「一枚、二枚、三枚、四枚……やっぱりぃ、一枚足りない~っ……!」
「はいはい、さっき使ったばっかりでしょう」

 おどろおどろしい声で金を数え、うめき声を上げる男。
 その男が着ているローブの端を掴み、さながら手綱のように引っ張りたしなめる、若い娘。

 門番の視線に気づいたのか、娘の方がへにゃっと気の抜けた笑みを浮かべると、小さく会釈した。

「うるさくして、ごめんなさい。……この人、ちょっと病的にお金が好きすぎるんです。それも、自分が稼いだお金の数を数えるのが大好きっていう変人なんですよ」

 ぼんやりとして見えた娘だが、笑うと愛嬌がある。
 あれだ、と門番達は同じ動物を想像した。
 ――子狸みたいな娘だな、と。

「ほら、おにーさん、お金しまって。もう王都に着いたんだから」
「一枚、二枚、三枚……」
「……また始まった。こうなると、納得するまで続けるんです。ごめんなさい」

 奇癖の持ち主である連れの行動を謝罪する娘に、門番達は早く行けというように手を振る。

  悪事を働く類いの人間には見えなかったせいもあるが、金を数える男の声にはあまりにも気迫がこもっており、道行く子供が半泣きになっていたから……というのが最も大きな理由だった。

 子供の泣き声には、誰も勝てない。

 こうして、一組の珍妙な男女は、平然と王都へ足を踏み入れた。

 いうまでもなく、リュンヌとカルケルだった――。


 首尾良く王都へ入ることが出来た二人は、その足で王妃の実家へ向かった。
 無論、金は数えたままである。

 真剣に数えているカルケルが飽きないように、リュンヌは自分のポケットに入っていた分もばらばらと革袋に足すと、カルケルに睨まれた。

 また一から数え直しだという彼は、やはりもともと真面目な性分らしい。やるからには、きっちりとしておきたいとの事だった。

 ――そんなカルケルを誘導しつつ、たどり着いた王妃の実家……。

 目の前にある屋敷を見た二人は、大きく口を開け、言葉を失った。

「……なんだこれは……酷いな」
「荒れ放題だわ……。誰も住んでいないにしたって……国の王妃様の実家でしょう? 最低限の手入れもしてないなんて」

 かつて“灰かぶり”と呼ばれ、虐げられていた王妃。

 彼女が王子に見初められるまで暮らしていた屋敷は、見る影も無かった。門の一部は崩れ、庭は荒れ果てておりもはや庭とすら呼べない状態だ。

 屋敷も屋根が無くなっており、壁はあちこちが剥げ落ち苔が生え、窓は枠自体が外れている。
 辛い思い出がある屋敷だろうが、実母と実父との思い出もまた、この屋敷にはあるはず。

 しかし、一度として誰かが手を加えたようには見えない荒廃ぶりだ。

「……望めばいくらでも手入れはされただろうに……まさか、これが母の望みだったというのか」
「――カルケル、落ち着いて。ただ放置しただけなら、この荒れ様はおかしいと思わない?」
「…………そうだな。……これでは、ただの廃屋だ」

 この屋敷だけが、何十年と時を経たような荒れ方だった。

 切り取られたような異質さは、カルケルにも充分に伝わったようで、発した声は強張っていた。

 そこへ、場違いな程呑気な声が飛んできた。

「あれ? お二人さん、ここで何をしているんだい?」

 振り返れば、近所の住民だろう中年の女性が、驚いたように二人を見つめている。

「あ、私達、本に出てくるお屋敷を、直に見たくて」

 コントドーフェ王国の王都民には、本と言えばだいたい通じる。

 中年の女性も、例外ではなかったようで、王妃と王のなれ初めを物語にした“あの本”だと思ったようで、納得がいったと言わんばかりに大きく頷いた。

「あら、やっぱりね。そうだと思ったんだよ。……なんだか難しそうな顔をしていたからね。……がっかりしただろう? お屋敷がこんな状態で」
「そう、ですね。正直、少しだけ……。あの、ここにはもう、誰も住んでいないんですね?」
「そうだね……あの子は、知っての通り王妃様になってしまったし……後からやってきた一家は反省したのか、教会で奉仕活動にいそしんでいるからね。……それに、ここは幽霊屋敷だから」

