前回のあらすじ
圧倒的な超生物との遭遇に、戦慄する一行であった。
飛竜って生き物は初めて見たけれど、何とも不思議な生き物だった。
この世界に来てから、散々ファンタジーな生き物に遭遇してきたけれど、なにしろドラゴンの類だ。ファンタジー強度が高い、気がする。
前準備なしでいきなりご対面した時は、これ死ぬのでは、と呆然としてしまったくらいに、生き物としての強度が凄まじい。気配というものなのか、それとも魔力とやらの圧力なのか、大人しくしているはずなのに、こっちが気圧されるような気分だった。
ライオンの檻に放り込まれたらあんな気分になるんじゃないかと思う。
たとえ襲ってこないとわかっていても、怖いものは怖い。
マテンステロさんは技術とか、立ち回りとか、戦闘勘とか、そう言うものが積み重ねられて、私を圧倒してくる。
でも飛竜の場合は、単純に強いのだ。
多少のプレイヤースキルとか対策とか、そんなものはまるで関係ない、圧倒的なステータス差みたいなものを感じさせる。
さしものリリオも腰が引けるくらいだったし、トルンペートはリリオがいなかったら逃げ出していたと思う。それでいい。それが賢い選択だ。
私たちは素のステータスの高さとちょっとした経験で調子に乗っていた。
最近マテンステロさんにしごかれてちょっと強くなった気がしてた。
そんなところに、うっかりレベル帯間違えた強ボスと遭遇してしまったのだ。
折れずに済んでよかったってくらいだね。
そんな、天狗になってた鼻っ柱を小気味よくへし折られるようなショックが抜けてみれば、飛竜って言うのは、恐ろしくも美しい生き物だった。
私は飛竜なんて呼ばれているから、いわゆる、ワイバーンって言うのかな、翼竜みたいのを想像していたんだけど、実際の飛竜は全然違うものだった。
確かに顔つきは爬虫類のようではある。鋭い牙があって、力強い、いわゆるドラゴンと言った顔つきだ。
しかし全体としては、猛禽のような印象がある。
翼はワシを思わせるようなものが二対四枚。邪魔くさくないかなと思うのだけれど、折りたたんでしまうと驚くほど小さく収まるし、羽ばたく時も、風精の力で飛んでいるのか、実に優雅で滑らかに動く。
体を覆う羽毛はちょっと驚くくらいしっとりと触り心地が良く、特に細くふわふわとした和毛など、そのままうずもれてしまいたいほどだ。
鋭い爪をもつ足は、フクロウなどのように獲物を掴み、引き裂くのに適しているのだろう。そんな凶悪さを感じさせるのだけれど、ちゃっかちゃっかと爪音を立てながら、歩き回るピーちゃんはちょっとかわいい。
最初は見慣れない私たちに警戒していたようだけれど、飼い主のマテンステロさんが引き合わせてくれると、途端に好奇心を押さえきれなくなって、二対二連の四つの目を見開いてきょろきょろと見つめてきて、ふんふんと鼻先を近づけてくるのだった。
リリオが勇気を出し、トルンペートがおっかなびっくり引け腰で、恐る恐る手を出すと、くふんくふんと鼻を鳴らして匂いを嗅いで、それからべろんちょと大きな舌で舐めてくるのだった。
そうなると後はもうなし崩しで、伸し掛かってくるわ、翼をバサバサ羽ばたかせるわと騒がしい犬っころといった具合で、リリオもトルンペートもきゃいきゃい言いながら撫でまわしたり、甘噛みされたりするのだった。
出遅れた私が手持無沙汰でいると、お母さん竜であるキューちゃんが、仕方ないなという具合に寝そべったまま尻尾で私をつついてくるのだった。
触っていいんだろうかと私が恐る恐る撫でてみると、好きにしろと言わんばかりに脱力して目をつむるのである。
そして、仕方ないから構ってやっているという態度のくせに、私がもういいかなと離れようとすると、翼で器用に私を巻き込んでくるのだった。
どうやら足の届きにくい翼のあいだとか、耳の裏のくぼみとかをかいてやると喜ぶようだった。
私、あんまり生き物触るの得意じゃないんだけど、ここまででかいと、もはや生き物っていうか、なんかもこもこの布団みたいで、そこまで気にならない。
それでも羽毛の下の筋肉の動きとか、生き物特有の生暖かさとか、そういうのにちょっとどきっとする。どきっとするけど、子犬とか触るときほどではない。
