ここへ来る前に約束を交わした時、本当の自分を知られて嫌われたくないとあの子は言っていた。嫌わないという私に、あの子は夢の中で自分を見つけるよう提案して、私はそれを彼が私の本心を探り、どこまで自分を探しに来れるのか試す為だと思っていた。でも、本当のあの子を掴む必要があり、掴めば見つけられる、という事は。
「そうか、探すっていうのは姿を探すんじゃなくて、あの子自身がどういう人なのかを知るという事……?」
今まで求められていたのは彼の本体を探すという事ではなく、彼の中身を知る事。彼の人間性を知る為に私は彼の夢の中を彷徨っていたのだとすると納得がいった。心の中を見せてくれているのだから、それを繋ぎ合わせて一つになった時、本当のあの子が見えてくるはずだという事である。
言われてみれば当然の事だった。だってここはあの子の夢、つまり心の中。この世界にある全てがあの子で出来ているのだから、探して回り、体験し、感じる事は全てあの子に繋がる意味のある事だった。
「この森はアイツに近い部分。始めに君がここへ来た時、深い部分から遠ざけて、アイツを知るまで時間が掛かれば良いと思った。そうしたら面倒になって君が諦めると思ったから」
「…………」
「でも、それは間違いだった。浅い部分で君の心と繋がって、諦めるどころかより一層近付いてる。そうなるように仕向けられたんだ、アイツは今頃大喜びだよ」
「……なんでそんなに見つけて欲しくないの?」
「……僕はアイツが嫌いだから、アイツを信じられない。見つけた所できっとアイツはまた逃げるよ、君を悲しませる事になる。そんなの無意味でしょ?」
「…………」
「それでも、君はきっとアイツを受け入れるんだろうね」
「……うん」
あの子を見つけた時にどうなるのか。それは今の時点では何も分からない。猫さんはあの子がきっと逃げるなんて言うけれど、探して欲しがっているのに逃げるだなんて想像もつかなった。……けれど、猫さんが言うならそうなのかもしれない。でも、だとしても私は大丈夫。今この場でそれだけは言い切れる。
「もし逃げちゃったらまたその時考える。見つけていいのか、いけないのか。駄目だったら今度こそ諦めるかもしれないけど……でも、それでも大丈夫だって今なら言い切れるよ」
猫さんにあの子を見つけられないようにしていると言われた時、もう猫さんを信じてはいけないのだと悲しく思った。どんなに私が猫さんの事を好きでも、目指す方向が違うのなら彼に全てを委ねる事は出来ない。私にとって一番大事な事はあの子を見つける事だから、もう猫さんとは分かり合えないし、私はここで何も成し遂げられていないのだと落ち込んだけど、それは違った。
猫さんは私が探す事を諦める様に促しただけで、探す事自体を妨害した訳ではないし、私はあの子の違う世界も回れた事で犬くんとも出会い、この世界の仕組みを知る事が出来たのだ。まだ向かうべき場所がある事も分かっている今の私は、前を向いている。答えに辿り着いたその先で、また一からやり直す事になって、また落ち込む事になってしまったとしても、もう大丈夫。それは今、猫さんが教えてくれた。
「だって、その時はきっとまたこんな風に、猫さんが助けてくれるでしょ?」
猫さんは、ずっと私の事を考えてくれていた。私とあの子が望む形でなかったとしても、私が決断出来る幅を広げてくれたのは間違いない。私があの子を見つけたその先まで、猫さんは考えて行動してくれていたのだ。猫さんは間違っていないし、猫さんは誰より信頼出来る人。私を助けてくれる、私の味方。困った私を、きっと猫さんのやり方で助けてくれると信じている。
「……ふっ」
「?」
「あはははっ!」
「!」
びっくりした。猫さんは急に爆笑し始めた。あのクールな猫さんが、思いっきりお腹を抱えて笑っている。信じられないものを見たと、目をまん丸にする私に、「あーおかしいっ」と、涙を拭いながら猫さんは息を整える。
「君は賢いんだか馬鹿なんだか分かんないね、不思議な人だよ。それならきっともう、僕の出る幕は無い」
「え?」
「さぁ、中に入って。君の思う場所へ繋がるから、この家はそういう場所。君の好きにすると良い」
どういう事だと、言葉の意味を捉えきれない私を、猫さんは次の行動へと促す。彼はさっぱりした顔で私を家の中へ入れると、扉の手前に立っていた。
「猫さんは来ないの?」
「ずっと居るよ、君の側に」
「そう言って居なくなるくせに……」
家に入ってくれないという事はそういう事だ。私を慰める為だけの綺麗な嘘を付く猫さんは、一体私をいくつの子供だと思っているのだろう。
「いいよ、行ってくる。困った時はまた呼ぶからね」
不貞腐れながらも「行ってきます」と、扉を閉めると、「またね」という猫さんの声が聞こえた。
次に扉を開けた時、そこにはもう猫さんの姿は無く、代わりに赤茶色のレンガ道が森の奥へと続いていた。
私はまた戻ってきた。
生い茂る木々に見覚えがある。ここはスワンボートで辿り着いた先の森だ。レンガ道から外れる前の場所。真っ直ぐ進むべきだった場所。
家から一歩外へ出て、玄関の扉を閉める。よし、もう道を外れないぞと心に決めて前を向くと、道のずっと先から何かがこちらに向かって歩いて来ているのが目に入った。何か……というか、あれは、人?
