ふと見ると、新菜たちが庭を鑑賞するのに邪魔にならない場所で、鯉黒が控えていた。鯉黒はミツハの言葉を受けて、確かにそうです、と応えた。

「労を労って頂いたことはございますが、この庭を美しいとはおっしゃったことはございません」

なんと、そうだったのか。ミツハはよほど目が肥えているのだろうか。そう思った新菜に、しかしな、とミツハは嬉しそうに言った。

「君の背後に見るこの庭は、確かに心を動かされるよ。葉の一枚一枚が露に濡れて輝いているのが分かる。……鯉黒は私がこうやって見ることが出来るまで、根気強く庭を手入れしてくれた。感謝するよ」

鯉黒が深く頭を下げる。新菜の手を握るミツハの手に力がこもった。

「ああ、これは確かに『美しい』……。新菜、君が私に新しい感情をくれるんだ。君にこの感覚を直ぐに分かってくれとは言わないが、いずれ分かって欲しいと願っている」

ミツハの目は、新菜がチコと最初に会った時の、あのチコの目の輝きを宿していた。それは庭を美しいと感じたことに対する興奮が現れているのだと、新菜は理解した。

ミツハはなお新菜の手を放さず庭を進む。小道を通って背の高い樹々の下を通りながら空を見上げると、ミツハが言ったように生い茂る葉が露に濡れてきらきらと輝いていた。そうっとその小さな水晶玉を覗いてみると、小さな珠の中に透かし見た向こう側が逆さに移っており、その縁が美しく虹色に輝いた。

「綺麗……。虹が空を囲っているわ……」

小さな世界の思わぬ贈り物に感動していると、脳裏に一瞬何かの景色が映った。

「え?」

驚いて目を見開くと、ミツハはハッとしたように新菜の手をぎゅっと握って、顔を覗き見た。その表情は緊張感に包まれていた。

「……ミツハさま……?」

新菜が問うと、ミツハは自分のしたことに気付いたように姿勢を正し、そして元の穏やかな顔になって、君は美しいものを見つけるのが上手だな、と新菜を褒めた。しかしその言葉は、新菜の暮らしがいかに貧しかったかを知らしめるものだった。過去の歩んできた人生を顧みて、自分は本当にミツハの隣に並び立つにふさわしい人間かを考える。俯く新菜に、ミツハは愛しむように微笑んだ。

「俯くのは君の悪い癖だな」

そう指摘されて弾かれるように顔を上げる。浮かべるのが自虐の表情でも、ミツハは微笑んで見つめてくれた。

「君に自信をつけてもらいたいが、君は役目が欲しいのだったな」

唐突に話が先日のことにさかのぼる。ミツハ自ら仕事を与えてくれるのなら、それに応えたかった。

「はい! お役に立つよう、頑張ります」

「私がせねばならぬことで、君が必要なことがある。まあまずは一緒に来なさい」

ミツハは新菜の手を取ったまま、水宮の門を抜けると、六角宮へとやって来る。六角宮にはその周りを五つの宮が取り囲むからか、五つの扉が付いていた。今、新菜たちはそのうちのひとつ、水宮から続く扉を潜って六角宮に来ており、他の四つの扉は閉められている。

ミツハは新菜をそのうちのひとつの扉の前に誘(いざな)った。そしてそこで畏まって扉に告げる。

「開門。日の神、アマサト神にお目通り願いたい」

ミツハの声に、扉は重たい音を立てて開いた。その向こうに伸びている雲の道を辿れば、水宮より光り輝く宮があった。ミツハが新菜を伴ってその宮の前まで来ると、音もさせずに玄関が開き、穏やかな微笑みを浮かべた一柱の神が其処に現れた。