犬とか猫とかって私より小さいからうっかり怪我させたらどうしようってなるけど、これ、どうあがいても怪我とかしないものな。
大きな翼に挟まれながらもそもそとご奉仕させていただいていると、問答無用で飛竜臭に包まれる。
この飛竜臭が、何とも言えず、もぞもぞする。
干したての布団のような、ちょっと甘いような、香ばしいような、でも確かに生き物って感じの少し脂っぽいというか、獣臭さというか、それで少し線香みたいに煙たいような。
「うーん……なんとも言えない」
「飛竜臭、としか言えないですよね」
「悪くはない」
「なんかこう、喉元まで出てくるんだけど、それじゃないんだよなー、みたいな感じよね」
「わかる」
「私もたまに喫飛竜するものね」
「喫飛竜」
「たぶん帝国でもここでしか聞かないようなワードだ」
「でも雨の日はちょっと匂いがねー」
「あー」
「濡れるとどうしてもねー」
「あーねー」
私たちはやんちゃ盛りのピーちゃんが満足するまで、本当にピーピーと甲高い声で鳴くのを聞きながら喫飛竜し、それからようやくおじいちゃんとおばあちゃん、それに預けていくボイに別れを告げて、飛び立つのだった。
颯爽とキューちゃんにまたがるマテンステロさんは、普段とは違う装いだ。
リリオ曰くの飛行服とやらだけど、マテンステロさんとおばあちゃんことメルクーロさんのお手製のもののようで、辺境の飛竜乗りたちが着ているものとはまた違うらしい。
辺境の飛竜乗りたちは飛竜革のものを着るらしいけれど、南部じゃちょっと手が届かない。
だからあの鱗持つ羊の革を使った、つなぎのように上下一体となったもので、内側はもこもこの羊毛で温かそうだ。
頭にしっかりと被った帽子も同じような造りで、耳を覆い、顎下でしっかりと結ぶようになっている。
手袋やブーツも、飛行服とそろいのもので、隙間ができないようにぴったりと留められていた。
ファンタジーだなと思わされるのは、その表面に刺された刺繍だ。
見た目にはただ奇麗だなとしか思わないのだけれど、どうもその模様や、刺すときに流し込む魔力などがそのまま魔法となっているという。
リリオの革鎧や、剣の柄巻きに術式を刺してもらったのと同じような技術らしい。
リリオの場合は耐久力の向上や放電の術式だったけれど、この飛行服の場合は、保温や、風除けなどのようだ。
また、口元には防毒マスクのようなものをつけ、目にはゴーグルをかけていて、これなんかはファンタジーなんだかミリタリーなんだかわかりゃしない。
風精石を仕込んで、酸素欠乏や気圧の変化に対応しているとか、でかい虫の抜け殻を使っているとか、素材的にはファンタジーだけれど。
そんなマテンステロさんに促されて、私たちは車輪のついたコンテナと言った様相の竜車に乗り込んで、角灯の明かりの下、シートベルトらしい帯で体を固定する。
取り付けられた伝声管で外のマテンステロさんに合図すると、少しして、車体が大きく揺さぶられ、そしてお腹の底が不安になるような浮遊感が私を襲った。
事前の説明によれば、マテンステロさんの乗るキューちゃんが、がっしりと上から掴み上げて竜車を持ち上げて飛ぶらしい。
私からすると永遠かと思うほどの間、竜車は激しく揺れた。それも規則的にではなく、右に左に、上に下に、前後に斜めに、まるで出鱈目に揺れるのである。
見ればリリオはちょっと楽しそうであるし、トルンペートもいつものすまし顔だ。
私は自分の顔がいまどんなことになっているのかはあまり考えないことにした。
あまり愉快な想像ではなかったからだ。
やがて十分に高度が取れて飛行が安定したのか、揺れはせいぜい船くらいまで落ち着いた。つまり私の致死レベルだ。
マテンステロさんのしばらくは揺れないわよとの声が伝声管から聞こえたが、揺れてるんだよなあ。
リリオは早速シートベルトを外し、元気に立ち上がる。馬鹿止めろ。揺らすな。
トルンペートは猫みたいに静かな足取りで立ち上がり、私のベルトも外してくれた。
「窓開けましょうか。ちょっとは楽になりますよ」
「……開けて大丈夫なの?」
飛行機程の高度を取っているのかは知らないが、少なくとも結構な高さを、かなりの速度で飛んでいるはずだ。迂闊に窓を開けていい物だろうか。
