前回のあらすじ

ウルウの過去。
それは気になるような、気にしても野暮なような。
そして気にしてもしょうがないことなのかもしれなかった。





 温泉に浸かってゆっくり茹だり、按摩を受けて全身を揉み解されて、そうして暖かな寝台に丸まって、いつの間にやら夢の中にもぐりこんで、そして、そうして、朝が来た。

 やはり朝になって最初に目覚めるのはあたしだった。
 しかし、今朝の目覚めは素晴らしいものだった。全身の疲れという疲れが、気づいていたものも気づいていなかったものも、残さずにきれいさっぱり洗い流され、磨き上げられたばかりの新品のように調子のよい身体は、朝日が差し込むやぱっちりと目を覚ましたのだった。

 しかし完璧な朝にも瑕はあった。
 昨夜はそれぞれの寝台で寝たはずなのに、結局朝になってみれば、一つの寝台で絡まりあうように寝ていたのだった。せっかく広々と寝台がつかえるのに、これじゃあ意味がない。

 あたしは呆れたようにウルウの腕の中から抜け出し、しがみついたリリオを引きはがし、窓の外から差し込む朝日に目を細めた。

 振り向けば、そんな朝日にじわりじわりと眠りの国を追い出されつつある二人が、それでもまだ抵抗を続ける気のようで、もぞもぞとお互いを盾にしようともみ合っているところだった。

 全く、仕方のない連中だ。
 あたしはなんだかおかしくなってその姿をしばらく眺めた後、卓の上のチラシの裏に、走り書きの書置きを残した。
 なにというわけではない。せっかくの温泉宿なのだから、朝風呂を楽しもうというのだ。

 早朝の宿は、まだ日が出たばかりということもあって人は少なく、時折すれ違う女中が、お早いですねえと笑顔を返してくれるくらいだった。そりゃあ、そうか。私も侍女だし、女中たちと目覚める時間が同じようなものでも、仕方ないのかもしれない。
 旅暮らしだし、もう少し生活が乱れてもおかしくはないのだと思うのだけれど、三等武装女中としてしっかり刻み込まれた教育は、なかなか抜けきらないようだった。いや、抜けても困るんだけどさ。

 早朝の浴場には朝の早い老人が一人、二人、それに昨夜とは違う交代要員らしい風呂の神官が浸かっているだけで、静かでいいものだった。

 あたしは少し考えて恐ろしく熱い浴槽に体を沈めてみて、そして百数える前に諦めて出てしまった。
 やはり、無理は良くない。

 冷泉で体を冷やした後、程よい暑さの湯に足先からゆっくりと浸かっていく、このピリピリと血管が開いていくような感覚がたまらない。腰ほどまで浸かって、少しこらえて、それからゆっくりと肩まで体を沈めていく。冷泉で冷やされた体に、お湯の温かさがじんわりとしみ込んできて、心地よい。

 昨夜のように人が多くて、三人でおしゃべりしながら浸かるような、賑やかなお風呂もいいものだけれど、時にはひとりの時間も必要だ、なんてウルウのようなことを考えてみる。
 しかしこうして実際に一人で過ごしてみると、確かにそのようなものかもしれないとも感じる。

 そりゃあ、あたしは頭の底まで洗脳教育を受けたといっていい、立派な三等武装女中だ。でも完璧な武装女中というものは休まなくていい生き物のことではない。自分をきちんと使える状態にいつでも持っていける女中のことを言うのだ。

 こうして一人で過ごす時間は、時計のぜんまいをまく仕事と似ている。
 館にあった立派な柱時計は、許されたものしか触ることができなくて、あたしはそれを眺めていることしか許されなかったけれど、あれは静かで、厳かで、そしてこれ以上ない緻密な仕事だった。
 ぜんまいを差し込み、ぎりぎり、ぎりぎり、と程よく巻き上げ、磨き上げられた柱時計を見上げて、ふん、と鼻先で笑う女中の顔には、確かな満足があったものだ。

 ああして時計という繊細な道具は、決められた仕事を完ぺきにこなせるような状態に仕上げられ、そうして実際、一分一秒と間違うことなく、毎日正しい仕事をしていたものだ。

 人間の体は機械よりいくらか丈夫だけれど、それでも繊細なものだ。
 あたしは自分という道具をいつでも万全の状態で使えるようにこうして調整してあげなければならない。

 などと気取っていたら、

「あ、トルンペート発見」
「あっ、いました!」

 などと馬鹿二人に発見されてしまった。

「もう、置いていくなんてひどいですよ。起こしてくれてよかったのに」
「嘘だ。私が起きてもまだ眠いって散々ごねたくせに」
「それは言わないお約束ですよう」
「ああもううるさいわね、他のお客さんの迷惑にならないようにね」
「はーい」
「はーい」


 まあ、結局のところいくら格好つけたって、冒険屋リリオの侍女である三等女中トルンペートには、こういう落ちがお似合いだ。

 つまり、あたしは今日も万全だってこと。
 そういうことなのだ。





用語解説

・柱時計
 東部では懐中時計がすでにある程度作られ、帝都人などがちらほらと持ち歩いていたりもするが、一般的に時計と言えば大きな柱時計のことである。
 それも一般的と言っても、貴族や金持ち、また組合の館などにあるくらいだ。
 製造はほとんど東部の職人によるもので、何もないとさげすまれながらも、大体進んだものは東部から生まれる。