 ぽつりと呟かれた最後の一言に、カルケルは顔を上げた。

「幽霊屋敷? ……ご婦人、それは、どういう意味ですか?」
「あら、いやだよ。ご婦人だなんて」

 ちょっと照れたように笑った後、女性は声を潜めて教えてくれた。

 王妃様がいなくなってから、この屋敷は日に日に朽ちていったという。
 誰かが手入れをしても、一日も経たずに元通り……ではなく、急速に劣化していったと。
 
 ――王妃を助けなかった者達への脅かしだと、近隣住民達は考えたという。

 王妃に肩入れしていた茨の森の魔女がやっているのだと。
 けれど、王家の指示で手入れに入った職人達がやっても、結果は同じだった。

「だから、この屋敷自体に、不思議な力が働いているんじゃ無いかと思ってね。今ではみんな近寄らないんだ。…………屋敷自体が、助けなかった私達を怒っているんじゃないかって」
「……そんな風に悔いる気持ちがあるのなら、どうして誰一人動かなかったのですか?」

 目の前の女性は心底後悔しているように見えた。
 リュンヌだけではなく、カルケルも同様に感じたようで、思わずといった風に女性に質問を投げかけた。

 すると、女性は悔いるような悲しむような、それでいて納得がいっていないような……複雑な表情を浮かべた。

「……わからないんだよ」
「は?」
「……言い訳に聞こえるかもしれないけれどね、……本当に、分からないんだ。あの子の事は、小さいときから知っていたのに……あんな扱いされているのを見て、黙っていられるはずがないのに……私達はみんな、あの状況を疑問に思わなかったんだよ……」

 そんな事、有り得るはずがないのにと、女性は震えた声で呟いた。

「自分の子供が、あの子を“灰かぶり”と呼ぶことを咎めなかった。それどころか、大人も子供も関係なく、誰もが皆”灰かぶり”ってあの子を呼んだんだ。……そんな名前じゃないって知っているのに」

 当然のように受け入れていた、あの家の状況。

 その認識が突如としてひっくり返ったのは、“灰かぶり”が王子に見初められ結婚した時だったと言う。

 継母達三人は、突如やって来た兵士に捕らえられ――その時、女性や周りの人達は夢から覚めたかのように我に返り、罪悪感に押しつぶされそうになったのだと。

「本当に、気立てが良くて、優しい子だったんだよ。あんなに良い子を、私は……」

 思い出してしまったのか、女性は涙ぐんだ。それをみたリュンヌは、ぽつりと呟く。

「…………悪い魔法をかけられたのよ」
「……あんた――」
「悪い魔法をかけられたけど、もう解けたの。だから、負けちゃダメ」
「……ありがとうね、……あんたも、優しい子だね」

 気休め、あるいは慰めと受け取ったのだろう。笑みを浮かべた女性は「おかしな話をして悪かったね、……ここにはもう何もないから、どうせ見るならお城がいいよ」と言い残し、去って行った。

 最後にもう一度、ありがとうと言って。

「……悪い人ではないように見えたが……多数派の意見に流されたんだろうか」
「いいえ、違うわ」
「魔女殿?」
「言ったじゃない。悪い魔法だって。なにも、慰めや同情で口にしたわけじゃないわ」

 リュンヌは荒れた屋敷に視線を向ける。
 睨むような、険しい視線を。

「……カルケル。王妃様の義理の姉妹に会いたいの。……教会って言ってたかしら?」
「――ああ。……場所なら、俺も把握している。……毎年、母上に手紙が届くらしいからな」
「……ふーん」
「どうした?」
「……変なの」

 リュンヌは、屋敷を睨んだまま呟いた。

「意地悪した相手から届く手紙なんて、普通読みたい?」
「…………」
「貴方のお母さんが、類い希なるお人好しって可能性はあるかもしれないわ。でも、それだったら周りの人間が、さりげなく関係を邪魔すると思わない? ――だって、今はもう立場のある人よ?」
「……たしかに」

 母は、お人好しだとカルケルは認めた。
 だが……と気難しい表情で続けた。

「……害があると判断すれば、父上が、許さないだろう。……父上は、今でもその……母上を大切にしているから」
「あら素敵。とってもいい事ね。……でも、そんな奥さん大好きな貴方のお父さんが、手紙のやり取りを許していて、秘密裏に手を回して関係を絶たせようとしないのは、どうして?」

 リュンヌの問いに、カルケルは二、三度瞬きを繰り返した後、ぽつりと言った。

「――害がないから、か?」
「うん。私もそう思う。……でも、普通有り得る? さんざん意地悪した相手ですが、今は反省して真面目に生きています、だからあっさり無害認定とか」
「…………」
「私ね、もしかしたらって思ったの。……悪い魔法をかけられていたのは、さっきのおばさんや、近所の人達だけじゃなくて……――」

 ひゅっとカルケルがフードの奥で息を呑む。

「まさか……実の娘達にまで……?」
「――それを、これから私達で確かめに行くのよ」