自分でも情けなくなるような声で聞けば、窓に風精の風除けが刻まれていて、強い風は入らないし、気圧も保たれるという。
その言葉の通り、スライド式の小さな窓を開けると、冷たい風が軽く吹き込むけれど、思ったよりも大人しいものだ。むしろ、その冷たさが心地いいくらいだ。
「魔法って便利なんだねえ」
「まあ、ちゃんとした竜車だったら、ちょっとした家が建つくらいのお金かかりますけどね」
「奥様もおばあちゃんも、自分でちょいちょいっとやれるから、こんなの気楽に造れるのよね」
私もなんとかよろよろ立ち上がって、三人で顔を寄せ合うようにして窓の外を覗くと、ハヴェノの町がもうはるか眼下に遠ざかっていくのが見えた。
青く輝く海がきらきらと日差しを反射し、緑の大地が柔らかく広がり、そして驚くほどの速さで景色が移ろっていく。
地面の上を進んでいく旅では決して見れない光景に、私たちはしばしのあいだ目を奪われるのだった。
「……………」
「わあ、私たちの通った街道がもうあんなに遠くに……あれ、ウルウ、どうしました?」
「吐きそう」
私たちの空の旅は最初からクライマックスだった。
用語解説
・飛竜
二対二連の目、二対四枚の翼、二対四本の足を持つ、空を飛ぶ竜種。
全身は羽毛に覆われ、高高度でも体温を保持し、また風の動きを敏感に把握する。
飛行は空力もあるがもっぱら風精の操作によって成し遂げられ、翼は風精との感応・受容に用いられるのではないかと言われる。
二対の目はそれぞれ遠近に対応しているという説がある。
長い尾は姿勢制御の外、攻撃にも用いられる。
メスを巡る争いや縄張り争いなどでは、極端な体格差がない場合、まず翼を広げて体を大きく見せる威嚇を行い、次いで長い尾を鞭のように鋭く振るい、より大きな破裂音をさせることで勝敗を決めるとされる。
それでも決まらない場合、鋭い爪で掴みかかり、また噛みつくなどして争うが、意図して殺傷に至ることは少ない。
羽毛は多くの場合茶系統、または赤く、年を経るごとに色を濃くしていく。肌の色も羽毛に準じる。
稀に白色個体が生まれるが、大抵は虚弱で、成体になるまで育つことは少ない。
しかし白色個体がうまく生き延びた場合、風精との親和性が非常に高い強力な個体となるとされる。
・飛竜臭
常食する食物や生活する環境、また体調などによっても異なるが、おおむね「日向のような匂い」「くしゃみが出そうな匂い」などと称される。
・喫飛竜
信頼関係の構築のためにも多くの時間を飛竜と過ごす飛竜乗りは、総じて飛竜臭に好意的なものが多く、精神の安定や緊張の緩和などを感じるとされる。
相棒である飛竜との一体感を高めるためにも彼らは頻繁に接触し、人間より飛竜と接している時間の方が長いというものも少なくない。
飛竜と離れていると不安を感じる、心細いといったものは多く、抜け羽毛などを袋に詰めて喫飛竜する習慣がある。
部外者からはドン引きされるのが常である。
・飛行服
航空服とも。
種族的に空を自由に行き来できる天狗たちでもなければ、空を飛ぶ、ということ自体がこの時代一般的でない。
また天狗たちであっても、道具や術の助けなくして高空を高速で移動することは難しい。
そのため飛行服は辺境の飛竜乗りたちが飛竜に振り回されながら洗練させていった独自の装備である。
基本的には風圧で飛ばされないよう余計な凹凸がなく、体に密着したものであり、内側は起毛で温かく、外気に触れる隙間は最低限度に抑えられている。
耐久性が重視され、多少の動きづらさや、脱ぎ着のしづらさは仕方がないものとされる。
そのうえで余計な重量は飛行の妨げとなるため、防具としての機能は素材と術式頼りである。
・防毒マスクのようなもの
給気面。
航空機乗りの用いる酸素マスクのようなもの。
鉱山等で、窒息しない土蜘蛛についていくために同様の道具を用いることがあり。
風精石によって安定した酸素の供給を行える。
長期間の飛行時には、ボンベ状の器具と接続して使うこともある。
・ゴーグル
航空眼鏡。
高速で走り回る一部の馬などに乗る際に使われることもある。
もっぱら大甲虫や大王甲虫の抜け殻、特に目の部分を用いて造られる。
