「これがバスボム、ねえ……? こんなのでいいの?」
ローレアは訝しむ様な顔で、手のひらの上に乗った試作用の小さな白い球体を見て言った。
「はい、大丈夫です。それを水に漬けると、こうなります」
俺はその小さな球体をお湯に溶かして応えた。
球体はシュワシュワと泡を立てて、透明のお湯を紫色に濁らせていく。
「あら。本当にあの精油の香りがするのね」
深皿を手に取り、鼻元まで持ってきてくんくんと香りを嗅ぐローレア。
大人の女性のその子供っぽい仕草が妙にアンバランスで、つい笑みが漏れてしまった。
──ふう、漸く完成したか。よかった。
クエン酸の抽出方法がわかってから、完成までは二時間程掛かった。
何せ、作り方に関してはうろ覚えの記憶を辿りながら作ったのだ。上手く固められなかったり、できたものの色がついてなかったり、正直試行錯誤の連続だった。
色に関しても植物から採取した色素で自由に変えられる事がわかった。匂いも精油を変えれば自由自在だ。
「じゃあ、とりあえずこれの大きいのを作ればいいのね」
「はい。とりあえず手のひら大くらいのものを」
「了解よ」
ローレアはそのまま記憶した製法を魔力で再現していって、いくつものバスボムをテーブルの上に生成していった。
計量と配合を同時に行っている様だ。彼女はこうして、一度覚えた製法ならば材料さえ揃えてしまえば魔力で生成できてしまうらしい。魔法薬学は時に劇薬を取り扱う事もあるので、分量の間違いは禁忌。だからこそ、こうして魔法で決められた分量だけ配合するように調整するのだとか。
「魔法ってそういう事もできるんですね」
「あら、魔法薬学は初めて? シエラは製薬しなかったのかしら?」
「少なくとも見た事なかったですね。どっちかというと、攻撃魔法をぶっ放す方が得意だったみたいで」
「ああ……そういえば、あの子魔法薬学の成績はあまり良くなかったわね」
ローレアはくすくす笑いながら、バスボムを袋に詰めていく。
どうやら魔王討伐メンバーの一人、大魔導シエラは薬学の授業は苦手だったらしい。死ぬ程どうでも良い情報だ。
今度会ったらからかってやろうか。
「はい、どうぞ。カノジョの聖女様にプレゼントするんだっけ?」
ローレアはバスボムを詰め込んだ袋を俺にぽんと手渡して訊いた。
「はい。《《あっち》》の世界にあったものをこっちで再現できないかって色々試してるんです。ユウナが料理の再現をしてくれたので、俺も何かお返ししたいなって思って。それで、とりあえずバスボムをふと思い付いたので」
正確にはユウナが欲しそうだったから作ってみたのだけれど、何だかそれをいうのは少し照れ臭かった。
バスボムを製造中に、俺達の置かれている状況についてローレアには話してある。
魔王を討伐したのに帰れなかった事、それから二人で付き合う事になった事、地元と似た島があるここウェンデルに住もうと思った事など……特に話す必要もなかったのだが、何となく無言で作業というのも気まずかったので、つい話してしまったのだ。
「あらあら、それは羨ましいわね」
「え? 羨ましいって、何がですか?」
「今夜はそのバスボムを使って一緒に入浴するのでしょう? 逆上せない様にしないとね」
「ブッ──」
考えてもなかった事を言われて、思わず噴き出してしまった。
「入りませんから!」
「あらあら、そんなに照れなくていいのよ」
「照れてねえっす!」
「年頃だものねえ」
「話を聞け!」
徐々に言葉遣いが荒くなってくる俺である。顔が熱くなってきた。
ローレアはそんな俺を見て可笑しそうに笑っていた。ちくしょう、何で初対面なのに遊ばれてるんだ、俺。
「このバスボムだけど……こんな発明はきっと私達だけじゃできなかったと思うから、とても感謝してるわ。ありがとう」
「いえいえ、こちらこそ! ローレア先生がいなかったらこんなに早く作れなかったと思うので。助かりました」
俺は姿勢を正して頭を下げた。
この人がこうして無償で協力してくれなければ、何日完成までに時間が掛かっていたかわからない。
っていうか、バスボムがない世界にバスボムを生み出してしまったな。俺。まあ、こんなものができたところで世界がひっくり返るという事もないので、別に構わないだろうけど。嗜好品の一つに過ぎないだろう。
「もう製法も憶えちゃったし、普通に私が作っちゃっていいかしら?」
「え? あ、はい。どうぞ。ご自由に──」
と言いかけて、ふと校長との会話を思い出した。
どうせならこれを町の人達との友好に使えないだろうか。
