「ミツハさま。私が巫女と認められるためには、ミツハさまのお名前を思い出さなければならないと思います。思い出す努力するための、何か手がかりを頂けませんか? 例えば以前お会いしたという場所の情景などを教えて頂いたら、思い出すきっかけになるかもしれないと思うのです」

ミツハは新菜の言葉にぴくりと反応し、そしてなるほどとうなずいた。

「では、出掛けよう。以前の私が見た情景を以前の私の記憶を思い出して伝えても、それは事実にしかならないだろう。君が見た情景とは違うだろうからね。君がその場に行って、実際に感じた方が良い」

チコと鯉黒に、出掛けてくる、と言って、ミツハは新菜を宮奥から連れ出した。

ミツハは新菜を抱き上げると、ふわりと雲の上から下界に降り立った。新菜の手を握った手に力がこもっているので期待されているのだろうかと思うと、より早く記憶を手繰らなければと決意する。

ミツハが降り立った場所は、新菜が身を投げようとした、あの湖だった。湖に掛かる森の緑は濃く、鳥のさえずり以外何も聞こえない。上空を見上げると木漏れ日が射しており、湖の湖面をきらきらと輝かせていた。

湖のきらめきとは反して、やはり祠は古ぼけている。木漏れ日が射していても、苔むした様子が祈る人の通わなくなった寂しさを表している。

脳膜に映る景色として、穏やかできれいで、少し寂しい景色だ……。しかし新菜の脳裏には身を投げるときに微かに目にした記憶以外、なにも浮かんでこなかった。

しんと静まり返った湖の傍でミツハが祠を見つめる。どこか厳しい目つきをしていた。

「……君はあの時も私を慰めてくれた……。この傍で、あのうたを唄ってくれたよ」

あのうた。……ひふみうたのことだろうか。同じうたを唄ったから、あの時湖から飛び出てきたんだろうか。

「では、もう一度唄ってみたら、思い出すかもしれませんね」

「ああ、そうだな。追体験、というやつか」

では聞こう、と言って、ミツハは祠の横に座った。新菜は祠を前に息を吸う。朗々と唄うのは、自然への信仰のうた。



ひふみ 
よいむなや 
こともちろらね
しきる
ゆゐつわぬ 
そをたはくめか
うおえ
にさりへて 
のます
あせゑほれけ



最後の音まで吐ききってしまうと、新菜はミツハの居る祠の景色を見た。

ミツハは追体験、と言ったが、遠い過去を追ったような感覚はなく、思い出されるのは身を投げるときのことばかりだ。

「……私がうたを唄った後、私とミツハさまは何か会話をしましたか?」

「君は私が姿を現してないのに、誰か、と問うたよ」

「現わしてないのに……?」

「感じ取る力があったのだろうな。君は巫の血を受け継いでいるから、そういうことがあってもおかしくない」

ミツハは言葉を続けた。

「君が巫の血筋だとは知らずに居たから、寂しかったからうたを聞かせてもらったと礼を言った時に、私は膝をついてしまったのだ。満たされていなかった体に力が湧いたことに、咄嗟に体がついていかなかったんだ。……それで気が付いたんだ。君のうたには心が満たされる以上の力があったんだと」

ミツハの話はさらに続く。