理解した瞬間、ギクリとした。人といえば、脳裏に過ぎったのはあの少年の形をした黒い影。この世界で出会った人間はあの時の影しか居ない。それ以外で居るとしたら探しているあの子かなとも思ったけれど、こんな所で出会う訳がないのだ。だって、この世界にあの子の姿を探しに来た訳ではないと、もう私は知っている。こんな風にあの子と出会うはずが無い。
どうしようかともたついている内に段々近付いてくるその人は、まだまだ遠い先の方でピタリと足を止めた。顔がこちらを向いている。どうやら私の存在に気付いた様だ。
遠くても何となく見つかったという事は分かり、今私達の目が合っている様な気すらする。どうしようかと次の行動を決めかねていたその時、急にその人は動きだした。
「!」
段々スピードを上げてこちらへ向かって歩いてくる。始めはゆっくりだったその人がとうとう走り出したと分かった瞬間、私は咄嗟に振り返っていた。後ろのもと来た家に逃げ帰ろうと思ったのだ。安全だと言われた家の中に——しかし、そこにもう家は無かった。何も無い、ただレンガ道の続く森が広がっているだけ。私が出た瞬間、家は消えてなくなっていたのだ。
「っ!」
ガッと急に両肩を掴まれるように手が置かれて、心臓が飛び上がる。はぁはぁと、荒い呼吸が背後で聞こえていた。振り返って家が無い事に絶望したその一瞬。その一瞬で、あれだけあった距離をこの人は詰めたという事……? つまり、この人も普通の人では、無い?
肩を掴まれる手の力は強く、もう逃さないと言わんばかりだった。恐怖でカチカチになって動けない身体を、くるりと反転させられる。強制的に向き合わされたその先、俯き加減のまま肩で息をするその人の、前髪からのぞく上目遣いと目が合った。
——瞬間、ハッとした。その目は綺麗な金色だったから。それにどこか既視感が……あ、そうだ。この金色の目は……っ、
「猫さん……?」
「は?」
「! あ、いや……」
「すみません……」と、自然と謝罪の言葉を溢しながら視線は斜め下へと逃げていった。単語一つに対して返って来た嫌悪感が凄まじかったのだ。とても目を見て向き合ってはいられなかった。どうやら猫さんと間違えられた事が相当その人の心を逆撫でしたらしい……いや、猫さんと間違えた訳ではないんだけど……。
「あ、あの、綺麗だなと思いまして」
「あの猫が?」
「いえ! 猫さんではなく……いや猫さんも綺麗なんですけど、そうじゃなくて、その、あなたの目の色が……」
とても綺麗な金色ですね!と、言葉を繋げようと、意を決して前へ向き直った瞬間。
「っ! 耳!」
ぴょこんと、ふわふわの焦げ茶色の髪の毛からのぞく、二つの柔らかそうな三角耳が目に飛び込んできた。こ、これはっ、
「犬くん……!」
「違う。触るなよ」
「あ、す、すみません……」
柔らかそうだと、つい犬くんが恋しくなって撫でようとしてしまった。なんで触ろうとしたのが分かったのだろう。おずおずと、あげようとしていた両手を謝罪と共に下ろした。睨みつけてくる威圧感が凄くて、問答無用で触るような事は絶対に出来なかった。
やれやれと、目の前のその人は溜息をつき、私の肩はようやく解放される。スッと背筋を伸ばしたその人の背は私より高く、歳は私と同い年か少し上くらいの少年だった。金の目に、ふわふわの焦げ茶色の髪の毛に、三角の獣耳。あれ? よく見たら尻尾も……すらりと伸びた先にふさふさがある……あ!
「分かった、ライオンだ!」
そうだ、絶対そう! この子はライオンさんの男の子!
