「ねえ、覚えてる? こっちにきたばかりの頃……私、辛くて毎日泣いてたよね」
「まあ、そうだったな」
彼女の言葉で、二年前に転移させられた直後の事を思い出す。
ユウナは俺みたいにアニメや漫画の知識があったわけではないから、この異世界転移という状況を受け入れて理解できるようになるまで、少し時間が掛かった。
あまりに過酷で残酷な世界に耐えられなくて、怯えて足がすくんでしまっていたり、殺し合いの戦いが目の前で繰り広げられているのを見て、怖くなって泣いてしまったりしていた。その光景に慣れた頃合いであっても、夜中にこっそりと泣いていたのを見ている。
今では〝聖女〟として立ち振る舞い、余程の事がない限り動じない彼女にも、そんな駆け出しの時期があったのだ。
それも仕方ないと思う。いきなり殺すだの殺されるだのといった世界にただの高校生が放り込まれて、すぐに順応できるわけがない。
「でも、エイジくんは全然泣いてなかった。私と同じで大変なはずなのに、泣き言の一つも言ってなくて。それどころか、ずっと『大丈夫だから。俺が絶対に連れて帰るって約束するから』って……私の事、勇気付けてくれてたよね。私、あれで随分救われてたんだよ?」
「……そうだったかな」
確かに、当時の俺はこの世界に早く順応していたと思う。聖剣バルムンクを渡されてから、魔物の命を奪うまでは短かった。
ユウナの様になってしまっていたら、とてもではないが〝勇者〟としての役割は果たせなかっただろう。
だが、それは自分の感情や思考を捨てる事で順応したに過ぎない。そうしないと、守るべき人を守れないと悟ったからだ。
ただ、その反動が今こうしてきているわけで……今となっては、当時の判断が正しかったのかはわからない。ユウナの様に少しずつ慣らした方が結果的には良かったのかもしれない。
「私が不甲斐ないばっかりに、一人で全部背負い込ませちゃってて、すっごく無理させちゃってたんだなって……最近になって、やっとわかったの」
「…………」
なるほど、そういう事か。
そこでようやく、ユウナから今日言われた『あんまり無理しないで』という言葉の意図を理解した。彼女はずっと、俺の心がこうして重荷に圧し潰されそうになっている事を知っていたのだ。
大切な人を護る事、そして使命を果たす事、それを目的として生きている間に、〝勇者〟としての役割なんかも勝手に背負い込んでしまっていて、そうしている間に俺の心は自分らしさをどんどん失っていたのだ。
「今まで面として言えなかったけど……二年間、ずっと支え続けてくれて、ありがとう」
ユウナは柔らかく微笑んで、御礼を言った。
その言葉からも、心から感謝しているのが伝わってくる。伝わってくるからこそ、余計に辛くなってしまった。
「やめてくれ。〝勇者〟としての役割だとか、使命だとかは果たせたのかもしれないけど、肝心の約束は果たせなかったじゃないか。礼を言われる筋合いなんてない」
あっちに連れて帰る──結局、その約束だけは果たせなかった。
果たすつもりで頑張っていたけれど、いざ使命を果たしても何も起こらず、結局元の世界に帰れなかったのだ。
異世界に転移させられたのも、使命を果たしたのに帰れなかったのも、どちらも俺の所為ではない。俺の所為ではないけれど、約束を果たせなかった事への罪悪感は拭い去れない。
「ねえ、エイジくん。勘違いしないで」
そこで、ユウナはくすっと笑った。
そこには呆れている様な、少し可笑しそうな雰囲気さえも漂っている。これまで見せていた泣きそうな笑顔とも、寂寥感に満ちた笑みとも、俺を気遣っている笑みでもなかった。
まるで、何かを決意したかの様な、前向きな笑顔。それはあの時、『一緒に青春を取り戻そう』と言った時と同じものだった。
「私、もうあっちに帰りたいだなんて思ってないよ?」
「え⁉ なんで……?」
