「天雨神さま」

「その呼び名は少し寂しいな。良ければ過去の名だがミツハと呼んでくれ」

請われてその名を口にする。

「では、ミツハさま。雨は地の民に届いておりますでしょうか?」

祈る気持ちでミツハに問うと、ミツハは難しい顔をした。その表情を見て新菜は悟る。雨はまだ降っていないのだ。

「だ……、駄目だったのですか……? わ、私がきちんと贄にならなかったから……」

父親は天雨神への贄として新菜を差し出すと言った。贄がきちんと贄として受け取られていないから、雨が降らないのではないか。新菜はそう考えた。顔を青くした新菜にミツハが、待ちなさい、と穏やかな声で諭した。

「君があそこで真に贄となっていても、状況は変わらない。私には祈りの声が聞こえないからな」

……声が、聞こえない?

「で、でも、ミツハさまはさっき、湖の傍(はた)で私の声に応じて下さったのではないのですか? 私の呼びかけに、応えて下さったのではないのですか?」

新菜の心に焦りが広がる。贄としても役に立たないのでは、新菜が生きていた意味がない。そう思うと焦りと絶望から、握った手がカタカタと震えてくる。

(わたしは、いきていたいみすらも、ないの……)

そう思ってしまうと、喉の奥から苦くて大きな塊がせりあがって来た。

掃除も炊事も神具の手入れも。心を尽くして頑張って来た時間が全て無意味だったというのか。

新菜は大きな虚無に襲われ、ぽたりと涙をこぼした。

(わたしは、どこへいっても、やくたたず)

事実を改めて認識してしまうと、今まで何も感じなかったというのに、今この場所では辛く悲しいと思ってしまう。ぽたり、ぽたりと涙をこぼしながらぼんやりとそう思っていた時に、握って震えていた手を大きくて暖かい手が包み込んだ。……ミツハの手だった。

「新菜。君が気に病むことではない」

「で……、でも……」

「この状況は、私が君に頼みを強いたことで起こっている。君が記憶と引き換えに私を救ってくれたということを知らなかったから、起きている。つまりは私の怠慢だ」

怠慢! 神から聞くにふさわしくない言葉に、新菜は仰天した。

「しかし記憶を失う可能性があるのならば、そもそもあの時に何故そう言ってくれなかった。聞いていれば何か策を考えることが出来ただろうに」

真剣な瞳で新菜を見つめながらミツハが言う。先程からしきりに新菜が記憶を失っていることを嘆いているミツハに、新菜もようやく思い至ることがあった。母親の言い残した言葉だ。