「水彩都ちゃん、見つかったってさー」

 間の抜けた声で横山から連絡を受けた同期が報告してきたのは、明け方になって二次会のカラオケのチェックアウト時間が迫ったころだった。

 追いコンで横山が大暴れする原因を作ったことを責められるかと思いきや、俺よりひどい女性問題を起こしている奴は他にもいたので、さほど責められなかった。普通に二次会に出席することが許された。この間三股がバレて修羅場を起こしたばかりの同期の悪友ハルヤに、大学院ではほどほどにしろよと笑われた。

 横山が出て行った後、横山に殴られた頬に彩希葉が濡れタオルを当ててくれた。女性関係トラブルを起こした俺に軽蔑のまなざしの一つでも向けてくれれば諦めがついたのに、彩希葉は俺を心配そうな目でいたわってくれる。もはや、俺は元カレだとすら思われていなくて、彩希葉にとってこの一連の騒動はただ「友達が殴られて痛そう」な出来事でしかないようだ。俺にタオルを当ててくれた彩希葉の左手の薬指には、学生の身分では到底変えなさそうな大きなダイヤが光っていた。

 大学一年生の時に福岡県出身だと言ったら、他の九州民からはそこそこ都会だと思われたけど、実際はそんなことはない。福岡市の博多駅周辺や北九州市の中心でもなければ、大した娯楽もない。俺の地元は間違いなく田舎の部類だ。

 そんなわけで、子供が少ない地域で義務教育期間を過ごしたので、六年間どころか九年間クラス替えというものを知らずに育った。彩希葉との出会いは小学一年生の春に遡る。今でこそ穢れてしまったが、無垢だった頃の俺は可愛い彩希葉に一目惚れし、天真爛漫な彩希葉に日に日に恋心を募らせていった。

 ダーツを嗜むようになったきっかけは、クラスの仲良し何人かで行った地元の夏祭り。男はみんな、彩希葉が大好きだった。射的や輪投げでとった指人形やお菓子、ヨーヨー釣りで釣ったヨーヨーなんかを彩希葉にプレゼントしていた。俺も彩希葉に何かプレゼントしたくて、ダーツに挑戦してみた。ダーツを選んだ理由は、射的や輪投げが一回百円だったのに対して、子供はダーツが一回五十円と安かったから同じ値段でたくさん挑戦できると思った。それだけの理由だった。

 ビギナーズラックは存在する。俺が放った矢は偶然、大当たりと書かれた小さなエリアに刺さった。当時流行っていたキャラ物の巨大なぬいぐるみをゲットした。

「すごい! 優紫、天才」

 そう言って拍手をしてくれた彩希葉にぬいぐるみをプレゼントした。

「えー! くれるの? 優紫、ありがとう! 来年もまたとってくれたら嬉しいな!」

 ダーツが上手ければ来年も、そのまた来年も彩希葉は俺と夏祭りに行ってくれる。それに、彩希葉が褒めてくれたんだ。俺がダーツにのめり込むのは必然だった。年の離れた兄貴に、しょっちゅうダーツに連れて行ってもらうようになった。

 田舎だったので娯楽はボウリング場くらいしかなかった。兄貴が友達と遊んでいる間、ボウリング場に併設されたダーツエリアで一人、ダーツを投げた。投げ放題いくらみたいな単位で東京の相場では考えられないくらい馬鹿みたいに安かったので本当に通い詰めていた。

 誕生日に親にマイダーツをねだって、スタッフの兄ちゃんと仲良くなって教えてもらうようになってからは飛躍的にうまくなった。見せられる腕前になったタイミングで、彩希葉をダーツに誘った。

 彩希葉は俺の放ったダーツがブル、すなわちど真ん中に入るたびに大袈裟に驚いてくれた。

「すごい、優紫、天才!」

 でも、本当に天才なのは彩希葉の方だ。俺が少し教えただけで、彩希葉は本当にすぐにうまくなった。彩希葉も親にマイダーツを買ってもらっていた。

 彩希葉は器用だった。見様見真似で何でもできるやつだった。音楽も体育も常に一番で、みんなの注目の的だった。男子がみんな彩希葉をちやほやしていても、女子のやっかみのターゲットになったりしない。だって、彩希葉は別格上位の存在だから。彩希葉は男子にも女子にも分け隔てなく優しくて、何でもできる。おまけに田舎に住んでいるのにまるで東京人のようにオシャレで、しかも顔がダントツに可愛い。ひがむなんて頭がおかしい。その風潮は思春期になっても変わらなかった。