あまりの予想外な言葉に、俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。ユウナは俺よりもこの世界に順応できていなかったし、当然今も帰りたがっていると思っていたからだ。
しかし、彼女の口から出てきた言葉は、俺が予想もしていなかった言葉だった。
「これからはずっとエイジくんと一緒に居る。この二年間、ずっと私の事を支え続けてくれたエイジくんを、これからは私が支えたいの。場所なんて……もうどこだっていいよ」
真剣な眼差しでじっとこちらを見据えて、ユウナはそう言ってくれた。
その言葉を信じられない想いで聞いている自分と、今まで辛く締め付けられていた心が柔らかく解れていくのを感じている自分がいた。
場所なんてどこでもいいから一緒に居たい──そんな言葉を誰かから言ってもらえるなんて、思ってもいなかった。
そして、この言葉を聞いた今、新たな考えが自分の中で芽生えたのを感じた。
──もう、帰れなくても良いじゃないか。
ユウナが傍にいる。彼女も俺と一緒に居たいと言ってくれている。それさえあれば、もう何もいらないのではないか。
彼女が傍にいるなら、こうして変わってしまった価値観と二年前の価値観の帳尻を上手く合わせて、この世界でも上手くやっていけるのではないだろうか。この世界に存在しないだし巻き卵を表現できた様に、この世界にない生き方を俺達ならばできるのではないだろうか。ユウナは俺に、そう思わせてくれたのだ。
俺も彼女と同じ決意を抱くと、ゆっくりと息を吐いて、こう伝えた。
「じゃあ……この世界でできる青春、二人でしようか」
「うん。エイジくんとなら、きっと何でも青春になるよ」
「それは結構なプレッシャーだな……」
「そう? そんな事ないと思うけどな」
そんな言葉を交わしながらも、二人の視線は交錯していて、《《次の展開》》に進む甘酸っぱい空気感が俺達の間では溢れていた。
互いの気持ちが合致したのを感じた時、俺達はどちらともなく顔を寄せ合っていく。
瞳を閉じると、ふわりと鼻腔が甘い香りで満たされた。いつもはうっすらと香る、ユウナの上品で優しい香りだ。それはとても甘美で、頭がどうにかしてしまいそうなほどに愛しい香りだった。
そして、それから間もなくして──唇に優しくて柔らかいものが触れた。
唇が重なるだけの、初々しいキス。でも、その重なった唇からは彼女の体温と確かな意志を感じて、一生離れたくないと思わされてしまう。
きっと、このキスは俺達が互いの本当の想いを認識し合った瞬間であると同時に、現世への未練を断ち切った瞬間でもあった。
変わってしまった自分達を受け入れて、この異世界でやっていこう。失ってしまった青春は、二人で取り戻していこう──そんな俺とユウナの意志が、唇を通して重なり合っていくのを感じたのだ。
自然と唇を離すと、その拍子に僅かに漏れた彼女の吐息が頬に当たって、そっと目を開けた。彼女が目を開けたタイミングも同じで、俺達は自然に見つめ合う形になる。
「……ほら。青春になったよ?」
ユウナは面映ゆい表情を浮かべながら、そう言った。
そう言った時の彼女の表情は普段の様な少女の面影を残しつつも、どこかいつもより大人っぽいところがあって。それだけで胸が苦しくなって、もう一度彼女を触れたくなってしまう。
そっとその華奢な肩に腕を回して抱き寄せると、ユウナは俺に身体を預けたままこちらに顔を向けて、もう一度瞳を閉じた。
そんな彼女を見ているだけで、我慢できなくなってしまうほどの衝動と胸の高鳴りが襲ってくる。そのドキドキと胸の高鳴る感覚は、何だかあの放課後の教室の延長にある様な感覚だと言えるのかもしれない。
そして、その感覚は、この世界に来てからは初めて味わうものだった。
──そっか。青春って、こんな感じだったよな。
昔の感覚を思い出しながら、そして新たに知る感覚を全身で感じながら、もう一度彼女の方へと顔を寄せる。
それから俺達は、失ってしまった青春を取り戻すかの様に、何度も何度も唇を重ねたのだった。
