ユウナがチョイスした初日の夕飯メニューは石窯を用いたスープパンだった。
スープとパンを別個にしても良いのではないかと思ったのだが、とりあえず石窯の扱いに慣れたいから、という理由でスープパンにしたらしい。あとは、お洒落なものを作りたかったのだという。
──お洒落なもの、か……。
異世界に来てからは、見掛けは問わずとりあえず美味しく食べれたら良いという考えだった。そこまで拘っている暇がなかったし、そもそも不味いものが多かったからだ。
だが、彼女は『お洒落なものを作りたかったから』と何気なく言った。これは、そうったものを作る精神的な余裕ができてきた、という事を無意識に示しているものだった。
──家、ちゃんとリフォームして良かったなぁ。
楽しそうに料理を作っているユウナを見ていると、何だか嬉しくて涙が出そうになった。
多分彼女は今〝聖女〟ではなくただの女の子として、自分の好きだった事ができているのだ。
門壁の中にはちょっとした庭もあるから、余裕ができればそこに色々植物を植えてガーデニングも始めたいと言っていた。ガーデニングには興味はあったがマンション暮らしではできなかったといい──《《あちら》》では彼女はマンションに住んでいたらしい──これを期にチャレンジしてみるそうだ。
そんな様子を見ていると、『もうあっちに帰りたいだなんて思ってないよ?』という言葉が心から出たものだという事がわかる。
ユウナはこの世界で生きていく決心を、しっかりと固めているのだ。
「はい。ビーフシチューと海老のビスクだよ。足りなかったら、スープはお代わりしてね」
ユウナが二つのスープパンを並べてから、まだ弱火が掛けられたままの鍋を指差した。
「え、スープ二種類も作ったのか」
一つはパンを器にして、野菜や肉が入った茶色のスープが入っている。もう一つはオレンジ色で、如何にも海老、という色がしたスープ。
「うん。ひとつだと少ないかなって思って。ビーフシチューは煮込む時間が少なかったから、明日になってからの方が美味しいかも」
「おお、マジか! じゃあ気にせず腹一杯食べれるな」
「うん、たくさん食べてね。私一人だと食べれないから」
「任せろ!」
そんなやり取りをしてから、俺達は手を合わせて「いただきます」をする。
こちらの世界にはない文化だが、俺達は食事前にこの習慣を続けるようにしていた。特段示し合わしたわけではないが、きっと俺達自身が日本人である事を忘れないように本能的にしていたのだと思う。
こうして彼女と向かい合って二人だけで手を合わせると、本当に日本にいて食事をしているかの気分になってくる。これまでその習慣をやめなくてよかった、と思った瞬間だった。
「なんだか……こっち来てからこんな風に食事するの、初めてかもね」
「だな」
ユウナも同じ様な事を考えていたらしい。
これまでも食事はもちろん共にしてきたけれど、大体は食堂であったり、野営地であったりした。俺達の世界の食環境とはえらく異なる。
二人きりの部屋で手を合わせて食べるからこそ、俺達の知る食事に近いものだと改めて思わされたのだ。
「じゃあ、早速……こっちのビーフシチューから頂こうかな」
「ふふっ、どうぞ。口に合うと良いんだけど」
「ユウナの作ったもので、今まで口に合わなかったものがないよ」
「そんな事言っておだてたって、何も出ないんだからね?」
ユウナがくすくすと可笑しそうに笑った。
いや、お世辞抜きで彼女が作ったもので口に合わなかったものはなかった。彼女の味付けはどことなく俺の知っているもので、《《あちら》》の世界の事を思い出せたからだ。
早速ビーフシチューのスープパンの中にスプーンを入れて、シチューを食べていく。
ビーフシチューは赤ワインやトマトをベースに牛肉、ジャガイモ、ニンジン、セロリ、タマネギなどを色々な香味野菜を加えて煮込まれたものだった。
確かにまだ煮込み足りない感じはしたが、それでも十分に俺の知っているビーフシチューだった。