 兄貴に彩希葉と二人でダーツ場に連れて行ってもらえるというアドバンテージを得ていた俺は、うまいこと彩希葉との関係を家族ぐるみのつながりに持ち込んで、彩希葉は俺の家に遊びに来るようになった。

 十歳くらいの頃、俺の家でテレビを一緒に見ていると東京の特集番組をやっていた。東京のシンボルである東京タワーが大きく映し出された。

「東京タワー作った人、絶対すごい頭いいんだろうなあ」

 彩希葉がそう呟いたのが、理工学部建築学科を目指したきっかけ。

「私、大人になったら東京行きたいなあ」

 東京に対して強い憧れを抱いたのも、彩希葉がそう言ったのがきっかけ。

 そんな幸せは突如終わりを告げる。六年生の初め頃、クラスメイトが彩希葉に告白して付き合い始めてしまった。この世の終わりだと思って絶望した。でも、彩希葉は俺にも、みんなにも変わらずきらきらした笑顔を向けてくれていた。彩希葉は何も変わらない。そのはずなのに、彩希葉が俺の家に来ることはなくなった。

 写真にハマったきっかけは小学校の修学旅行だった。彩希葉はハイペースで写真を撮りすぎて、初日のうちにインスタントカメラの枚数制限をあっという間に使い切ってしまった。一方、俺は親に大分高品質なデジタルカメラを持たされていた。

 他のやつらはみんなインスタントカメラだった。だから、デジカメを持っていた俺に彩希葉が自分の写真を撮ってほしいとか、綺麗な風景写真が撮れたら私にもちょうだいだとかいろいろ頼まれた。

 彩希葉が別の男の彼女になっても、彩希葉のことが好きだった。だから、大好きな彩希葉を出来る限り綺麗に撮ろうと奮闘した。彩希葉に渡すための風景写真もアングルをこだわり抜いた。その結果、彩希葉は褒めてくれた。これが写真にハマったきっかけ。

 屈辱だけれど、彩希葉と彼氏のツーショットだって撮ってやった。男の映りはそっちのけで、彩希葉だけをひたすら可愛く撮った。男には「お前写真下手だな」と言われたけれど、知ったこっちゃない。

 いい具合に男が俺に写真を撮られるのを嫌がってくれたので、卒業式の時は忌々しいツーショットを撮らなくて済んだ。しかし、田舎の公立小学校に制服があるわけでもないのに中高生の真似をして彼氏の第二ボタンを欲しがる彩希葉を見て大ダメージを受けた。

 中学生になった彩希葉は読者モデルのオーディションに応募したいと言い出した。

「優紫が撮ってくれた写真が今までで一番可愛く取れてたから、エントリーシート用の写真とってくれない? お願い!」

 お年玉をはたいて、一眼レフカメラを買って最高の彩希葉の写真を撮った。彩希葉はオーディションを突破して、俺は彩希葉の絶大な信頼を得ることに成功した。

 彩希葉が彼氏と別れたら、その時はちゃんと告白しよう。そう思っていたら、彼氏がいる時から露骨に口説いていた別の野郎に横取りされた。同じ轍は踏まない。俺は彩希葉に男として見てもらえるように頑張った。

 その結果、高一から高二に上がる春休み、彩希葉が二人目の彼氏と別れたタイミングで俺は彩希葉に告白した。男として見てもらうための下準備は怠っていなかった。彩希葉が少女漫画みたいなキザなことが好きだと言うことも知っていた。

「賭け、しようよ」

 俺にとって人生最大の賭け。

「今から俺が三本投げて、全部ブルに入ったらちょっと話聞いてくれる? 入らなかったら、ジュース奢るってことで」

 彩希葉に得しかない話を持ち掛ける。失敗したら、ジュースを奢るだけでいい。このプランは諦めて普通に告白しよう。でも、神様はいる。俺の投げた矢はこの大一番で全部ダブルブルを打ち抜いた。その奇跡に熱狂する彩希葉に告白する。