俺達だけにしか味わえない青春の味と、未来を思い描きながら──。
「まあ、そうだったな」
彼女の言葉で、二年前に転移させられた直後の事を思い出す。
ユウナは俺みたいにアニメや漫画の知識があったわけではないから、この異世界転移という状況を受け入れて理解できるようになるまで、少し時間が掛かった。
あまりに過酷で残酷な世界に耐えられなくて、怯えて足がすくんでしまっていたり、殺し合いの戦いが目の前で繰り広げられているのを見て、怖くなって泣いてしまったりしていた。その光景に慣れた頃合いであっても、夜中にこっそりと泣いていたのを見ている。
今では〝聖女〟として立ち振る舞い、余程の事がない限り動じない彼女にも、そんな駆け出しの時期があったのだ。
それも仕方ないと思う。いきなり殺すだの殺されるだのといった世界にただの高校生が放り込まれて、すぐに順応できるわけがない。
「でも、エイジくんは全然泣いてなかった。私と同じで大変なはずなのに、泣き言の一つも言ってなくて。それどころか、ずっと『大丈夫だから。俺が絶対に連れて帰るって約束するから』って……私の事、勇気付けてくれてたよね。私、あれで随分救われてたんだよ?」
「……そうだったかな」
確かに、当時の俺はこの世界に早く順応していたと思う。聖剣バルムンクを渡されてから、魔物の命を奪うまでは短かった。
ユウナの様になってしまっていたら、とてもではないが〝勇者〟としての役割は果たせなかっただろう。
だが、それは自分の感情や思考を捨てる事で順応したに過ぎない。そうしないと、守るべき人を守れないと悟ったからだ。
ただ、その反動が今こうしてきているわけで……今となっては、当時の判断が正しかったのかはわからない。ユウナの様に少しずつ慣らした方が結果的には良かったのかもしれない。
「私が不甲斐ないばっかりに、一人で全部背負い込ませちゃってて、すっごく無理させちゃってたんだなって……最近になって、やっとわかったの」
「…………」
なるほど、そういう事か。
そこでようやく、ユウナから今日言われた『あんまり無理しないで』という言葉の意図を理解した。彼女はずっと、俺の心がこうして重荷に圧し潰されそうになっている事を知っていたのだ。
大切な人を護る事、そして使命を果たす事、それを目的として生きている間に、〝勇者〟としての役割なんかも勝手に背負い込んでしまっていて、そうしている間に俺の心は自分らしさをどんどん失っていたのだ。
「今まで面として言えなかったけど……二年間、ずっと支え続けてくれて、ありがとう」
ユウナは柔らかく微笑んで、御礼を言った。
その言葉からも、心から感謝しているのが伝わってくる。伝わってくるからこそ、余計に辛くなってしまった。
「やめてくれ。〝勇者〟としての役割だとか、使命だとかは果たせたのかもしれないけど、肝心の約束は果たせなかったじゃないか。礼を言われる筋合いなんてない」
あっちに連れて帰る──結局、その約束だけは果たせなかった。
果たすつもりで頑張っていたけれど、いざ使命を果たしても何も起こらず、結局元の世界に帰れなかったのだ。
異世界に転移させられたのも、使命を果たしたのに帰れなかったのも、どちらも俺の所為ではない。俺の所為ではないけれど、約束を果たせなかった事への罪悪感は拭い去れない。
「ねえ、エイジくん。勘違いしないで」
そこで、ユウナはくすっと笑った。
そこには呆れている様な、少し可笑しそうな雰囲気さえも漂っている。これまで見せていた泣きそうな笑顔とも、寂寥感に満ちた笑みとも、俺を気遣っている笑みでもなかった。
まるで、何かを決意したかの様な、前向きな笑顔。それはあの時、『一緒に青春を取り戻そう』と言った時と同じものだった。
「私、もうあっちに帰りたいだなんて思ってないよ?」
「え⁉ なんで……?」
あまりの予想外な言葉に、俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。ユウナは俺よりもこの世界に順応できていなかったし、当然今も帰りたがっていると思っていたからだ。