圧倒的な超生物との遭遇に、戦慄する一行であった。
飛竜って生き物は初めて見たけれど、何とも不思議な生き物だった。
この世界に来てから、散々ファンタジーな生き物に遭遇してきたけれど、なにしろドラゴンの類だ。ファンタジー強度が高い、気がする。
前準備なしでいきなりご対面した時は、これ死ぬのでは、と呆然としてしまったくらいに、生き物としての強度が凄まじい。気配というものなのか、それとも魔力とやらの圧力なのか、大人しくしているはずなのに、こっちが気圧されるような気分だった。
ライオンの檻に放り込まれたらあんな気分になるんじゃないかと思う。
たとえ襲ってこないとわかっていても、怖いものは怖い。
マテンステロさんは技術とか、立ち回りとか、戦闘勘とか、そう言うものが積み重ねられて、私を圧倒してくる。
でも飛竜の場合は、単純に強いのだ。
多少のプレイヤースキルとか対策とか、そんなものはまるで関係ない、圧倒的なステータス差みたいなものを感じさせる。
さしものリリオも腰が引けるくらいだったし、トルンペートはリリオがいなかったら逃げ出していたと思う。それでいい。それが賢い選択だ。
私たちは素のステータスの高さとちょっとした経験で調子に乗っていた。
最近マテンステロさんにしごかれてちょっと強くなった気がしてた。
そんなところに、うっかりレベル帯間違えた強ボスと遭遇してしまったのだ。
折れずに済んでよかったってくらいだね。
そんな、天狗になってた鼻っ柱を小気味よくへし折られるようなショックが抜けてみれば、飛竜って言うのは、恐ろしくも美しい生き物だった。
私は飛竜なんて呼ばれているから、いわゆる、ワイバーンって言うのかな、翼竜みたいのを想像していたんだけど、実際の飛竜は全然違うものだった。
確かに顔つきは爬虫類のようではある。鋭い牙があって、力強い、いわゆるドラゴンと言った顔つきだ。
しかし全体としては、猛禽のような印象がある。
翼はワシを思わせるようなものが二対四枚。邪魔くさくないかなと思うのだけれど、折りたたんでしまうと驚くほど小さく収まるし、羽ばたく時も、風精の力で飛んでいるのか、実に優雅で滑らかに動く。
体を覆う羽毛はちょっと驚くくらいしっとりと触り心地が良く、特に細くふわふわとした和毛など、そのままうずもれてしまいたいほどだ。
鋭い爪をもつ足は、フクロウなどのように獲物を掴み、引き裂くのに適しているのだろう。そんな凶悪さを感じさせるのだけれど、ちゃっかちゃっかと爪音を立てながら、歩き回るピーちゃんはちょっとかわいい。
最初は見慣れない私たちに警戒していたようだけれど、飼い主のマテンステロさんが引き合わせてくれると、途端に好奇心を押さえきれなくなって、二対二連の四つの目を見開いてきょろきょろと見つめてきて、ふんふんと鼻先を近づけてくるのだった。
リリオが勇気を出し、トルンペートがおっかなびっくり引け腰で、恐る恐る手を出すと、くふんくふんと鼻を鳴らして匂いを嗅いで、それからべろんちょと大きな舌で舐めてくるのだった。
そうなると後はもうなし崩しで、伸し掛かってくるわ、翼をバサバサ羽ばたかせるわと騒がしい犬っころといった具合で、リリオもトルンペートもきゃいきゃい言いながら撫でまわしたり、甘噛みされたりするのだった。
出遅れた私が手持無沙汰でいると、お母さん竜であるキューちゃんが、仕方ないなという具合に寝そべったまま尻尾で私をつついてくるのだった。
触っていいんだろうかと私が恐る恐る撫でてみると、好きにしろと言わんばかりに脱力して目をつむるのである。
そして、仕方ないから構ってやっているという態度のくせに、私がもういいかなと離れようとすると、翼で器用に私を巻き込んでくるのだった。
どうやら足の届きにくい翼のあいだとか、耳の裏のくぼみとかをかいてやると喜ぶようだった。
私、あんまり生き物触るの得意じゃないんだけど、ここまででかいと、もはや生き物っていうか、なんかもこもこの布団みたいで、そこまで気にならない。
それでも羽毛の下の筋肉の動きとか、生き物特有の生暖かさとか、そういうのにちょっとどきっとする。どきっとするけど、子犬とか触るときほどではない。
