形で、果皮は柔らかいが分厚く、果汁も果肉も少ない。
 酸っぱい種類とそうでない種類がある。

橄欖(オリヴォ)
 モクセイ科の常緑高木。オリーブ。
 果実は油分を多く含み、古くから油が採られてきた。
 また採油だけでなく、身は食用にもなり、塩漬けが良く出回っている。
 橄欖(オリヴォ)の木材は硬く丈夫で、やや高価ながら道具類によく使われる。