耳元で囁かれた声と『初めてのキスはだし巻き卵の味だった』の言葉に、ぞくぞくっとして身を震わせる。それと同時に胸がどきんと高鳴った。
「へっ……⁉ そ、それって」
未だユウナの吐息の余韻を感じる耳を手で覆って守りつつ、彼女から少し距離を置く。
心臓がバクバク言ってておかしくなりそうだ。
「あの時が初めてだったって事。だって私、彼氏いた事なかったから」
俺の反応に満足したのか、ユウナは笑いを堪えて元の場所に座り直していた。
そうか……あの時が初めてだったのか。なんだか、凄く安心してしまった。
さすがに経験済だとかそういう風には思った事はなかったけれど、これだけ可愛ければ中学の時に彼氏くらい居ても可笑しくないだろうし。ただ、過去に彼氏がいた情報があれば〝四宮高校の聖女様〟だなんていう通り名は付かなかったのかもしれない。
「彼氏、いなかったんだな……」
「だったらなあに?」
心から漏れた俺の安堵の声に、ユウナがむっとした表情を浮かべた。
「いや、だって……昔からモテてたって噂では聞いてたから、てっきり」
「告白をされる機会が多いからって、付き合っていた人がいたとも限らないでしょ?」
「まあ、そうなのかもしれない」
俺は告白された事がないからわからないけど──ってあった。そうだ、ついこの間、目の前にいる子から告白されたんだった。
それで言うと、告白されてすぐに付き合ってしまった俺は、何にも言えないのではないだろうか。意中の人からの告白だったので当然なのだけれど。
「別に、恋愛に興味がなかったわけじゃないよ? でも、何すればいいのかわからなかったし、中学の時はそういう気持ちにもなれなかったから」
「高校に入ってからは?」
気になったので、間髪入れずに突っ込んで訊いてみた。
その質問に、ユウナはこちらを責める様にじぃっと見てから、ぷぃっと顔を逸らした。
「……やだ。教えない」
「ええ、何で」
「だって、もう前に教えたもん」
「もう一回聞きたい」
「やーだー」
拗ねた様にして、身体ごとそっぽ向かれてしまった。
不公平だ。俺は前に『もう一回聞きたい』と言われた時は恥ずかしがりながら答えたのに。
「……それで?」
ユウナはまたこちらに何かを責める様な、不安そうな視線を送って、おずおずと訊いてきた。
「それでって、何が?」
「エイジくんは、その……した事あった?」
自分で訊いておきながら、ユウナの顔は林檎の様に真っ赤だった。
どうやら彼女は俺のファーストキスの相手が気になるらしい。ちらちらとこちらを見つつ視線を逸らしてを繰り返している。
案外ユウナは独占欲が強いのかもしれない。それは、他に状況を分かち合える相手が俺以外にいないこの世界だからこそ芽生えた感情なのか、彼女がもともとそういう性格であったのかはわからないけれど。
ただ、ユウナが俺のファーストキスについて気掛かりな様子なのは間違いない。それを思うと、彼女が心から愛おしくなった。ユウナにならどれだけ独占されてもいい。というか、独占されたい。
「それで言うと……俺も、だし巻き卵の味だったんだけど」
いざ言うとなると、少し恥ずかしい気持ちになってくる俺である。つい少し遠回しな表現をしてしまった。
その言葉で、ハッとしてユウナは自らの口を隠した。
「……そういえば、私も味見したんだった」
そのまま恥ずかしそうに顔を伏せてたかと思えば、頭を抱え込んで「う~……」と唸り始めた。意味がわからない。
「何? どうしたの」
「だって」
ユウナは泣きそうな顔でこちらをちらりと見てきた。
その青み掛かった瞳は、涙で潤んでいる。
「何だよ」
「初めてのキスだったのに、それがだし巻き卵の味だったなんて……ちょっとムードに欠けるていうか、エイジくんに申し訳ないっていうか」
ごめん、とユウナはちらりとこちらを見て遠慮がちに付け足した。
それをお前が言うのか、というツッコミは心の中に仕舞っておきつつ……彼女は何やら無念に思っているらしい。どういう事なのか訊いてみると、将来思い返した時に『俺のファーストキスはだし巻き卵の味だった』と思われるのが、恥ずかしい上に申し訳ないそうだ。