「好きだよ。俺と付き合って」

少女漫画のような告白は成功し、付き合うことが出来た。付き合ってすぐ、彩希葉の誕生日がやってきた。小さい頃使っていたマイダーツをそろそろ買い換えたいと言っていたので、マイダーツをプレゼントした。

 幸せな日々が続いた。彩希葉と放課後ダーツをしたり、彩希葉の写真を撮ったり。カメラに笑顔を向けてくれる彩希葉は俺だけの彩希葉だ。

「優紫ってかっこいいけどさ、八重歯なところは可愛いよね。ギャップ萌えって言うのかな。好き」

 彼女になった彩希葉が俺を褒めてくれるたび、今まで以上に自己肯定感が満たされた。彩希葉がいるだけで、俺は生きていける。

 人気の執事系漫画がイケメン俳優主演で夏にドラマ化した。彩希葉はそれに熱狂し、俺は主演俳優に激しく嫉妬した。俺以外見るなよ。俺だけ見てろよ。そいつに対抗して、彩希葉を「お嬢様」と呼んでみたら彩希葉は舞い上がって喜んでいた。俺は調子に乗って彩希葉が飽きるまでそれを繰り返した。

 進路を決める時期になり、彩希葉は子供の頃に言っていた通り、東京の大学への進学を希望した。私立麗宝大学看護学部。と言っても、厳密には東京ではなく神奈川のキャンパスだけど。

 俺は麗宝大学の理工学部建築学科よりも偏差値の高い地元の国立の建築学部に行くこともできたが、彩希葉と同じ大学を選んだ。キャンパスは彩希葉と違うけど、彩希葉と同じ大学ということが一番大事だった。そこそこ裕福な放任家庭に生まれたことにあれほど感謝した日はない。担任には反対されたが、「親が良いと言っているんだから黙れ」と言ってその後の進路面談は全部バックレた。

 俺たちは無事二人とも合格した。俺は一人暮らしを始め、彩希葉は門限二十一時かつ男子禁制の女子寮に入った。入学式、女は大概リクルートスーツを着ていたが、彩希葉は可愛いフレアスカートのスーツを着ていた。上京早々、俺はアルバイトを始めた。四月の初めの彩希葉の十九歳の誕生日には、親の金じゃなくて自分で稼いだ金でプレゼントしたかった。

 彩希葉が「万華鏡ってキラキラしてて可愛いよね」と言っていたから、とにかく女が好きそうな東京っぽい店に入って、紫の万華鏡のペンダントを買った。期間が短かったから安物だったけど、当時の俺の精一杯。

 東京での初デートはもちろん東京タワー。展望台で彩希葉の誕生日を祝い、プレゼントを渡した。

「彩希葉、誕生日おめでとう。スカイツリーが東京タワーの高さを塗り替えたって、俺達にとって東京のシンボルはずっと東京タワーだよな。彩希葉が、『東京タワーみたいなすごい塔を建てる』って夢を俺にくれたんだ。家から半径一キロが世界の全部だった俺に、広い世界を教えてくれて、俺にレゾンデートルをくれた彩希葉がこれからもずっと大好きだ」

 彩希葉は神奈川キャンパスだったけれど、港区キャンパスを本拠地とするダーツサークルに一緒に入会した。彩希葉は医学部と合同のダンスサークルと掛け持ちすると言う。垢抜けない俺と、都会っ子に埋もれないどころか一際輝いている彩希葉。釣り合うように必死で頑張った。

 なのに、彩希葉は俺を捨てた。夏休みに二人で会った日の帰り道に別れを告げられた。

「友達に戻ろうよ」

 あんなに尽くしてきたのにたった一言で俺を捨てた。高校の時と環境が違いすぎて、どんなに必死で一緒にいる時間を捻出しようとしてもすれ違うばかり。そもそも、彩希葉が忙しすぎる。高校生カップルが大学進学して二年生になるまでの確率は五十パーセントだとか九十パーセントだとかいろいろな情報が錯綜していたが、どこか他人事だった。自分たちだけは別れないと思っていた。

「嫌だよ! ふざけんなよ! 別れるって言うなら、今まで俺がやったもの全部返せよ!」

 彩希葉はおろおろしながら、俺が誕生日にあげたペンダントを俺の手に握らせて、何度も「ごめんね」と言った。違う。嘘だ。そういうことが言いたいんじゃなかった。俺はみっともなく泣き喚くしかできなかった。