「結局、帰れなかったね」
帰郷していく仲間達の背中を見送っていると、隣に立っていた黒髪の少女がぽそりと呟いた。その言葉は独り言の様にも思えたけれど、俺に向けられて発せられた内容である事は明らかだ。
少女の名前はユウナ。黒絹の様な艶やかな長い黒髪に白い肌、華奢な身体付きにすっきりしたやや幼い顔立ちと、美しい日本人女性の特徴を濃縮したかの様な少女だ。唯一瞳だけは生まれつき青みがかっていているが、一見すれば誰もが日本人だとわかる容姿である。
しかし、服装に限って言えばおおよそ日本人らしくないもので、俺にとっては未だ見慣れないものだった。彼女はファンタジー作品の女神やらが着ていそうな白い聖衣を纏っているのだ。そして、その聖衣こそが彼女をこの世界の〝 聖女〟たらしめているものでもあった。
ただ、そうとわかっていても、どうしても元の彼女を知る俺にとっては、どこかコスプレちっく(無論、コスプレなどこの世界にはない概念だが)に思えてならなかった。
そして、一方の俺はというと、もっと酷かった。
ユウナと同じくバリバリな日本人の容姿なのに、鎧にマントに帯剣である。どこのハロウィンパーティーに参加するつもりなのだと言われそうだが、残念ながらその勇者コスプレ野郎がこの世界では魔王討伐に成功した世界の救世主であり、ホンモノの〝 勇者〟として世に知られている。髪を伸ばした御蔭で少しはサマになったものの、それでも自分にその服装が合っているとは思えなかった。
そもそも〝勇者〟って何だ。RPGゲームじゃあるまいし。魔王を倒した今でもそんな実感は抱けないし、実感よりも恥ずかしさが先走ってしまう。
「……そうだな」
こちらを振り向いて笑顔で手を振る戦士風の男と魔導師の女に向けて手を振り返してやりつつ、ユウナの言葉に応えた。
隣のユウナを横目でちらりと見ると、彼女は穏やかな笑みを浮かべて彼らに手を振っているものの、その表情は何処か寂寥感に包まれていて、諦観さえも感じさせられた。
きっと俺もユウナと似たような表情を浮かべて同じ様な気持ちを抱いていたのだと思う。仲間達のこれからの幸せを祈る気持ちと、使命を無事果たしたという安堵感、そして故郷に帰れる彼らへの羨望──きっとこんなところだろう。
彼らには帰るべき故郷があるが、俺達二人は本来あるべき場所に戻れなかった。即ち、元の世界に帰れなかったのである。
「ねえ、エイジくん。久しぶりに昔の呼び方で呼んでみていい?」
二人の背中が雑踏に紛れて見えなくなると、ユウナはこちらを振り向いて訊いた。
そこには先程まで纏っていた寂寥感はなくて、どこかからかいの色を帯びている。帰れないという寂しさを紛らわせないようにしているのか、或いはそれを俺に悟らせないようにしているのかはわからないが、無理に明るく振舞っている様にも思えた。
その表情は、あちらでの彼女を彷彿とさせるものがあって、久々に見たな、という気がした。
「昔の呼び方って?」
俺もユウナの声色と表情に合わせて、普段通りのテンションで返した。
ユウナが気持ちを切り替えて明るく振舞おうとしているなら、鬱蒼とした気持ちでいるべきではないと思ったからだ。
「ここに来る前の呼び方、だよ」
ユウナは悪戯げに笑って言った。
その呼び方には心当たりがあったので「別にいいけど」と返すと、彼女は俺の方に体も向けた。そして、上目遣いでこちらを見上げてくる。
身長は俺が一七〇センチちょいなので、背丈で言うと彼女は一六〇センチと言ったところだろうか。向かい合うと、俺がほんの少しだけ彼女を見下ろす形になるのだ。
「……瓜生くん」
ユウナは少し緊張した面持ちで、昔の呼び方で俺を呼んだ。
その海の様な青みがかった瞳でじっと見詰められて、思わず胸がどきんと高鳴った。懐かしい呼ばれ方をしたせいで、聖衣を纏っているはずなのに、記憶の中の制服姿の彼女と被って見えてしまったのだ。
「えっと……なに、真城さん?」
動揺と照れを隠す為、俺も昔呼んでいた呼び方で彼女を呼んでやった。
その反撃は想定外だったらしく、彼女もその青色の瞳を大きく見開いていた。やや驚いた様な、それでいて少し恥ずかしがっている様な表情だ。その反応はこの国の〝聖女〟たるものではなく、高校生の女の子らしい反応で、俺をどこか安心させてくれた。
「「ぷっ」」
互いに苗字で呼び合ってそのまま無言で見つめ合うこと数秒……俺達は同時に吹き出した。
なんだか妙に気恥ずかしくて、むず痒い。苗字で呼ばれるのが当たり前だったはずなのに、その単語や語感があまりに懐かしくて、自分自身がその呼ばれ方に対して違和感を抱いてしまっていたのだ。おそらく、それはユウナも同じ感覚だったのだろう。
