居間の中心に置かれたテレビ画面には、人間界で大人気を博し、あやかし界にもファンの多い恋愛ドラマが映し出されていた。

【最終話】というテロップが画面の下部に出ている。

「い、いよいよ最終回ですね」

「ああ。主人公とヒロインが幸せになるといいのだが」

 ふたり掛けの座椅子に夫の()(ぶき)と肩を並べて座っている(りん)は、彼とそんな会話をした後テレビ画面を食い入るように見つめた。

 この作品は動画配信サービスで視聴できるドラマで、伊吹の弟である(くら)()に勧められたものだ。

『好みのタイプは人間の女の子!』と豪語する鞍馬は、(てん)()のあやかしでありながら人間界の文化に多大な興味を示し、凛によく人間の流行を教えてくれる。

 鞍馬に『凛ちゃんも絶対おもしろいって思うよ。ぜひ見てみて!』と言われた当初は、ひとりで視聴するつもりだった。恋愛がメインのドラマだというから、伊吹はあまり興味がないかもしれないなと考えたのだ。

 しかしワンクール十二話もあったし、どうせなら伊吹とドラマの内容について共有しながら視聴したい……と思い直し、ダメ元で伊吹に声をかけた。

 すると意外にも、『へえ。おもしろそうではないか』と伊吹は乗り気だった。

 思い返せば、伊吹の書斎の本棚には恋愛小説がいくつか置かれていた。

 それ以外にも、ミステリー、コメディ、青春、ホラー小説などジャンルは多岐にわたっている。

 普段から物語ならなんでも(たしな)むようにしているからこそ、伊吹は博学多識なのかもしれない。
 そしてふたりで視聴を始めたわけだが、一話目の冒頭から息もつかせぬおもしろさで、凛も伊吹もあっという間に引き込まれてしまった。

 ふたりで申し合わせたわけでもないのに、少しでも時間ができた時には自然とこのドラマの続きを追うのが習慣になるほどだった。

 そして迎えた最終回。これまでの話と同様に予期せぬ展開が続き、ふたりとも画面から目が離せなかった。

 時折「この後どうなってしまうんでしょう!?」「うーむ……」などという会話を挟みながらも、夢中でストーリーを追う。

 ちなみに現在、居間は凛と伊吹のふたりきりだった。

 同居の鞍馬は友人と『お(とぎ)(なか)見世(みせ)(どお)り』というあやかしたちが集まる繁華街に遊びに行っており、使用人で猫又(ねこまた)国茂(くにしげ)は台所で家事をしている。

 いよいよドラマは最終回のラストシーンとなった。

 純白のウェディングドレスを着たヒロインと、その傍らで幸せそうに微笑む主人公の姿が画面を彩っている。

「よかった……! ふたりは幸せになれるのですね」

「ああ。途中、また引き離されそうになってしまってハラハラしたな」

 感極まった凛が涙声で言うと、伊吹がうんうんと(うなず)く。最後の最後までどうなるかわからない展開だったため、感動もひとしおだった。

『早く俺たちの子供が欲しいね』

『そうだね。男の子と女の子どっちがいい?』

『どっちでも……ううん、両方!』

 結婚式の最中、主人公とヒロインがそんな会話を繰り広げるシーンでドラマは結末を迎えた。すると。

「……子供か」
 ぼそりと伊吹が(つぶや)いたのが聞こえ、凛はハッとする。

 ――もしかして伊吹さん、早く子供が欲しいのかな……。

 しみじみとした伊吹の言い方に、凛はそう考えてしまった。

 御年二十七才の伊吹は鬼であり、その上次期種族の頭領となる『鬼の若殿』と呼ばれる位の高いあやかしだ。さらに、あやかし界全体を統治する次代のあやかし頭領としても、最有力候補だと()(せい)では(うわさ)されているらしい。

 対する凛は、妖力をいっさい持たないただの人間である。ただし、百年に一度の頻度で誕生すると言われる〝()(けつ)〟という特別な血を体内に宿しており、『夜血の乙女』と呼ばれる存在だった。

 鬼は人間を食わないあやかしであるが、人間の体内で唯一夜血だけを美味だと感じる性質を持つ。

 夜血の乙女は鬼の若殿に花嫁として献上されるのが、あやかし界と人間界の間で取り決められた古くからの(おきて)であった。

 しかし表向きでは花嫁と言っても、夜血の乙女は生贄(いけにえ)同然だと人間界では認識されていた。

 なぜなら乙女は献上された直後に、夜血を好む鬼の若殿によって血を吸い尽くされて絶命するという俗説を皆信じていたからだ。

 夜血の乙女だと発覚するまで、その赤い瞳のせいで不吉な子だと家族にすら蔑まれていた凛は、抗うことなくその運命を受け入れていた。

 つまり、鬼の若殿に会ったら最後、自分はもう息絶えるものだと覚悟して伊吹の元にやってきたのだが……。

 なんと伊吹はそんな凛を優しく受け入れ、花嫁として全力で(ちょう)(あい)してきたのだ。
 最初は戸惑い、信じられなかった凛。だが、伊吹の真っすぐな愛を何度も肌で感じた今では、素直にそれを享受できるようになってきていた。

