「え……。新しい衣、……ですか?」

新菜はミツハに呼ばれて部屋を訪れていた。ミツハは新菜を前に、良いことを思いついたんだ、と言って、新しい衣を仕立てよう、と言った。

「君が日中着ているのは、地の世界の衣だろう。折角宮奥に居るのだ、宮奥で作った衣を贈りたい」

新菜が日中着ている着物は、贄となる為に湖に飛び込んだ時の巫女服だった。生活するのに斎服を着ているのは気になったが、新しく仕立てなければならないという意識はなかった。居候なのだ、ある物で十分。

そう言うと、ミツハが眉尻を下げて悲しそうな顔をする。

「心持ちは成りようからだよ、新菜。君はこれから宮奥の住人となるのだから、まず、衣を変えなさい。そして、一等最初の衣は、私手ずから織った生地で作りたい。……雨の香りのする衣は、嫌だろうか?」

雨の香りと聞いて鼻孔に蘇るのは、土の湿った匂い、草花に当たった水滴が地上に蒸す匂い、しっとりと空間を閉ざす冷ややかな香りだった。

「とても……、落ち着くと思います。人は水の恩恵を受けて生きています。その水の根源である雨の香りを嫌だと思う人はおりません」

でも。

「でも、ミツハさまが機織りをされるのでしょうか? 機織りは女の仕事。どうか私にさせてくださいませ」

畳に手を付いて頭を下げれば、共同作業と言うやつか、と嬉しそうにミツハが言う。

「確かにそれはいい案だ。私は雨を紡ぐことは得意だが、小手先の作業が苦手だ。是非、君と一緒に、君の衣を作りたい」

ミツハがそう言い、この日から新菜はミツハの横に仕えて機織りの仕事もするようになった。




からからと糸車の回る音がする。トントンカラリと機織り機の音がする。部屋は雨のにおいと気配に満たされ、新菜の心は凪いでいた。

昔から人々は日の気配に元気をもらい、水の気配に心を落ち着けてきた。新菜は心地よく糸車の音を聞き、規則正しく機織りをする。ミツハの糸の紡ぎ方は独特で、まず糸の許となる繭糸の束がない。代わりに空中から手繰った空気の中から雨粒を濾し取り、ほとんど見えないまでに雨粒を小さくしたのち、それを糸車に掛け、細い糸に撚(よ)っていく。その様子を見るに、小手先の作業が苦手という意味はきっと、紡ぐ雨は空中から指先の間隔で手繰り寄せ、糸車に通すだけだからなのだろう。

出来上がった糸は雨のにおいがし、そして少ししっとりしている。それが手にやわらかくなじみ、もともと静かな空間に居て穏やかな気持ちなのに、なお一層安らぐ気持ちになる。

「ミツハさま、雨の糸は本当に滑らかでしっとりしていますね。私、いつまでも触っていたい気持ちになります」

新菜の言葉にミツハが笑んだ。

「いくらでも紡いであげよう。君の衣を雨の衣ばかりにしてしまっても良いな。君が私の手ずからのものをまとう様子を思い描いて、私は満たされるよ」

ミツハの慈しみの言葉に、心がいっぱいになる。新菜はまだミツハの名前を思い出すという約束を果たしていないのに、こんなにやさしくされていいものだろうかと、たゆたう水に揺られて思わず過去を忘れそうになるのを度々思い出さなければならなかった。それほどにミツハの傍は新菜にとって、今までを考えるとありえない程の幸福で満たされていて、満足しきってしまいそうなのだ。新菜は機織り機に掛かる手を動かしたまま、眉を下げてミツハに訴える。