自分の苗字のはずなのに、自分と認識できない程に懐かしくて、それでいて自分のものとも思えない余所余所しさがあった。だが、俺達は二年前……即ち、この世界に来る前までは互いにそう呼び合っていたし、他にもそう呼ぶ人は沢山いた。むしろ名前で呼ぶ人の方が少なかったくらいだ。
しかし、今ここで俺達を苗字で呼ぶ者はいない。
周囲を見渡せば、中世ヨーロッパ風の建物が立ち並び、俺達の背には大きな王宮がある。城下町では西欧人風の男女が日常を過ごしていて、城門の前では鎧を纏って槍を持つ兵士達が俺達に向かって敬礼していた。
そんな、所謂中世ヨーロッパ的な世界観──どちらかというと異世界ファンタジーの世界観といった方が正しいだろうか──の前で、瓜生と真城という単語はあまりにも不似合いだ。RPGゲームで主人公の名前を決める際に自分の本名を入力してしまった時に陥るような、世界観の齟齬が生じている。
俺達はその何とも言えない違和感に思わず笑ってしまったのだ。
「……やめよっか。なんだか、今更変な感じだよね」
「ああ。呼び慣れないし、今ではそう呼ばれる方がこっ恥ずかしい」
「私も。ほんとなら名前で呼び合う方が恥ずかしかったはずなのにね?」
ユウナは眉根を下げて、困った様に笑った。
その笑みに懐かしさを感じつつも、 俺は肩を竦めて「確かに」と力無い笑みを返すのだった。
瓜生映司と真城結菜──これが俺とユウナの本来の名前だ。同じクラスで授業を受けていた頃は、『瓜生くん』『真城さん』と互いを呼び合っていた。呼び合っていたといっても、それほど親しかったわけではない。よく話すクラスメイト、といった感覚だろうか。
だが、俺達は唐突に名前で呼び合う事を強いられた。いや、正確に言うと強いられたわけではないのだが、環境的にその方が自然だったので、名前で呼ばざるを得なかったのだ。
この世界ではファーストネームで呼び合うのが基本で、苗字で呼び合う事は滅多にない。最初は苗字で呼び合っていたのだが、苗字が名前だと勘違いされてしまったので──世界観に合わないのでどことなく気持ち悪かったというのも相まって──自然と『エイジくん』『ユウナ』と呼び合う様になっていたのだ。
以降、苗字を使う事も名乗る事もなくなった。名前を表記する時は、こちら側の文字を用いるので、漢字も随分と書いていない。
帰郷していく仲間達の背中を見送っていると、隣に立っていた黒髪の少女がぽそりと呟いた。その言葉は独り言の様にも思えたけれど、俺に向けられて発せられた内容である事は明らかだ。
少女の名前はユウナ。黒絹の様な艶やかな長い黒髪に白い肌、華奢な身体付きにすっきりしたやや幼い顔立ちと、美しい日本人女性の特徴を濃縮したかの様な少女だ。唯一瞳だけは生まれつき青みがかっていているが、一見すれば誰もが日本人だとわかる容姿である。
しかし、服装に限って言えばおおよそ日本人らしくないもので、俺にとっては未だ見慣れないものだった。彼女はファンタジー作品の女神やらが着ていそうな白い聖衣を纏っているのだ。そして、その聖衣こそが彼女をこの世界の〝 聖女〟たらしめているものでもあった。
ただ、そうとわかっていても、どうしても元の彼女を知る俺にとっては、どこかコスプレちっく(無論、コスプレなどこの世界にはない概念だが)に思えてならなかった。
そして、一方の俺はというと、もっと酷かった。
ユウナと同じくバリバリな日本人の容姿なのに、鎧にマントに帯剣である。どこのハロウィンパーティーに参加するつもりなのだと言われそうだが、残念ながらその勇者コスプレ野郎がこの世界では魔王討伐に成功した世界の救世主であり、ホンモノの〝 勇者〟として世に知られている。髪を伸ばした御蔭で少しはサマになったものの、それでも自分にその服装が合っているとは思えなかった。
そもそも〝勇者〟って何だ。RPGゲームじゃあるまいし。魔王を倒した今でもそんな実感は抱けないし、実感よりも恥ずかしさが先走ってしまう。
「……そうだな」
こちらを振り向いて笑顔で手を振る戦士風の男と魔導師の女に向けて手を振り返してやりつつ、ユウナの言葉に応えた。
隣のユウナを横目でちらりと見ると、彼女は穏やかな笑みを浮かべて彼らに手を振っているものの、その表情は何処か寂寥感に包まれていて、諦観さえも感じさせられた。
きっと俺もユウナと似たような表情を浮かべて同じ様な気持ちを抱いていたのだと思う。仲間達のこれからの幸せを祈る気持ちと、使命を無事果たしたという安堵感、そして故郷に帰れる彼らへの羨望──きっとこんなところだろう。
彼らには帰るべき故郷があるが、俺達二人は本来あるべき場所に戻れなかった。即ち、元の世界に帰れなかったのである。