「そうだ。もしそれを造るなら、町の人達にも学院からの贈り物として皆にプレゼントしてみてはどうでしょう?」
「どういう事?」
「実は……」
先程の校長との会話──町の人達が学生達の態度を不快に感じているという町の人達の心情──をそのままローレアに伝えた。
「なるほど……町の人との不和解消の一つに、ね」
ローレアは感心してから、小さく嘆息した。
「良い案だけど、きっとダメね。町の人達は別に学院そのものを不快に感じているわけではないもの。学院と町の関係それ自体は悪くないのよ?」
「あ、学生達が問題って事ですか」
「そういう事よ」
学院と町そのものの付き合いは、それこそあの校長が若い頃以前からだというし、決して悪いわけではない。
昨今の学生が自分達に特権意識を持って、町で働く人達の事をやや下に見ている事が問題なのだ。
この意識の問題というのは、言って聞かせられるものでもないので、非常に厄介である。結局のところ、本人達が理解しないと根本的には解決しない。
「でも、そうね……こちらは仲良くしたい、という友好の意思表示にはなるかもしれないわ。校長先生に相談してみるわね」
ローレアは羊皮紙に魔法でメモらしきものをすらすらと書いてから、こちらを見て少し悪戯げな笑みを浮かべた。
「それにしても、エイジくんは頭の回転が早いのね」
「え、そうですか?」
「ええ。バスボムの事とか校長の事とか、色々並行して考えているからそうした案が出るのよ。私、あなたみたいな頭の回転が早い子、好きよ」
「は、はあ。それはどうも」
その言葉に、思わずドキリとする。
教師とはいえ、こんな美人なお姉さんに『好き』だと言われて何も思わないわけがない。もちろん、恋愛的な意味ではないという事はわかっているけども。
「じゃあ、これで失礼しますね。思ったより遅くなったんで、ユウナも心配してると思いますから」
「また何か困った事があったらいつでもいらっしゃい。私の力になれる事だったら、手を貸すから」
「ありがとうございます。では、その時にまた」
頭を深々と下げてから、魔法理科室を後にする。
なんだかんだでもう夕方になってしまった。夕飯までに帰らないとさすがに叱られそうだ。
俺はユウナの喜ぶ顔を思い浮かべながら、学院を後にしたのだった。
ローレアは訝しむ様な顔で、手のひらの上に乗った試作用の小さな白い球体を見て言った。
「はい、大丈夫です。それを水に漬けると、こうなります」
俺はその小さな球体をお湯に溶かして応えた。
球体はシュワシュワと泡を立てて、透明のお湯を紫色に濁らせていく。
「あら。本当にあの精油の香りがするのね」
深皿を手に取り、鼻元まで持ってきてくんくんと香りを嗅ぐローレア。
大人の女性のその子供っぽい仕草が妙にアンバランスで、つい笑みが漏れてしまった。
──ふう、漸く完成したか。よかった。
クエン酸の抽出方法がわかってから、完成までは二時間程掛かった。
何せ、作り方に関してはうろ覚えの記憶を辿りながら作ったのだ。上手く固められなかったり、できたものの色がついてなかったり、正直試行錯誤の連続だった。
色に関しても植物から採取した色素で自由に変えられる事がわかった。匂いも精油を変えれば自由自在だ。
「じゃあ、とりあえずこれの大きいのを作ればいいのね」
「はい。とりあえず手のひら大くらいのものを」
「了解よ」
ローレアはそのまま記憶した製法を魔力で再現していって、いくつものバスボムをテーブルの上に生成していった。
計量と配合を同時に行っている様だ。彼女はこうして、一度覚えた製法ならば材料さえ揃えてしまえば魔力で生成できてしまうらしい。魔法薬学は時に劇薬を取り扱う事もあるので、分量の間違いは禁忌。だからこそ、こうして魔法で決められた分量だけ配合するように調整するのだとか。
「魔法ってそういう事もできるんですね」
「あら、魔法薬学は初めて? シエラは製薬しなかったのかしら?」
「少なくとも見た事なかったですね。どっちかというと、攻撃魔法をぶっ放す方が得意だったみたいで」
「ああ……そういえば、あの子魔法薬学の成績はあまり良くなかったわね」
ローレアはくすくす笑いながら、バスボムを袋に詰めていく。
どうやら魔王討伐メンバーの一人、大魔導シエラは薬学の授業は苦手だったらしい。死ぬ程どうでも良い情報だ。
今度会ったらからかってやろうか。
「はい、どうぞ。カノジョの聖女様にプレゼントするんだっけ?」
ローレアはバスボムを詰め込んだ袋を俺にぽんと手渡して訊いた。