そもそもそんな風に思い返す事はあるのだろうか。
そう思いつつもファーストキスを思い返してみると、薄味のだし巻き卵の味と柔らかい唇、そして彼女の甘い香りが脳裏に蘇ってきたので、どうやら味覚と触覚と嗅覚の記憶は凄まじいらしい。一生忘れなさそうだ。
ただ、それで言うなら俺も同じである。彼女もきっと、俺と同じ様に初めてのキスを思い返す際は、だし巻き卵の味を思い出してしまうだろう。
それを思うと、何だか俺も申し訳なくなってきた。
タバコの味とかなら何かの歌詞に出てきそうなものだけれど、だし巻き卵の味はさすがに浪漫に欠ける。葉巻でも吸っていた方が良かった? いや、絶対にあんなの吸いたくないのだけれど。
「えっと……確かにだし巻き卵の味はしたんだけどさ」
未だ無念そうに俯いているユウナに、俺はそう切り出した。
ユウナは顔を上げると、怪訝そうにほんの少しだけ首を傾けた。
「すっごい甘かったから」
「え?」
「すっごい甘くて……青春の味がした」
そこまで言ってから自分で恥ずかしくなってしまい、ユウナから視線を逸らした。
何だか落ち込んでいる様子の彼女を元気付けたかったし、落ち込んでいたタイミングで元気付けてもらえた事と、暗い気持ちをキスで幸せなものに上書きしてくれた事には感謝しかない。だから、あのキスにネガティブなイメージを持ってほしくなかったのだ。
恋人としての俺達はきっと、あそこから始まったのだから。
「よかった」
ユウナは何かに安堵しかかの様にくすっと笑うと、独り言の様にそう呟いた。
そして、何かを懐かしむかの様に目を細めて床をぼんやりと眺めて、嫣然としてこう言葉を紡いだのだった。
「……私も同じだったから」
顔を上げて、ユウナがこちらをじっと見つめてくる。
ユウナはほんのりと頬を上気させていて、涙が零れそうな程に瞳を潤ませていた。
そんな彼女を見て、抑えが効くわけがない。
そのままテーブルの上に身を乗り出して、彼女の方に顔を寄せると──
「だ、だめっ」
肩を押しやられ、防御されてしまった。
え、何で。今明らかにそういう流れじゃなかった? 俺、もしかしてまた鈍い事をやらかしてしまっただろうか。
「い、嫌とかじゃなくて……今したら、きっとポテトチップスの味になっちゃうから」
「……なんだ、そんな事か」
彼女の返事を聞いて、思わず安堵の息を小さく吐く。
あまりに鈍い鈍いと言われ過ぎて、またとんでもない思い違いをしていたのかと思った。
もちろん、今キスをすればポテチ味になる事くらいはわかっている。テーブルの上にはまだポテトチップスの残りがあるし、唇には若干の塩気も残っているのだから。
「だからこそ、するんじゃないか」
「え?」
「ポテチの味をも乗り越えて青春のキスは甘さを表現できるのか、実験できる」
「やだ、なにそれ。ちょっと変態さんっぽい」
俺の表現に、ユウナが可笑しそうに笑った。
それで言うと、男は大抵変態さんなので諦めてもらうしかない。男の変態さんっぷりを説明し出せばきっと止まらなくなってしまうだろう。同時に軽蔑もされてしまいそうだけれど。
「じゃあ……してみる?」
少しだけ間を置いて部屋の中に沈黙が残った時、ユウナがこちらをじっと見て訊いてきた。
俺はその問いに応えるべく彼女の隣へと移動して、そっと顔を寄せていく。ユウナも少しだけ顎を上げて、唇をこちらへと突き出してくれた。
その刹那、ちゅっと唇が重なる音がする。
「……やっぱり、ポテトチップスの味だね」
ゆっくりと顔を離してから少しだけ見つめ合うと、ユウナは恥ずかしそうにこう言った。
「ああ……そうだな」
キスの瞬間に、互いの唇に残ったポテトチップスのじゃがいもの香りと塩味が嗅覚まで伝わってきた。
間違いなくポテトチップスのうすしお味のキス。
でも、どうしてだろうか。そのしょっぱさの中に、甘酸っぱい青春の甘さも、確かにあったように思うのだ。