犬とか猫とかって私より小さいからうっかり怪我させたらどうしようってなるけど、これ、どうあがいても怪我とかしないものな。
大きな翼に挟まれながらもそもそとご奉仕させていただいていると、問答無用で飛竜臭に包まれる。
この飛竜臭が、何とも言えず、もぞもぞする。
干したての布団のような、ちょっと甘いような、香ばしいような、でも確かに生き物って感じの少し脂っぽいというか、獣臭さというか、それで少し線香みたいに煙たいような。
「うーん……なんとも言えない」
「飛竜臭、としか言えないですよね」
「悪くはない」
「なんかこう、喉元まで出てくるんだけど、それじゃないんだよなー、みたいな感じよね」
「わかる」
「私もたまに喫飛竜するものね」
「喫飛竜」
「たぶん帝国でもここでしか聞かないようなワードだ」
「でも雨の日はちょっと匂いがねー」
「あー」
「濡れるとどうしてもねー」
「あーねー」
私たちはやんちゃ盛りのピーちゃんが満足するまで、本当にピーピーと甲高い声で鳴くのを聞きながら喫飛竜し、それからようやくおじいちゃんとおばあちゃん、それに預けていくボイに別れを告げて、飛び立つのだった。
颯爽とキューちゃんにまたがるマテンステロさんは、普段とは違う装いだ。
リリオ曰くの飛行服とやらだけど、マテンステロさんとおばあちゃんことメルクーロさんのお手製のもののようで、辺境の飛竜乗りたちが着ているものとはまた違うらしい。
辺境の飛竜乗りたちは飛竜革のものを着るらしいけれど、南部じゃちょっと手が届かない。
だからあの鱗持つ羊の革を使った、つなぎのように上下一体となったもので、内側はもこもこの羊毛で温かそうだ。
頭にしっかりと被った帽子も同じような造りで、耳を覆い、顎下でしっかりと結ぶようになっている。
手袋やブーツも、飛行服とそろいのもので、隙間ができないようにぴったりと留められていた。
ファンタジーだなと思わされるのは、その表面に刺された刺繍だ。
見た目にはただ奇麗だなとしか思わないのだけれど、どうもその模様や、刺すときに流し込む魔力などがそのまま魔法となっているという。
リリオの革鎧や、剣の柄巻きに術式を刺してもらったのと同じような技術らしい。
リリオの場合は耐久力の向上や放電の術式だったけれど、この飛行服の場合は、保温や、風除けなどのようだ。
また、口元には防毒マスクのようなものをつけ、目にはゴーグルをかけていて、これなんかはファンタジーなんだかミリタリーなんだかわかりゃしない。
風精石を仕込んで、酸素欠乏や気圧の変化に対応しているとか、でかい虫の抜け殻を使っているとか、素材的にはファンタジーだけれど。
そんなマテンステロさんに促されて、私たちは車輪のついたコンテナと言った様相の竜車に乗り込んで、角灯の明かりの下、シートベルトらしい帯で体を固定する。
取り付けられた伝声管で外のマテンステロさんに合図すると、少しして、車体が大きく揺さぶられ、そしてお腹の底が不安になるような浮遊感が私を襲った。
事前の説明によれば、マテンステロさんの乗るキューちゃんが、がっしりと上から掴み上げて竜車を持ち上げて飛ぶらしい。
私からすると永遠かと思うほどの間、竜車は激しく揺れた。それも規則的にではなく、右に左に、上に下に、前後に斜めに、まるで出鱈目に揺れるのである。
見ればリリオはちょっと楽しそうであるし、トルンペートもいつものすまし顔だ。
私は自分の顔がいまどんなことになっているのかはあまり考えないことにした。
あまり愉快な想像ではなかったからだ。
やがて十分に高度が取れて飛行が安定したのか、揺れはせいぜい船くらいまで落ち着いた。つまり私の致死レベルだ。
マテンステロさんのしばらくは揺れないわよとの声が伝声管から聞こえたが、揺れてるんだよなあ。
リリオは早速シートベルトを外し、元気に立ち上がる。馬鹿止めろ。揺らすな。
トルンペートは猫みたいに静かな足取りで立ち上がり、私のベルトも外してくれた。
「窓開けましょうか。ちょっとは楽になりますよ」
「……開けて大丈夫なの?」
飛行機程の高度を取っているのかは知らないが、少なくとも結構な高さを、かなりの速度で飛んでいるはずだ。迂闊に窓を開けていい物だろうか。
