「おお、エイジ殿。お久しぶりですな」

 校長室に入ると、これまたパリーポッター魔法魔術学校の校長先生みたいな白髭たっぷりな爺さんが俺を出迎えた。
 ウェンデル魔法学院の校長である。

「お久しぶりです、校長」
「一年と少しぶりですかな? 魔王討伐、おめでとうございます」
「ありがとうございます」

 討伐しても元の世界に帰れなかったけどな、と心の中で文句を付け足しつつ、頭を下げる。

「うちのシエラはあれからどうでしたかな? お役に立てましたでしょうか」
「ええ、もちろんです。校長に教わった極大魔法の御蔭で、大活躍でしたよ」
「それはよかった。して……」

 校長は少し言葉を言い淀んでから、おずおずとこう続けた。

「それ以外のところでは、迷惑をお掛けしておりませんでしたか?」
「それ以外、とは?」
「つまり……一般常識的な事で」
「ああ、そういう……」

 わざわざ訊いてきた、という事は、校長なりに何か理由があるのだろう。
 シエラの名誉の為に隠してやりたい気もしたが、彼女にとって校長は親も同然の存在。隠すのは校長にも悪いと思い、素直に話す事にした。
 シエラがこの学院の生徒で最も優れていると言わしめる魔導師であった事は間違いない事、彼女に命を救われた事は一度や二度では済まない事、だがその反面常識が欠けていて、旅の道中ではトラブルを巻き起こす事も屡々あった事……俺は包み隠さず説明した。
 別に、シエラとて悪気があったわけではないのだ。
 だが、学生あるあるな無双感ともいうべきか、配慮の欠ける言葉を投げかけてしまったり、ちょっと自分が偉いと勘違いしてしまっている節があったりした。
 旅の終盤では彼女も色々学習した御蔭でそういった問題は起こらなかったが、最初のうちは酷かったのである。

「やっぱり、そうじゃったか……」

 校長は大きな溜め息を吐いて、首を横に振った。

「何かあったんですか?」
「実はの……今、儂らが問題視しておるのは生徒のそういった常識の欠如なのじゃ。いや、そこを軽視していた儂らが悪いんじゃがな」

 校長は渋々俺達に理由を説明してくれた。
 どうやら、俺が道中シエラに対して困っていたような事が、今ウェンデルの町の人と学生間で起こっているそうなのだ。

 ──なるほど。それで、町の人達は学院に対してあんな感じだったのか。

 先程の町の人達の態度を思い出し、理由を察する。
 この町と学院は切っては切り離せない存在で、町にとっては服や食べ物、生活用品などの大きな顧客は学院である。その反対に、有事の際は町の防衛隊と共にこの生徒も町を守る義務を負っているそうだ。
 謂わば、持ちつ持たれつの関係。敵対関係に陥るのは、校長としても避けたいとの事だった。

「そもそもの原因は学生達にあるように思うんだけど……どうしてそうなってしまったんですか?」
「礼節の授業を入れておくべきでしたな……魔法に特化した授業ばかりでプログラムを組んでしまっているので、シエラの様に魔法を扱うのが得意でも人との関わり方を知らない者が多いんですじゃ。卒業後に自分で学ぶもの、と勝手に思っていた儂らのミスじゃな」

 要するに、授業プログラムを魔法に特化したもの──魔法学院だから当然なのかもしれないが──として組んでいるので、礼節の授業を入れていなかった。
 もともと、生まれながらに魔導師としての素質があるもののみが入学を許されるのがここウェンデル魔法学院の特徴である。生徒達にも選民思想的なものがもともとあるのかもしれない。

「今から礼節の授業を入れてみては?」
「とは言っても、そもそも教師達もこの学院が出の魔導師なのでな……そこまで外部との礼節に長けているわけではないのですじゃ」
「なるほど」

 まあ、確かにそれは学校が悪いし、そういった風習に倣っていては結局生徒が卒業後に自分で学んでいくしかないだろう。
 それに、それはこの世界の魔法学院だけで生じている問題なわけではない。日本の学校でも同じ様な問題はある。
 大抵の教師は大学在学中に教員免許を取り、そのまま大学卒業と同時に新任教師となる。社会常識なんて何も知らない人間が、そのまま生徒を教える立場になってしまうのだ。
 旅館で働くものが〝最もタチの悪い客〟として挙げるのが教師の懇親旅行だというのも、どこかで聞いた事がある話だった。

「もし、異世界からの勇者様の知恵を頂ければと思うのだが……何か良い案はないだろうか?」

 そんな事俺に訊かれても困るんだけどなぁ。異世界からの勇者かもしれないが、この世界ではただの部外者である。
 それに、その問題の解決方法を俺が知っているなら、日本の教師達も学生ノリのまま教師になどなっていないだろう。

「申し訳ないですが、すぐには名案は浮かびません。何か案が浮かべば、すぐに提案させて頂きます。それで、なんですが」

 そこで、俺は話を本題に戻した。
 俺は別に、校長のコンサルをする為にここにきたわけではない。
 それから俺は自身がクエン酸を求めている事を説明した。
 バスボムという、俺達の世界の浴槽を彩るスペシャルアイテムがある事、それは重曹とクエン酸から作れるという事、クエン酸はレモンやお酢から抽出できる酸味成分であるという事、その抽出ができそうな実験はないかという事。
 とりあえず、目的について全部話してみた。

「ふむ、バスボム、か……それは面白そうじゃな」
「ご協力頂けますか?」
「ああ、もちろんじゃ。何、儂も風呂は好きじゃからな。そのシュワシュワで良い匂いがする風呂というのに興味がある」

 おお、やった。校長は風呂好きだったのか。
 というか、やっぱり風呂嫌いな人なんてあんまりいないよな。入るとさっぱりするし、気持ちいいし。面倒な時はあるけども。

「おそらく詳しそうなのは……ローレアかの?」
「ローレア?」
「うちの魔法薬学教師じゃ。ローレアにはこれを見せなさい」

 校長は真っ新な羊皮紙に何やら文字を魔法で描くと、それを空中で丸めて俺の手元まで運んだ。
 どうやら、紹介状らしい。勇者エイジ殿に協力する事、と校長の署名付きで描かれている。

「この時間なら、きっと魔法理科室じゃろ。道は外にいる受付の者に聞いて下され」
「ありがとうございます!」

 俺は校長に頭を下げてから退室した。
 こうして、とりあえず魔法薬学の教師を紹介してもらうに至ったのだった。