取り戻せるものと取り戻せないものがある──一度はだし巻き卵の感動で吹っ飛んだ鬱蒼とした気持ちが、まるで反動を加えたかの様に跳ね返って戻ってきた。
ユウナはこちらの世界にない和食を再現できた事で、俺達が本来享受できたはずの青春も再現できるのではないかと考えた様だ。
だが、一方の俺はユウナ程前向きにはなれていなかった。だし巻き卵の味を久しぶりだと感じて、剰え涙してしまう程に、自分達は元いた場所から遠く離れたところにいるのだと改めて実感してしまったのだ。
「エイジくん……?」
心配そうにこちらを見つめるユウナから逃げる様に、俺は自らの手に視線を落とす。
その手は今や綺麗になっているが、ほんの数時間前は血塗れだった。
果たして、この手でこんな優しい味のものを食べてしまってもよかったのだろうか。俺の知る世界のものと触れてしまってもよかったのだろうか。
そんな疑問と罪悪感が心の中を否応なしに支配していく。
「考えてみろよ。今日だけで、俺は何人殺したよ? 今日だけじゃない。この二年で、どれだけの魔族を、魔物を、そして人を殺した? もう数え切れないだろ……日本の凶悪犯罪者より遥かに殺しまくってるじゃんか」
戦いに次ぐ戦いに加えて、聖剣に魔法や闘気といった大きな力を持ってしまったせいで、何人殺しただとかの感覚が更に薄れてしまった様に思う。
戦場で銃器を扱う兵士ももしかしたらこんな気分なのかもしれない。自分の力を遥かに超えた力を持つと、その罪悪感さえもなくなってしまうのだ。
ユウナはそれに対して、何も言わなかった。いや、言えなかったのだろう。この二年間俺が何をしてきたかを、誰よりも知っているのだから。
「そんな俺が青春? ちゃんちゃら可笑しいだろ。こんな血生臭い手で楽しめる青春なんて、あっていいわけがない」
目を閉じればうっすらと脳裏に浮かぶ、夕暮れの教室。そんな教室で、俺とユウナは二人残って他愛ない話をしていた。
彼女と一緒にいるのは今も変わらないはずなのに、今の俺達は随分とあの場所から遠い位置にいる。それは座標的な意味だけではなく、精神的な意味に於いてもだ。
あの世界でただの高校生だった俺は、この世界では強い力を持つ勇者である。きっと、日本にいたらここまでちやほやされる事も、担ぎ上げられる事もなかっただろう。普通の学生として今も学校に通っていたに違いない。
だが、それと引き換えに、人どころか小動物さえも殺さずに済む環境を失い、当たり前に人や魔物を殺さなければならない環境に身を置く事になった。
魔王と戦っていた頃は、何人殺しただのを気にしている余裕なんてなかった。ただ生き残る事に、ユウナを守る事に必死だった。だからこそ、その過程で徐々に変わっていた自分の感覚に気付けなかったのだろう。
だが、魔王を倒して落ち着いてしまった今、変わってしまった自分とこうして相対する事となってしまった。夕暮れの教室で彼女と笑い合っていた頃の俺とは程遠い自分と、向き合う事になってしまったのである。
「俺はもう、まともじゃないんだよ……!」
空になった皿を地面に叩きつける事で、理不尽さへの怒りと悔しさを示した。
皿は木製だったから当然割れなかった。からんからんと音を立てて、転がっただけだ。
「……そうじゃないよ」
ユウナは暫く黙った後、俺の手に自らの手を重ねてこちらをじっと見た。
「まともじゃなくなっちゃったから……元の私達に戻る為に、私達はあの青春を取り戻さないといけないの」
そこで、ハッとして彼女の顔を見る。
彼女は悲痛な表情を浮かべていた。その表情は寂寥感に満ちていて、これまで見せていた明るい表情からは想像ができない程辛そうだった。
「私だって、もうあの時と同じじゃない。変わっちゃってるよ。目を覆いたくなるような悲惨な光景だって何度も見てきて……私の力が及ばなかったせいで救えなかった人もいて。そんな経験を何度もしちゃったら、何も知らなかった高校生の頃と同じではいられないよ」
そうだった。
ユウナは確かにまだ人を殺めていない。だが、その代わり──〈治癒魔法〉が間に合わず、目の前で息絶える人々を何人も見てきているのだ。こちらに転移した直後はまだ俺もユウナも未熟で力が及ばなくて、そのせいで亡くしてしまった命もあった。力だけのせいでなく、タイミング的にどうしても間に合わなくて救えなかった命もある。
俺の知らないところで、俺とは異なる苦しみや罪の意識を、彼女はずっと背負い続けていたのだ。
「でも、だからこそ……だからこそ、今の私達にはあんな時間が必要なんじゃないかな。毎日が楽しくて、ドキドキしてて、新鮮で、また早く明日にならないかなって思えるようなそんな時間が。じゃないと……耐えられないよ」
ユウナは泣きそうな顔で笑って、ほんの少しだけ首を横に傾けた。
そこで漸く気付いた。きっとユウナは俺よりも早く今の自分と向き合っていて、今の俺みたいに苦しんでいたのだ。
そして同時に、俺がそうした苦しみを内在させている事にも、俺よりも早くに気付いていたのだろう。だからこそ『一緒に青春を取り戻そう』と提案したのだ。俺達二人の心を救う為にも、それが必要な事だと彼女はあの時から既に悟っていたのである。
