「いただきます」
 目の前に置かれた湯気を立てるどんぶりを前に、葉月は嬉しそうに声を弾ませて手を合わせた。

 お箸で器用に麺をつかみ、息をふうっと吹きかける。ゆっくりとそれを口に持っていき、上品に啜った。食い入るようにその様子を見つめていると、
「美味しい!」
 頬をふくらませながら、葉月はその小さな顔に笑みを滲ませる。無垢な笑顔に、つい俺も笑顔になった。
「ラーメンなんて、久しぶりに食べたよ」
 ぽつりと言った葉月を、じっと見つめる。細い腕、子供の割に白い肌。
 黙り込んだ俺を見て、葉月は笑った。
「なーんてね! ねぇ、お兄さん名前なんて言うんだっけ?」
 そういえばまだ名乗っていなかった。

「あ……俺は、雛森(ひなもり)(りつ)
「律……じゃあ、りっちゃんね! ねぇ、りっちゃん! 私を拾ってくれたついでに、この仔猫もここで飼っていい?」
「拾った覚えはない。家に帰れよ」
 葉月は勝手にここに住むつもりでいるらしい。
「……それはいや」
 ふいっとそっぽを向く姿は、まるでいじけた子供そのものだ。
「……なんでだよ」
 できるかぎり優しい声で訊ねると、
「言いたくない」
 やはりそっぽを向く。
「……バレたら俺が捕まるんだよ」
「……分かった。じゃあ出てくよ」
 とぼとぼと玄関に向かう葉月の背中。それは無性に不安を駆られ、心がざわついた。

「わ、わかったよ……」
 気が付けば、葉月の小さな背中に向かって声をかけていた。
「えっ!?」
 葉月がくるりと振り向く。
「本当!? いいの!?」
「まぁ……今さらだしな」
 葉月はぴょんぴょん飛び上がって喜びながら、俺に抱きついた。
「ありがとう! あ、そだ。名前はなににしよう。うーん……あ、決めた! ユイカとかどう??」
 俺は、目を瞠った。まだ乾かない生のままの傷がじくりと疼く。

「……可愛いでしょ? ねぇ、ユイカ!」
 葉月は無邪気な顔で仔猫を抱き上げた。
「みゃあん」
「……いや、なんでわざわざ猫に人間みたいな名前付けるんだよ。わざわざそんな名前にしなくたって、もっと他にあるだろ。ほら、タマとかポチとか」
「うーん、だって、なんか思いついたんだもん。いいじゃん、ユイカ! 可愛い!」
「だからって……」
 尚も食い下がろうとする俺を、葉月は強引に遮った。
「ねえ! 私、遊園地行きたい! それからカラオケ! あとは海もいいなぁ。天体観測とかもしてみたいし」
「はぁ? 待て待て待て。図々しいにもほどがあるだろ……」
「え、ダメなの? ……私、追い出される?」
 途端に、捨てられた猫のようにしゅんと小さくなる葉月に、俺は深いため息をつく。
 この顔は良心が痛む。

「……お前、わざとだろ?」
「……出てく?」
「……分かったよ」
「きゃーっ!! やったぁ!」
 葉月はころりと態度を変えた。
「女って……」
 まるで猫を一度に二匹飼い始めたようだ。
「その代わり、条件は出すぞ。仔猫の面倒はお前が見ること」
「もちろん!」
「俺が仕事に行ってる間は無闇に外に出ないこと。万が一警察に見つかったりしたら俺が困る」
「分かった」
「それから、最後にひとつ。お互いのことには深く干渉しないこと。以上、守れるか?」
「任せといてよ!」
 やけに素直だ。
「ならまぁ……よし」

 葉月の笑顔は、なぜかとても俺の心を打った。釘のように刺さって抜けない。こんなことは、結花以外の女性では初めてのことだった。

 葉月は女子高生とは思えないほど家事が手馴れていた。まめまめしく洗濯物を畳む様子はまるで主婦のようで、それがどこか女子高生である葉月の外見とちぐはぐで、見ていて少し面白かった。

 いつも俺の好物ばかりが並ぶ食卓で、うっかり一人暮らしでもしていたのかと訊ねそうになって、俺は慌てて口を噤んだ。
『お互いのことには干渉しない』のだから、と。