 されども、ここはあやかし界。

 一歩外に出れば、人間を食らう種族であるあやかしたちが通りを(かっ)()しているという、人間の凛にとっては危険極まりない場所だった。

 そのため、ごく親しい者を除いて自分が人間であることを凛は隠して生活するようにしていた。

 ところが、あやかし界に来てまだ三カ月足らずだというのに、凛を人間だと察したあやかしが何名かいる。

 幸い伊吹と親しいあやかしばかりだったので、凛の正体を吹聴するような者はいなかった。

 しかし必死で隠していても、いずれは『鬼の若殿の嫁は人間らしい』と皆が知ることになるだろう。

 あやかしと人間は平等だと建前では言われている現代だが、いまだに人間を下等な種族だと考えているあやかしは多い。ほんの百年少し前までは、あやかしたちは欲望の赴くまま、人間を好き勝手に食らっていたのだから。

 よって、鬼の若殿の嫁が人間だと発覚したら、伊吹を『人間なんかを嫁にもらった若殿』と揶揄(やゆ)するあやかしが出てくるだろう。凛を食らおうとするあやかしすら現れるかもしれない。

 それを防ぐためにも、凛は実力のあるあやかしの御朱印を集めていた。

 あやかし界では、妖力の強いあやかしは持っている能力や特性に合った称号と御朱印が与えられる。そして御朱印を己の御朱印帳に押してもらうと、魂の契りが結ばれるのだ。

 それは押印した相手の力を認め、どんな状況下でも裏切らないというなによりも優先される契約である。
 例え御朱印帳の持ち主が人間であっても有効とされるその契り。百年前の夜血の乙女であり、伊吹の祖父の妻であった(いばら)()(どう)()も、数多の御朱印を集めあやかしたちから一目置かれる存在となったと言い伝えられている。

 凛の御朱印帳にはまだ四つしか印が押されていない。

 あやかしたちから認められ、『私は鬼の若殿である伊吹の妻だ』と胸を張るには、たくさんの御朱印を集めてからではないと難しいだろう。

 伊吹も凛のその意向には理解を示していて、『夫婦らしいことができるのは、御朱印を集めてからだな』と以前に言っていた。

 だから、自分たちが子供を持つのはまだまだ先になるだろうと考えていたし、伊吹との触れ合いはいまだに口づけどまりだ。

 恋愛経験が皆無だった凛は、伊吹との子供を作ると想像しただけで赤面してしまうくらい初心(うぶ)だった。

 そんな自分をかわいいと愛でてくれる伊吹だったが。

 ――このままでは、いつ十分な数の御朱印を集められるかわからないよね……。だいたい御朱印をいくつ集めたらいいのかさえ見当もつかないし。すごく時間がかかってしまうかも。

 たまたま今までは御朱印の持ち主が気のいいあやかしばかりだったので、うまくいっていた。

 しかし基本的にあやかしは偏屈な変わり者ばかり。今後はそう簡単にはいかないだろうというのが、伊吹と凛の共通認識だった。

 もし何十年もかかってしまったらどうしようと不安になる。下手をすれば、自分が妊娠するのが難しくなる年齢になってしまうかもしれない。

 ――本当に、このままでいいのかな。

 そんなふうに凛が焦っていると。
「……凛」

「はい……えっ?」

 突然伊吹が抱き寄せてきたので、凛は驚き目を見開く。すると伊吹は熱を帯びた瞳で見つめてきた。

 黒曜石のような輝きを放つ瞳、すっと通った美しい()(りょう)、そして形のよい唇。非の打ち所のない整った面立ちは、彫刻のように完璧だった。

 これほどまでの美男子を、伊吹に会うまで凛は見たことがなかった。

 そんな男性が自分の夫だなんて、いまだにたまに信じられなくなる瞬間さえある。

 戸惑う凛の顎にそっと手を添えて上を向かせると、伊吹は唇を重ねた。柔らかく熱いその感触に、凛の全身が熱を帯びていく。

「すまん。ドラマの幸せそうなふたりを見ていたら、急に凛が愛おしくなって」

 唇を離した後、伊吹が切なげに声を紡いだ。

「……は、はい」

 なんて答えたらいいかわからず凛がただ返事だけをすると、伊吹はまた口づけをしてきた。

 凛は瞳を閉じて、ただそれを受け入れる。

 しかしいつもの口づけよりも力強く、濃厚な味わいがした。顎に添えられていた手が首筋を触り、くすぐったくて身震いする。

 もともと、伊吹との口づけは定期的に必ず行わなければいけない行為だった。

 凛からは人間の匂いがにじみ出ているためだ。人間を食らう種族であるあやかしがそれを嗅ぎつけたら、凛は真っ先に狙われてしまうのである。

 伊吹の口づけには、人間の匂いを鬼の匂いで上書きする効果があった。頬への口づけなら一日、唇同士の口づけなら三日間、その効力は保たれる。