俺達はそのしょっぱさの中にある青春の甘さを求める様に、もう一度互いに唇を寄せ合ったのだった。
「へっ……⁉ そ、それって」
未だユウナの吐息の余韻を感じる耳を手で覆って守りつつ、彼女から少し距離を置く。
心臓がバクバク言ってておかしくなりそうだ。
「あの時が初めてだったって事。だって私、彼氏いた事なかったから」
俺の反応に満足したのか、ユウナは笑いを堪えて元の場所に座り直していた。
そうか……あの時が初めてだったのか。なんだか、凄く安心してしまった。
さすがに経験済だとかそういう風には思った事はなかったけれど、これだけ可愛ければ中学の時に彼氏くらい居ても可笑しくないだろうし。ただ、過去に彼氏がいた情報があれば〝四宮高校の聖女様〟だなんていう通り名は付かなかったのかもしれない。
「彼氏、いなかったんだな……」
「だったらなあに?」
心から漏れた俺の安堵の声に、ユウナがむっとした表情を浮かべた。
「いや、だって……昔からモテてたって噂では聞いてたから、てっきり」
「告白をされる機会が多いからって、付き合っていた人がいたとも限らないでしょ?」
「まあ、そうなのかもしれない」
俺は告白された事がないからわからないけど──ってあった。そうだ、ついこの間、目の前にいる子から告白されたんだった。
それで言うと、告白されてすぐに付き合ってしまった俺は、何にも言えないのではないだろうか。意中の人からの告白だったので当然なのだけれど。
「別に、恋愛に興味がなかったわけじゃないよ? でも、何すればいいのかわからなかったし、中学の時はそういう気持ちにもなれなかったから」
「高校に入ってからは?」
気になったので、間髪入れずに突っ込んで訊いてみた。
その質問に、ユウナはこちらを責める様にじぃっと見てから、ぷぃっと顔を逸らした。
「……やだ。教えない」
「ええ、何で」
「だって、もう前に教えたもん」
「もう一回聞きたい」
「やーだー」
拗ねた様にして、身体ごとそっぽ向かれてしまった。
不公平だ。俺は前に『もう一回聞きたい』と言われた時は恥ずかしがりながら答えたのに。
「……それで?」
ユウナはまたこちらに何かを責める様な、不安そうな視線を送って、おずおずと訊いてきた。
「それでって、何が?」
「エイジくんは、その……した事あった?」
自分で訊いておきながら、ユウナの顔は林檎の様に真っ赤だった。
どうやら彼女は俺のファーストキスの相手が気になるらしい。ちらちらとこちらを見つつ視線を逸らしてを繰り返している。
案外ユウナは独占欲が強いのかもしれない。それは、他に状況を分かち合える相手が俺以外にいないこの世界だからこそ芽生えた感情なのか、彼女がもともとそういう性格であったのかはわからないけれど。
ただ、ユウナが俺のファーストキスについて気掛かりな様子なのは間違いない。それを思うと、彼女が心から愛おしくなった。ユウナにならどれだけ独占されてもいい。というか、独占されたい。
「それで言うと……俺も、だし巻き卵の味だったんだけど」
いざ言うとなると、少し恥ずかしい気持ちになってくる俺である。つい少し遠回しな表現をしてしまった。
その言葉で、ハッとしてユウナは自らの口を隠した。
「……そういえば、私も味見したんだった」
そのまま恥ずかしそうに顔を伏せてたかと思えば、頭を抱え込んで「う~……」と唸り始めた。意味がわからない。
「何? どうしたの」
「だって」
ユウナは泣きそうな顔でこちらをちらりと見てきた。
その青み掛かった瞳は、涙で潤んでいる。
「何だよ」
「初めてのキスだったのに、それがだし巻き卵の味だったなんて……ちょっとムードに欠けるていうか、エイジくんに申し訳ないっていうか」
ごめん、とユウナはちらりとこちらを見て遠慮がちに付け足した。
それをお前が言うのか、というツッコミは心の中に仕舞っておきつつ……彼女は何やら無念に思っているらしい。どういう事なのか訊いてみると、将来思い返した時に『俺のファーストキスはだし巻き卵の味だった』と思われるのが、恥ずかしい上に申し訳ないそうだ。
