翌朝、新菜はのろのろと起き上がった。今日も鯉黒と庭仕事をする予定を入れている。眠って起きれば、少しは胸の痛みが軽くなるかと思ったら、そんなことはなかった。食事の時に顔を合わせると、合わせる顔もなくて俯く。新菜は早々に食事を食べ終え、ミツハの前から辞した。

「私、お仕事してきます。昨日途中で放り出してしまったので」

食器を片付け、そそくさと卓を後にすれば、ミツハが訝し気な目で見ているのにも気づかなかった。

庭に出ると、もう鯉黒が水撒きをしていた。遅れてすみませんと謝罪して、新菜も蓑を抱える。

「……お前は思うことが行動に出やすい」

相変わらず新菜を気に入らないという表情で新菜を見る鯉黒に、自分のことをすっぱり切られて慌てふためいた。

「そう、……かもしれません……」

「惚れても無駄だ。ミツハさまは神だ。お前に惚れる筈がない。なのになんでまだここに居るんだ」

ほ!?

その言葉に新菜は真っ赤になった。

「ああああの、その、すみません……。分不相応だとは分かっているんです……。気持ちと役目は切り離しますから、あと少しここに居させて下さいませんか……。お傍に居るだけで良いんです……。私は、ミツハさまにお役目を頂いているので、それが果たせないうちはここを離れるわけにはまいりません……」

そう鯉黒に言って、はたと役目を果たした後のことを考えた。

ミツハが新菜に慈悲の心しか持っていないことなんて、百も承知だ。だったら、巫女となり、ミツハと契約出来れば、ここに居る必要はない。ミツハが新菜を花嫁に迎えたい、と熱心に言っていたのは過去のことだ。新菜を花嫁だ花嫁だと呼んでいたのは最初の頃の話。今は新菜を労わって寄り添ってくれる様子に変わった。

慈悲の心で。

だったら、契約を交わせるようになったら、他の宮巫女のように下界に戻るのが筋だ。改めて新菜は自分の身の振りようを確認した。

「ミツハさまのお傍に居て、手掛かりを得てお名前を思い出すことが出来たら、私は下界に戻ります」

あの家族には受け入れられないだろうが、宮巫女として生きていくならそれしかない。宮奥はもともと人間が立ち入れる場所ではなかった筈だ。だとしたら、そんな異例の立場に在ることは出来なかった。

「そうだ。それが本来の姿だ。だが」

鯉黒が言葉を続けた。

「ミツハさまは少し変わられたように思う。それがお前の影響だというなら、俺はお前を認めても良い」

鯉黒はそう、ぶっきらぼうに言うと、庭の方へ歩いて行った。ぽかんとした新菜がそこに立ち尽くす。

……少しは、ここに居ることを認めてくれようとしているのだろうか? あの鯉黒が?

新菜の口許に笑みが浮かぶ。

行ってしまった鯉黒の背中に頭を下げる。

「あ、ありがとうございます!」

返事はなかったが、それでよかった。

受け入れてくれる人が居る。新菜はそれだけで幸せを感じていた。