しかし、彼女の口から出てきた言葉は、俺が予想もしていなかった言葉だった。
「これからはずっとエイジくんと一緒に居る。この二年間、ずっと私の事を支え続けてくれたエイジくんを、これからは私が支えたいの。場所なんて……もうどこだっていいよ」
真剣な眼差しでじっとこちらを見据えて、ユウナはそう言ってくれた。
その言葉を信じられない想いで聞いている自分と、今まで辛く締め付けられていた心が柔らかく解れていくのを感じている自分がいた。
場所なんてどこでもいいから一緒に居たい──そんな言葉を誰かから言ってもらえるなんて、思ってもいなかった。
そして、この言葉を聞いた今、新たな考えが自分の中で芽生えたのを感じた。
──もう、帰れなくても良いじゃないか。
ユウナが傍にいる。彼女も俺と一緒に居たいと言ってくれている。それさえあれば、もう何もいらないのではないか。
彼女が傍にいるなら、こうして変わってしまった価値観と二年前の価値観の帳尻を上手く合わせて、この世界でも上手くやっていけるのではないだろうか。この世界に存在しないだし巻き卵を表現できた様に、この世界にない生き方を俺達ならばできるのではないだろうか。ユウナは俺に、そう思わせてくれたのだ。
俺も彼女と同じ決意を抱くと、ゆっくりと息を吐いて、こう伝えた。
「じゃあ……この世界でできる青春、二人でしようか」
「うん。エイジくんとなら、きっと何でも青春になるよ」
「それは結構なプレッシャーだな……」
「そう? そんな事ないと思うけどな」
そんな言葉を交わしながらも、二人の視線は交錯していて、《《次の展開》》に進む甘酸っぱい空気感が俺達の間では溢れていた。
互いの気持ちが合致したのを感じた時、俺達はどちらともなく顔を寄せ合っていく。
瞳を閉じると、ふわりと鼻腔が甘い香りで満たされた。いつもはうっすらと香る、ユウナの上品で優しい香りだ。それはとても甘美で、頭がどうにかしてしまいそうなほどに愛しい香りだった。
そして、それから間もなくして──唇に優しくて柔らかいものが触れた。
唇が重なるだけの、初々しいキス。でも、その重なった唇からは彼女の体温と確かな意志を感じて、一生離れたくないと思わされてしまう。
きっと、このキスは俺達が互いの本当の想いを認識し合った瞬間であると同時に、現世への未練を断ち切った瞬間でもあった。
変わってしまった自分達を受け入れて、この異世界でやっていこう。失ってしまった青春は、二人で取り戻していこう──そんな俺とユウナの意志が、唇を通して重なり合っていくのを感じたのだ。
自然と唇を離すと、その拍子に僅かに漏れた彼女の吐息が頬に当たって、そっと目を開けた。彼女が目を開けたタイミングも同じで、俺達は自然に見つめ合う形になる。
「……ほら。青春になったよ?」
ユウナは面映ゆい表情を浮かべながら、そう言った。
そう言った時の彼女の表情は普段の様な少女の面影を残しつつも、どこかいつもより大人っぽいところがあって。それだけで胸が苦しくなって、もう一度彼女を触れたくなってしまう。
そっとその華奢な肩に腕を回して抱き寄せると、ユウナは俺に身体を預けたままこちらに顔を向けて、もう一度瞳を閉じた。
そんな彼女を見ているだけで、我慢できなくなってしまうほどの衝動と胸の高鳴りが襲ってくる。そのドキドキと胸の高鳴る感覚は、何だかあの放課後の教室の延長にある様な感覚だと言えるのかもしれない。
そして、その感覚は、この世界に来てからは初めて味わうものだった。
──そっか。青春って、こんな感じだったよな。
昔の感覚を思い出しながら、そして新たに知る感覚を全身で感じながら、もう一度彼女の方へと顔を寄せる。
それから俺達は、失ってしまった青春を取り戻すかの様に、何度も何度も唇を重ねたのだった。
俺達だけにしか味わえない青春の味と、未来を思い描きながら──。