ビーフシチューはこちらの世界でも割と再現ができるらしく、これまでもユウナが何度か野営時に作ってくれたので、食べた事はある。だが、ウェンデルの町で必要なものを全部買い揃えられた事、しっかりと整った台所環境で作られたものである事、そして部屋で食べているというのも相まって、これまで食べたものよりも美味しく感じられた。
「……どう?」
「めちゃくちゃ美味しい」
「よかったっ」
ユウナが俺の反応を見て、顔を綻ばせた。
次に、海老のビスクのスープパンを口元に運んでいく。
ウェンデルは海の町という事もあって、海産物が多い。海老の旨味を閉じ込めた、贅沢な味わいだった。
濃厚な海老の美味さとじゃがいもやニンジン、玉ねぎや赤ピーマン、トマトなどの野菜が海老の味を引き立てる。
「……カフェ、開店できるんじゃね?」
普通に《《あっち》》でも通用するくらい美味しかった。
調味料とかは大分制約されているだろうに、それでもここまで味を近付けられる事に素直に驚く。まあ、洋食はこちらの調味料でもある程度再現しやすいのかもしれないけれど。
ただ、洋食なら異世界でもここまで再現できるユウナが和食となると難しいと頭を抱えているあたり、味噌やら白だしやらを作るのは相当難易度が高そうだ。
「報奨金がなくなったら、カフェでも開こっかな?」
「じゃあ、俺ウェイターやるよ」
「えー? エイジくん、接客できるの?」
「できる! ……と、思いたい」
ちょっと自信はなかった。
アルバイトもした事ないし。
「できないと思うなぁ。すぐに怒って魔法とか使っちゃいそう」
「失敬な。さすがにそんな事しないよ」
「だって、前もいきなり魔法使ってたじゃない」
「あ、あれはだな……村の人か賊が待ち構えているかわからなかったから──」
「はいはい、そういう事にしとくね。シチュー、お代わりいる?」
ユウナは俺の反論を軽くいなして、器代わりのパンを手に取った。
俺はむすっとしたまま頷くと、彼女はくすくす笑いながら、台所へと軽い足取りで向かっていく。
これが俺達の、新居での初めての夕食だった。
スープとパンを別個にしても良いのではないかと思ったのだが、とりあえず石窯の扱いに慣れたいから、という理由でスープパンにしたらしい。あとは、お洒落なものを作りたかったのだという。
──お洒落なもの、か……。
異世界に来てからは、見掛けは問わずとりあえず美味しく食べれたら良いという考えだった。そこまで拘っている暇がなかったし、そもそも不味いものが多かったからだ。
だが、彼女は『お洒落なものを作りたかったから』と何気なく言った。これは、そうったものを作る精神的な余裕ができてきた、という事を無意識に示しているものだった。
──家、ちゃんとリフォームして良かったなぁ。
楽しそうに料理を作っているユウナを見ていると、何だか嬉しくて涙が出そうになった。
多分彼女は今〝聖女〟ではなくただの女の子として、自分の好きだった事ができているのだ。
門壁の中にはちょっとした庭もあるから、余裕ができればそこに色々植物を植えてガーデニングも始めたいと言っていた。ガーデニングには興味はあったがマンション暮らしではできなかったといい──《《あちら》》では彼女はマンションに住んでいたらしい──これを期にチャレンジしてみるそうだ。
そんな様子を見ていると、『もうあっちに帰りたいだなんて思ってないよ?』という言葉が心から出たものだという事がわかる。
ユウナはこの世界で生きていく決心を、しっかりと固めているのだ。
「はい。ビーフシチューと海老のビスクだよ。足りなかったら、スープはお代わりしてね」
ユウナが二つのスープパンを並べてから、まだ弱火が掛けられたままの鍋を指差した。
「え、スープ二種類も作ったのか」
一つはパンを器にして、野菜や肉が入った茶色のスープが入っている。もう一つはオレンジ色で、如何にも海老、という色がしたスープ。
「うん。ひとつだと少ないかなって思って。ビーフシチューは煮込む時間が少なかったから、明日になってからの方が美味しいかも」