「ねえ、エイジくん。久しぶりに昔の呼び方で呼んでみていい?」
二人の背中が雑踏に紛れて見えなくなると、ユウナはこちらを振り向いて訊いた。
そこには先程まで纏っていた寂寥感はなくて、どこかからかいの色を帯びている。帰れないという寂しさを紛らわせないようにしているのか、或いはそれを俺に悟らせないようにしているのかはわからないが、無理に明るく振舞っている様にも思えた。
その表情は、あちらでの彼女を彷彿とさせるものがあって、久々に見たな、という気がした。
「昔の呼び方って?」
俺もユウナの声色と表情に合わせて、普段通りのテンションで返した。
ユウナが気持ちを切り替えて明るく振舞おうとしているなら、鬱蒼とした気持ちでいるべきではないと思ったからだ。
「ここに来る前の呼び方、だよ」
ユウナは悪戯げに笑って言った。
その呼び方には心当たりがあったので「別にいいけど」と返すと、彼女は俺の方に体も向けた。そして、上目遣いでこちらを見上げてくる。
身長は俺が一七〇センチちょいなので、背丈で言うと彼女は一六〇センチと言ったところだろうか。向かい合うと、俺がほんの少しだけ彼女を見下ろす形になるのだ。
「……瓜生くん」
ユウナは少し緊張した面持ちで、昔の呼び方で俺を呼んだ。
その海の様な青みがかった瞳でじっと見詰められて、思わず胸がどきんと高鳴った。懐かしい呼ばれ方をしたせいで、聖衣を纏っているはずなのに、記憶の中の制服姿の彼女と被って見えてしまったのだ。
「えっと……なに、真城さん?」
動揺と照れを隠す為、俺も昔呼んでいた呼び方で彼女を呼んでやった。
その反撃は想定外だったらしく、彼女もその青色の瞳を大きく見開いていた。やや驚いた様な、それでいて少し恥ずかしがっている様な表情だ。その反応はこの国の〝聖女〟たるものではなく、高校生の女の子らしい反応で、俺をどこか安心させてくれた。
「「ぷっ」」
互いに苗字で呼び合ってそのまま無言で見つめ合うこと数秒……俺達は同時に吹き出した。
なんだか妙に気恥ずかしくて、むず痒い。苗字で呼ばれるのが当たり前だったはずなのに、その単語や語感があまりに懐かしくて、自分自身がその呼ばれ方に対して違和感を抱いてしまっていたのだ。おそらく、それはユウナも同じ感覚だったのだろう。
自分の苗字のはずなのに、自分と認識できない程に懐かしくて、それでいて自分のものとも思えない余所余所しさがあった。だが、俺達は二年前……即ち、この世界に来る前までは互いにそう呼び合っていたし、他にもそう呼ぶ人は沢山いた。むしろ名前で呼ぶ人の方が少なかったくらいだ。
しかし、今ここで俺達を苗字で呼ぶ者はいない。
周囲を見渡せば、中世ヨーロッパ風の建物が立ち並び、俺達の背には大きな王宮がある。城下町では西欧人風の男女が日常を過ごしていて、城門の前では鎧を纏って槍を持つ兵士達が俺達に向かって敬礼していた。
そんな、所謂中世ヨーロッパ的な世界観──どちらかというと異世界ファンタジーの世界観といった方が正しいだろうか──の前で、瓜生と真城という単語はあまりにも不似合いだ。RPGゲームで主人公の名前を決める際に自分の本名を入力してしまった時に陥るような、世界観の齟齬が生じている。
俺達はその何とも言えない違和感に思わず笑ってしまったのだ。
「……やめよっか。なんだか、今更変な感じだよね」
「ああ。呼び慣れないし、今ではそう呼ばれる方がこっ恥ずかしい」
「私も。ほんとなら名前で呼び合う方が恥ずかしかったはずなのにね?」
ユウナは眉根を下げて、困った様に笑った。
その笑みに懐かしさを感じつつも、 俺は肩を竦めて「確かに」と力無い笑みを返すのだった。
瓜生映司と真城結菜──これが俺とユウナの本来の名前だ。同じクラスで授業を受けていた頃は、『瓜生くん』『真城さん』と互いを呼び合っていた。呼び合っていたといっても、それほど親しかったわけではない。よく話すクラスメイト、といった感覚だろうか。
だが、俺達は唐突に名前で呼び合う事を強いられた。いや、正確に言うと強いられたわけではないのだが、環境的にその方が自然だったので、名前で呼ばざるを得なかったのだ。
この世界ではファーストネームで呼び合うのが基本で、苗字で呼び合う事は滅多にない。最初は苗字で呼び合っていたのだが、苗字が名前だと勘違いされてしまったので──世界観に合わないのでどことなく気持ち悪かったというのも相まって──自然と『エイジくん』『ユウナ』と呼び合う様になっていたのだ。
以降、苗字を使う事も名乗る事もなくなった。名前を表記する時は、こちら側の文字を用いるので、漢字も随分と書いていない。