自分でも情けなくなるような声で聞けば、窓に風精の風除けが刻まれていて、強い風は入らないし、気圧も保たれるという。
その言葉の通り、スライド式の小さな窓を開けると、冷たい風が軽く吹き込むけれど、思ったよりも大人しいものだ。むしろ、その冷たさが心地いいくらいだ。
「魔法って便利なんだねえ」
「まあ、ちゃんとした竜車だったら、ちょっとした家が建つくらいのお金かかりますけどね」
「奥様もおばあちゃんも、自分でちょいちょいっとやれるから、こんなの気楽に造れるのよね」
私もなんとかよろよろ立ち上がって、三人で顔を寄せ合うようにして窓の外を覗くと、ハヴェノの町がもうはるか眼下に遠ざかっていくのが見えた。
青く輝く海がきらきらと日差しを反射し、緑の大地が柔らかく広がり、そして驚くほどの速さで景色が移ろっていく。
地面の上を進んでいく旅では決して見れない光景に、私たちはしばしのあいだ目を奪われるのだった。
「……………」
「わあ、私たちの通った街道がもうあんなに遠くに……あれ、ウルウ、どうしました?」
「吐きそう」
私たちの空の旅は最初からクライマックスだった。
用語解説
・飛竜
二対二連の目、二対四枚の翼、二対四本の足を持つ、空を飛ぶ竜種。
全身は羽毛に覆われ、高高度でも体温を保持し、また風の動きを敏感に把握する。
飛行は空力もあるがもっぱら風精の操作によって成し遂げられ、翼は風精との感応・受容に用いられるのではないかと言われる。
二対の目はそれぞれ遠近に対応しているという説がある。
長い尾は姿勢制御の外、攻撃にも用いられる。
メスを巡る争いや縄張り争いなどでは、極端な体格差がない場合、まず翼を広げて体を大きく見せる威嚇を行い、次いで長い尾を鞭のように鋭く振るい、より大きな破裂音をさせることで勝敗を決めるとされる。
それでも決まらない場合、鋭い爪で掴みかかり、また噛みつくなどして争うが、意図して殺傷に至ることは少ない。
羽毛は多くの場合茶系統、または赤く、年を経るごとに色を濃くしていく。肌の色も羽毛に準じる。
稀に白色個体が生まれるが、大抵は虚弱で、成体になるまで育つことは少ない。
しかし白色個体がうまく生き延びた場合、風精との親和性が非常に高い強力な個体となるとされる。
・飛竜臭
常食する食物や生活する環境、また体調などによっても異なるが、おおむね「日向のような匂い」「くしゃみが出そうな匂い」などと称される。
・喫飛竜
信頼関係の構築のためにも多くの時間を飛竜と過ごす飛竜乗りは、総じて飛竜臭に好意的なものが多く、精神の安定や緊張の緩和などを感じるとされる。
相棒である飛竜との一体感を高めるためにも彼らは頻繁に接触し、人間より飛竜と接している時間の方が長いというものも少なくない。
飛竜と離れていると不安を感じる、心細いといったものは多く、抜け羽毛などを袋に詰めて喫飛竜する習慣がある。
部外者からはドン引きされるのが常である。
・飛行服
航空服とも。
種族的に空を自由に行き来できる天狗たちでもなければ、空を飛ぶ、ということ自体がこの時代一般的でない。
また天狗たちであっても、道具や術の助けなくして高空を高速で移動することは難しい。
そのため飛行服は辺境の飛竜乗りたちが飛竜に振り回されながら洗練させていった独自の装備である。
基本的には風圧で飛ばされないよう余計な凹凸がなく、体に密着したものであり、内側は起毛で温かく、外気に触れる隙間は最低限度に抑えられている。
耐久性が重視され、多少の動きづらさや、脱ぎ着のしづらさは仕方がないものとされる。
そのうえで余計な重量は飛行の妨げとなるため、防具としての機能は素材と術式頼りである。
・防毒マスクのようなもの
給気面。
航空機乗りの用いる酸素マスクのようなもの。
鉱山等で、窒息しない土蜘蛛についていくために同様の道具を用いることがあり。
風精石によって安定した酸素の供給を行える。
長期間の飛行時には、ボンベ状の器具と接続して使うこともある。
・ゴーグル
航空眼鏡。
高速で走り回る一部の馬などに乗る際に使われることもある。
もっぱら大甲虫や大王甲虫の抜け殻、特に目の部分を用いて造られる。