ユウナは俺なんかよりも全然大人だった。
ユウナはこちらの世界にない和食を再現できた事で、俺達が本来享受できたはずの青春も再現できるのではないかと考えた様だ。
だが、一方の俺はユウナ程前向きにはなれていなかった。だし巻き卵の味を久しぶりだと感じて、剰え涙してしまう程に、自分達は元いた場所から遠く離れたところにいるのだと改めて実感してしまったのだ。
「エイジくん……?」
心配そうにこちらを見つめるユウナから逃げる様に、俺は自らの手に視線を落とす。
その手は今や綺麗になっているが、ほんの数時間前は血塗れだった。
果たして、この手でこんな優しい味のものを食べてしまってもよかったのだろうか。俺の知る世界のものと触れてしまってもよかったのだろうか。
そんな疑問と罪悪感が心の中を否応なしに支配していく。
「考えてみろよ。今日だけで、俺は何人殺したよ? 今日だけじゃない。この二年で、どれだけの魔族を、魔物を、そして人を殺した? もう数え切れないだろ……日本の凶悪犯罪者より遥かに殺しまくってるじゃんか」
戦いに次ぐ戦いに加えて、聖剣に魔法や闘気といった大きな力を持ってしまったせいで、何人殺しただとかの感覚が更に薄れてしまった様に思う。
戦場で銃器を扱う兵士ももしかしたらこんな気分なのかもしれない。自分の力を遥かに超えた力を持つと、その罪悪感さえもなくなってしまうのだ。
ユウナはそれに対して、何も言わなかった。いや、言えなかったのだろう。この二年間俺が何をしてきたかを、誰よりも知っているのだから。
「そんな俺が青春? ちゃんちゃら可笑しいだろ。こんな血生臭い手で楽しめる青春なんて、あっていいわけがない」
目を閉じればうっすらと脳裏に浮かぶ、夕暮れの教室。そんな教室で、俺とユウナは二人残って他愛ない話をしていた。
彼女と一緒にいるのは今も変わらないはずなのに、今の俺達は随分とあの場所から遠い位置にいる。それは座標的な意味だけではなく、精神的な意味に於いてもだ。
あの世界でただの高校生だった俺は、この世界では強い力を持つ勇者である。きっと、日本にいたらここまでちやほやされる事も、担ぎ上げられる事もなかっただろう。普通の学生として今も学校に通っていたに違いない。
だが、それと引き換えに、人どころか小動物さえも殺さずに済む環境を失い、当たり前に人や魔物を殺さなければならない環境に身を置く事になった。
魔王と戦っていた頃は、何人殺しただのを気にしている余裕なんてなかった。ただ生き残る事に、ユウナを守る事に必死だった。だからこそ、その過程で徐々に変わっていた自分の感覚に気付けなかったのだろう。
だが、魔王を倒して落ち着いてしまった今、変わってしまった自分とこうして相対する事となってしまった。夕暮れの教室で彼女と笑い合っていた頃の俺とは程遠い自分と、向き合う事になってしまったのである。
「俺はもう、まともじゃないんだよ……!」
空になった皿を地面に叩きつける事で、理不尽さへの怒りと悔しさを示した。
皿は木製だったから当然割れなかった。からんからんと音を立てて、転がっただけだ。
「……そうじゃないよ」
ユウナは暫く黙った後、俺の手に自らの手を重ねてこちらをじっと見た。
「まともじゃなくなっちゃったから……元の私達に戻る為に、私達はあの青春を取り戻さないといけないの」
そこで、ハッとして彼女の顔を見る。
彼女は悲痛な表情を浮かべていた。その表情は寂寥感に満ちていて、これまで見せていた明るい表情からは想像ができない程辛そうだった。
「私だって、もうあの時と同じじゃない。変わっちゃってるよ。目を覆いたくなるような悲惨な光景だって何度も見てきて……私の力が及ばなかったせいで救えなかった人もいて。そんな経験を何度もしちゃったら、何も知らなかった高校生の頃と同じではいられないよ」
そうだった。
ユウナは確かにまだ人を殺めていない。だが、その代わり──〈治癒魔法〉が間に合わず、目の前で息絶える人々を何人も見てきているのだ。こちらに転移した直後はまだ俺もユウナも未熟で力が及ばなくて、そのせいで亡くしてしまった命もあった。力だけのせいでなく、タイミング的にどうしても間に合わなくて救えなかった命もある。
俺の知らないところで、俺とは異なる苦しみや罪の意識を、彼女はずっと背負い続けていたのだ。
「でも、だからこそ……だからこそ、今の私達にはあんな時間が必要なんじゃないかな。毎日が楽しくて、ドキドキしてて、新鮮で、また早く明日にならないかなって思えるようなそんな時間が。じゃないと……耐えられないよ」
ユウナは泣きそうな顔で笑って、ほんの少しだけ首を横に傾けた。
そこで漸く気付いた。きっとユウナは俺よりも早く今の自分と向き合っていて、今の俺みたいに苦しんでいたのだ。
そして同時に、俺がそうした苦しみを内在させている事にも、俺よりも早くに気付いていたのだろう。だからこそ『一緒に青春を取り戻そう』と提案したのだ。俺達二人の心を救う為にも、それが必要な事だと彼女はあの時から既に悟っていたのである。
ユウナは俺なんかよりも全然大人だった。