「いや、本当にすばらしい話だったぞ。息をつかせぬ展開に終始ハラハラしっぱなしだった。後味もとてもよかったしな」

「でしょでしょ! すごく人気だから、続編を作るらしいよ。主人公とヒロインの間に生まれた子供が今度は主人公になるんだって噂だけど」

「あのふたりの子供の話か……。それはまた、おもしろそうだな」

 鞍馬の話に、伊吹は感慨深そうに答える。その言い方に、凛は先ほど抱いた不安を思い出してしまった。

 伊吹がその手に我が子を抱くのが、遠い未来になってしまうかもしれない。人間の自分が嫁になったせいで。

 焦ったって仕方のないことではあると、頭ではわかっている。しかし、一刻も早く御朱印を集めないと……と、どうしても凛の気持ちははやってしまうのだった。



 その夜。伊吹はひとり、(ひのき)風呂に浸かっていた。

 檜の爽やかな香りが漂う広々とした浴室でゆったりと過ごすのが、伊吹は昔から好きだった。

 一日の疲労が()まった体を、温かみを感じられる木材の浴槽の中でのんびりと休ませると、肉体のみならず精神まで癒やされていく。伊吹にとっては至高の幸せだと言っても過言ではない。

 そしてこの入浴時間は、リラックスした伊吹が一日の中でもっとも思考を巡らせる時だ。

 伊吹の友人であり、(みずち)というあやかしの(ひさご)が経営している温泉旅館で凛が短期アルバイトをしてから数週間経ち、()(づき)となった。

 あの期間の前後は、年度末ということもあって鬼の若殿としての仕事で伊吹も立て込んでいた。

 しかし今ではそれも落ち着き、凛と共に屋敷で穏やかな日々を送っている。