「はい。《《あっち》》の世界にあったものをこっちで再現できないかって色々試してるんです。ユウナが料理の再現をしてくれたので、俺も何かお返ししたいなって思って。それで、とりあえずバスボムをふと思い付いたので」
正確にはユウナが欲しそうだったから作ってみたのだけれど、何だかそれをいうのは少し照れ臭かった。
バスボムを製造中に、俺達の置かれている状況についてローレアには話してある。
魔王を討伐したのに帰れなかった事、それから二人で付き合う事になった事、地元と似た島があるここウェンデルに住もうと思った事など……特に話す必要もなかったのだが、何となく無言で作業というのも気まずかったので、つい話してしまったのだ。
「あらあら、それは羨ましいわね」
「え? 羨ましいって、何がですか?」
「今夜はそのバスボムを使って一緒に入浴するのでしょう? 逆上せない様にしないとね」
「ブッ──」
考えてもなかった事を言われて、思わず噴き出してしまった。
「入りませんから!」
「あらあら、そんなに照れなくていいのよ」
「照れてねえっす!」
「年頃だものねえ」
「話を聞け!」
徐々に言葉遣いが荒くなってくる俺である。顔が熱くなってきた。
ローレアはそんな俺を見て可笑しそうに笑っていた。ちくしょう、何で初対面なのに遊ばれてるんだ、俺。
「このバスボムだけど……こんな発明はきっと私達だけじゃできなかったと思うから、とても感謝してるわ。ありがとう」
「いえいえ、こちらこそ! ローレア先生がいなかったらこんなに早く作れなかったと思うので。助かりました」
俺は姿勢を正して頭を下げた。
この人がこうして無償で協力してくれなければ、何日完成までに時間が掛かっていたかわからない。
っていうか、バスボムがない世界にバスボムを生み出してしまったな。俺。まあ、こんなものができたところで世界がひっくり返るという事もないので、別に構わないだろうけど。嗜好品の一つに過ぎないだろう。
「もう製法も憶えちゃったし、普通に私が作っちゃっていいかしら?」
「え? あ、はい。どうぞ。ご自由に──」
と言いかけて、ふと校長との会話を思い出した。
どうせならこれを町の人達との友好に使えないだろうか。
「そうだ。もしそれを造るなら、町の人達にも学院からの贈り物として皆にプレゼントしてみてはどうでしょう?」
「どういう事?」
「実は……」
先程の校長との会話──町の人達が学生達の態度を不快に感じているという町の人達の心情──をそのままローレアに伝えた。
「なるほど……町の人との不和解消の一つに、ね」
ローレアは感心してから、小さく嘆息した。
「良い案だけど、きっとダメね。町の人達は別に学院そのものを不快に感じているわけではないもの。学院と町の関係それ自体は悪くないのよ?」
「あ、学生達が問題って事ですか」
「そういう事よ」
学院と町そのものの付き合いは、それこそあの校長が若い頃以前からだというし、決して悪いわけではない。
昨今の学生が自分達に特権意識を持って、町で働く人達の事をやや下に見ている事が問題なのだ。
この意識の問題というのは、言って聞かせられるものでもないので、非常に厄介である。結局のところ、本人達が理解しないと根本的には解決しない。
「でも、そうね……こちらは仲良くしたい、という友好の意思表示にはなるかもしれないわ。校長先生に相談してみるわね」
ローレアは羊皮紙に魔法でメモらしきものをすらすらと書いてから、こちらを見て少し悪戯げな笑みを浮かべた。
「それにしても、エイジくんは頭の回転が早いのね」
「え、そうですか?」
「ええ。バスボムの事とか校長の事とか、色々並行して考えているからそうした案が出るのよ。私、あなたみたいな頭の回転が早い子、好きよ」
「は、はあ。それはどうも」
その言葉に、思わずドキリとする。
教師とはいえ、こんな美人なお姉さんに『好き』だと言われて何も思わないわけがない。もちろん、恋愛的な意味ではないという事はわかっているけども。
「じゃあ、これで失礼しますね。思ったより遅くなったんで、ユウナも心配してると思いますから」
「また何か困った事があったらいつでもいらっしゃい。私の力になれる事だったら、手を貸すから」
「ありがとうございます。では、その時にまた」
頭を深々と下げてから、魔法理科室を後にする。
なんだかんだでもう夕方になってしまった。夕飯までに帰らないとさすがに叱られそうだ。
俺はユウナの喜ぶ顔を思い浮かべながら、学院を後にしたのだった。