「おお、マジか! じゃあ気にせず腹一杯食べれるな」
「うん、たくさん食べてね。私一人だと食べれないから」
「任せろ!」
そんなやり取りをしてから、俺達は手を合わせて「いただきます」をする。
こちらの世界にはない文化だが、俺達は食事前にこの習慣を続けるようにしていた。特段示し合わしたわけではないが、きっと俺達自身が日本人である事を忘れないように本能的にしていたのだと思う。
こうして彼女と向かい合って二人だけで手を合わせると、本当に日本にいて食事をしているかの気分になってくる。これまでその習慣をやめなくてよかった、と思った瞬間だった。
「なんだか……こっち来てからこんな風に食事するの、初めてかもね」
「だな」
ユウナも同じ様な事を考えていたらしい。
これまでも食事はもちろん共にしてきたけれど、大体は食堂であったり、野営地であったりした。俺達の世界の食環境とはえらく異なる。
二人きりの部屋で手を合わせて食べるからこそ、俺達の知る食事に近いものだと改めて思わされたのだ。
「じゃあ、早速……こっちのビーフシチューから頂こうかな」
「ふふっ、どうぞ。口に合うと良いんだけど」
「ユウナの作ったもので、今まで口に合わなかったものがないよ」
「そんな事言っておだてたって、何も出ないんだからね?」
ユウナがくすくすと可笑しそうに笑った。
いや、お世辞抜きで彼女が作ったもので口に合わなかったものはなかった。彼女の味付けはどことなく俺の知っているもので、《《あちら》》の世界の事を思い出せたからだ。
早速ビーフシチューのスープパンの中にスプーンを入れて、シチューを食べていく。
ビーフシチューは赤ワインやトマトをベースに牛肉、ジャガイモ、ニンジン、セロリ、タマネギなどを色々な香味野菜を加えて煮込まれたものだった。
確かにまだ煮込み足りない感じはしたが、それでも十分に俺の知っているビーフシチューだった。
ビーフシチューはこちらの世界でも割と再現ができるらしく、これまでもユウナが何度か野営時に作ってくれたので、食べた事はある。だが、ウェンデルの町で必要なものを全部買い揃えられた事、しっかりと整った台所環境で作られたものである事、そして部屋で食べているというのも相まって、これまで食べたものよりも美味しく感じられた。
「……どう?」
「めちゃくちゃ美味しい」
「よかったっ」
ユウナが俺の反応を見て、顔を綻ばせた。
次に、海老のビスクのスープパンを口元に運んでいく。
ウェンデルは海の町という事もあって、海産物が多い。海老の旨味を閉じ込めた、贅沢な味わいだった。
濃厚な海老の美味さとじゃがいもやニンジン、玉ねぎや赤ピーマン、トマトなどの野菜が海老の味を引き立てる。
「……カフェ、開店できるんじゃね?」
普通に《《あっち》》でも通用するくらい美味しかった。
調味料とかは大分制約されているだろうに、それでもここまで味を近付けられる事に素直に驚く。まあ、洋食はこちらの調味料でもある程度再現しやすいのかもしれないけれど。
ただ、洋食なら異世界でもここまで再現できるユウナが和食となると難しいと頭を抱えているあたり、味噌やら白だしやらを作るのは相当難易度が高そうだ。
「報奨金がなくなったら、カフェでも開こっかな?」
「じゃあ、俺ウェイターやるよ」
「えー? エイジくん、接客できるの?」
「できる! ……と、思いたい」
ちょっと自信はなかった。
アルバイトもした事ないし。
「できないと思うなぁ。すぐに怒って魔法とか使っちゃいそう」
「失敬な。さすがにそんな事しないよ」
「だって、前もいきなり魔法使ってたじゃない」
「あ、あれはだな……村の人か賊が待ち構えているかわからなかったから──」
「はいはい、そういう事にしとくね。シチュー、お代わりいる?」
ユウナは俺の反論を軽くいなして、器代わりのパンを手に取った。
俺はむすっとしたまま頷くと、彼女はくすくす笑いながら、台所へと軽い足取りで向かっていく。
これが俺達の、新居での初めての夕食だった。