「すごいっ、素敵! ライオンの耳と尻尾が生えてる男の子なんて本の中みたい! こんな所で出会えるなんて!」
「…………」
「あ、だから走るのも速いし、威風堂々みたいな雰囲気なんですね! なるほど、正にライオン! すごいかっこいい……! 夢みたい……!」
「…………」
すると、「はぁ〜〜」と、彼は更に大きな溜め息を一つ。そこで私はハッと我に返った。
興奮状態でベラベラと喋っていたけれど、もしかしたらとんでもなく失礼な事を言ってしまっていた……? 感情のまま言葉にしていたせいで何を言っていたのかあんまり覚えてなかったけど、ライオンといえば百獣の王だ。礼節をもって対応すべきなのかもしれない。
「す、すみません私とした事が……失礼な事を言ってしまいましたか?」
「……いや、全然。それより怖くないのか? 俺の事」
「? 怖くないです……」
「さっきまであんなに怯えてたのに?」
「それはだって、全部が急だったので……でももう大丈夫です」
「…………」
「……ライオンさん?」
どうしたのかと首を傾げると、ライオンさんはじろりと私を何やら物言いたげな瞳で見つめて、はぁ……と、本日三度目の大きな溜息をつく。
「……なら良いけど。それはそれで、おまえはもう少し警戒心をもった方がいいのかもしれない」
眉間に皺を寄せながらそう言うと、ライオンさんは私に背を向け、今走って来たレンガ道を戻り始めた。その背中を見つめながら、行ってしまうなぁ、私もそっちに行くんだよなぁとぼんやり考えていると、私の視線に気付いた様に、くるりと彼が振り返る。
「行かないのか?」
……つまりそれは、着いて行っても良いという事? 一緒にこのレンガ道を歩いてくれるという事?
「行きます!」と返事をして、彼の背中を追いかけた。この世界であの子を一緒に探してくれる人はこの人で間違いないと確信した瞬間、心強さで足取りは軽かった。
森の奥へ続いていくレンガ道を、ライオンさんは真っ直ぐに歩いていく。まるでこの先に何があるのか分かっている足取りだ。それもそうか、ライオンさんは私の来た道と反対側から来たのだから。
「どこに向かってるんですか?」
「街」
「え、この先に街があるんですか?」
まさかこんなに自然溢れる森の中に街があるなんて。あ、だからレンガ道なの? 住人が通る為に舗装してあるって事で合ってるのかな。まだまだ何も見えて来ないけれど、一体どんな街なんだろう。
「ライオンさんは街から来たんですか?」
「そう」
「そこに住んでるんですか?」
「住んでるっていうか、俺の街」
「俺の街」
やっぱり! 彼は王様だったのだ。つまり私は今、ライオンさんの街へ王様直々に招待されているという事か……なんだか恐れ多い事になってきた。
「じゃあ王様のライオンさんがなんで街の外に? 一人でお散歩なんて危ないんじゃないでしょうか……」
「は? 王様?」
「え? あれ? だって俺の街だって」
「俺が支配してるとかそういう訳じゃない。俺の街というか、場所というか。もしかしてライオンだから、とか思ってる? だからさっきから敬語なのか?」
「…………」
その返答に、もしかして何もかも違った? 怒らせてしまった?と、次に繋げる言葉も思いつかずにいると、ライオンさんはまたもや大きな溜め息をついた。出会ってからのこの短い期間で四回目だ、さぞ呆れられている事だろう。
「すみません……」と、もはや呼吸のように呟くと、ライオンさんはピタリと足を止めてこちらに向き直った。ギロリと、私を睨む様に見つめてくる。
「だから、さっきからその敬語何?」
「……え?」
「他の奴には使わないのに、何で俺だけ敬語なんだよ」
「…………」
何で俺だけ敬語なのっていうのは、他の猫さんと犬さんと比べてという事だろうか……やっぱりこの世界の住人達にはやり取り全てが筒抜けらしい。
何でと言われてもそれは、これだけ威圧感があったらそうなるのでは……だから王様だと思った所もあるし、そもそも今までの子達は本当に小さな動物だったから、人間の形を持つライオンさんとは比べようが無いというか……でもそれをどう伝えたら良いものなのだろうか。
「……怖くないって言ったくせに」
うんうん唸りながら悩んでいると、急な彼の言葉でハッとした。目の前には不貞腐れた様子の彼が居る。なんだ、そういう事だったのか。
「敬語、使わないと失礼かなと思ったもので」
「失礼ってなんだよ」
「うん、ごめんなさい。勘違いしてた。本当に怖くないし、君とも仲良くなりたいと思ってるよ」
「…………」