そもそもそんな風に思い返す事はあるのだろうか。
そう思いつつもファーストキスを思い返してみると、薄味のだし巻き卵の味と柔らかい唇、そして彼女の甘い香りが脳裏に蘇ってきたので、どうやら味覚と触覚と嗅覚の記憶は凄まじいらしい。一生忘れなさそうだ。
ただ、それで言うなら俺も同じである。彼女もきっと、俺と同じ様に初めてのキスを思い返す際は、だし巻き卵の味を思い出してしまうだろう。
それを思うと、何だか俺も申し訳なくなってきた。
タバコの味とかなら何かの歌詞に出てきそうなものだけれど、だし巻き卵の味はさすがに浪漫に欠ける。葉巻でも吸っていた方が良かった? いや、絶対にあんなの吸いたくないのだけれど。
「えっと……確かにだし巻き卵の味はしたんだけどさ」
未だ無念そうに俯いているユウナに、俺はそう切り出した。
ユウナは顔を上げると、怪訝そうにほんの少しだけ首を傾けた。
「すっごい甘かったから」
「え?」
「すっごい甘くて……青春の味がした」
そこまで言ってから自分で恥ずかしくなってしまい、ユウナから視線を逸らした。
何だか落ち込んでいる様子の彼女を元気付けたかったし、落ち込んでいたタイミングで元気付けてもらえた事と、暗い気持ちをキスで幸せなものに上書きしてくれた事には感謝しかない。だから、あのキスにネガティブなイメージを持ってほしくなかったのだ。
恋人としての俺達はきっと、あそこから始まったのだから。
「よかった」
ユウナは何かに安堵しかかの様にくすっと笑うと、独り言の様にそう呟いた。
そして、何かを懐かしむかの様に目を細めて床をぼんやりと眺めて、嫣然としてこう言葉を紡いだのだった。
「……私も同じだったから」
顔を上げて、ユウナがこちらをじっと見つめてくる。
ユウナはほんのりと頬を上気させていて、涙が零れそうな程に瞳を潤ませていた。
そんな彼女を見て、抑えが効くわけがない。
そのままテーブルの上に身を乗り出して、彼女の方に顔を寄せると──
「だ、だめっ」
肩を押しやられ、防御されてしまった。
え、何で。今明らかにそういう流れじゃなかった? 俺、もしかしてまた鈍い事をやらかしてしまっただろうか。
「い、嫌とかじゃなくて……今したら、きっとポテトチップスの味になっちゃうから」
「……なんだ、そんな事か」
彼女の返事を聞いて、思わず安堵の息を小さく吐く。
あまりに鈍い鈍いと言われ過ぎて、またとんでもない思い違いをしていたのかと思った。
もちろん、今キスをすればポテチ味になる事くらいはわかっている。テーブルの上にはまだポテトチップスの残りがあるし、唇には若干の塩気も残っているのだから。
「だからこそ、するんじゃないか」
「え?」
「ポテチの味をも乗り越えて青春のキスは甘さを表現できるのか、実験できる」
「やだ、なにそれ。ちょっと変態さんっぽい」
俺の表現に、ユウナが可笑しそうに笑った。
それで言うと、男は大抵変態さんなので諦めてもらうしかない。男の変態さんっぷりを説明し出せばきっと止まらなくなってしまうだろう。同時に軽蔑もされてしまいそうだけれど。
「じゃあ……してみる?」
少しだけ間を置いて部屋の中に沈黙が残った時、ユウナがこちらをじっと見て訊いてきた。
俺はその問いに応えるべく彼女の隣へと移動して、そっと顔を寄せていく。ユウナも少しだけ顎を上げて、唇をこちらへと突き出してくれた。
その刹那、ちゅっと唇が重なる音がする。
「……やっぱり、ポテトチップスの味だね」
ゆっくりと顔を離してから少しだけ見つめ合うと、ユウナは恥ずかしそうにこう言った。
「ああ……そうだな」
キスの瞬間に、互いの唇に残ったポテトチップスのじゃがいもの香りと塩味が嗅覚まで伝わってきた。
間違いなくポテトチップスのうすしお味のキス。
でも、どうしてだろうか。そのしょっぱさの中に、甘酸っぱい青春の甘さも、確かにあったように思うのだ。
俺達はそのしょっぱさの中にある青春の甘さを求める様に、もう一度互いに唇を寄せ合ったのだった。