まぁとりあえず座りなと、猫に促されるまま一番近くにあった椅子へ腰を下ろすと、黒猫はピョンとテーブルの上へ乗った。目線が近づいた分話しやすくなる。


「ここがアイツの夢の中なのは分かってるよね? なんて言われてここに来た?」

「僕を探してって。見つけられたら私の勝ちだって」

「そう。見つけられたら終わり、つまり見つけられるまでは終わらない。終わらないから、出る事も出来ない」

「……え?」


 出る事も出来ない、だなんて。それってこの夢からという事? まさか、見つかるまで目が覚めないって事?


「でも、見つけられなかったらそれでもう終わりにしようって言われたよ。諦めるって言ってた」

「君が降参したらね。やめたくなったらすぐに言いなよ」

「そんな、やめないよ! 見つけるよ」


 すぐに諦める気なんてさらさら無かった。私のやる気は十分なのだ。だって私は彼に会いたい。ここだけでなく、夢の外の世界でも。


「でもあっちは、君に知られたくないと思ってる。きっと見つかるつもりは無いよ」

「なんで? 見つけてって言ってるのに?」

「さぁ。複雑な乙女心に近いんじゃない? 面倒臭くて付き合ってらんないよ」


 溜め息と共に首を横に振る猫さん。本当に面倒臭いと思っているのがひしひしと伝わってくる態度で、これ以上説明したく無さそうな彼の代わりに、その意味を自分で考える事にした。

 複雑な乙女心……つまり、見つかりたくないけど、本当は見つけて欲しいと思ってる、って事なのかな。嫌よ嫌よも好きのうち、みたいな……そうなると、見つけても迷惑では無いって事だよね? でも、見つかりたくないから、私が諦めるかもしれないくらい困難な課題にしてある……とか。そうなると、つまり。


「私は試されてるって、事?」


 彼にどれだけ会いたいと思っているのか、どれだけ真剣に彼という存在と向き合っているのか、その答えをここで知ろうとしているのかもしれない。そう思うとなんだか納得出来る気がした。考え過ぎるあの子らしいといえばらしい話だ。


「そう。つまり諦めない限り長期戦になる。長く君は夢の中だ」

「そんな事出来るの?」

「所詮夢の中だから、目が覚めればいつもの朝だよ。何日経っても一日分。都合の良い話」

「……そっか。良かった」


 何日も目が覚めなくて現実世界では死んでしまった、なんて事になるのなら話は別だもの。そんな事にならないならの良かった。思う存分彼に付き合えるし、長い冒険に出るような雰囲気にちょっとワクワクしてきたかも。


「よし! じゃあまずはどこへ行く?」

「待ってって。まだ半分しか話して無い」

「え! まだ半分なの?」

「君はこの森の事を知らないでしょ? ここは本当に危険な場所だからちゃんと聞いた方が良いよ」


 またしても猫さんに冷静に注意されてしまった。私はどうも決めたら即行動タイプだったらしい。慎重さに欠けるみたいだと初めて気付いた。


「この森は、アイツの死にたい気持ちが反映された場所。その願いを叶える為に、ここには黒い影が現れる」

「……黒い影?」

「捕まったらゲームオーバーの敵だと思えばいいよ。でも臆病だからこの家には近付かないし、二人以上居れば大丈夫だからあんまり僕から離れないように」

「……はい……」


 そんなに怖い森だったとは……樹海って確かに自殺のイメージがある。初めて会ったあの子も確か、死にたいと言っていた。そういう場所だったのか、ここは。黒い影にはまだ会っていないけれど、あの時も今も、猫さんとかあの子が居たから。


「でもこの森を探すしかないんだよね?」

「いや、それは分からない。ここはアイツの世界だからいつでもどうにでもなる。今は樹海にこもりたい気分なんじゃない? 山の天気ぐらいころころ変わるから」

「そうなんだ……」


 じゃあ今のあの子はまた、もう嫌だと全てを投げ出したい気持ちになっているという事か。もしかしたら泣いているかもしれない。早く見つけてあげないと。


「分かった。行こう」

「……話し聞いてた?」

「うん。だから行こう」


 少しでも早く、安心させてあげたい。あの子の心の中に私を入れてくれたのなら。見つけてもらえるかもと少しでも期待してくれたのだとしたら。私はそれに応えたい。それもまた、私にとって初めての経験だったから。


 扉を開けると、私は外の世界に一歩踏み出した。




「あれ? 変わってる……」


 よし、出発だと気合いを入れて踏み出したは良いものの、外の景色はがらりと変わっていた。先程までのじめっとした空気とは違う、爽やかな風が頬を撫で、通り抜けていく。

 広くて見通しの良い自然豊かな公園だった。季節は秋なのか、赤や黄色に紅葉した葉が茂る木が、整備をされつつ乱雑さを残した配置で植えられている。真ん中には丸い大きな池があり、無人のスワンボートが乗り場に静かに並んでいて、池の周りは落ちないよう手摺りで囲まれていた。

 アスファルトで舗装させている道を歩いて行くと、点々と木の下にはベンチがあり、見上げた先の木々の隙間から漏れる日差しが優しく輝いていた。はらりと降ってくる色の付いた落ち葉が綺麗。ここは暖かくて、穏やかな場所だ。


「さっき、あの森はあの子の気持ちが反映してるって言ってたよね? ここもそう?」

「そうだよ」

「じゃあもう今は悲しんでいないって事? こんなに穏やかで落ち着いた場所だもの」

「そうなんじゃない? 人の心なんてちょっとした事ですぐ変わるものだよ。アイツもグズグズする癖に単純なんだね」

「そうなのか……」


 でも、それなら良かった。どこか知らない場所で悲しんでいないのなら。のんびり穏やかな気持ちでいられるならそれでいい。


「この変わったきっかけが何だったのか、猫さんには分かるの?」

「まぁ、何となくはね」

「そうなんだ。それって猫さんが夢の中の住人だから?」

「夢の中の住人って……いつそんな名前付けたの?」


 猫さんは鼻で笑うと、探さなくていいの?と先へ進むよう促すので、素直にその指示に従った。そうだった、猫さんの事よりもまず大事なのはあの子の事だ。

 とりあえず端から端まで行こうと広い公園内を真っ直ぐに歩く。広大な公園らしく、終わりが見えない。どこまでも紅葉した木々と道が続いているなかに、たまにベンチが現れる。ただそれだけ。


「他に誰も居ないね」

「そうだね」

「こんなに誰も居ないもの? この場所には居ないって事?」

「どうなんだろうね。それを確認するのも君の仕事じゃない?」

「そうか……そうだね。これは猫さんの言う通り、探すには長期戦を覚悟した方が良いね」


 私に見つかりたく無いと言っていた言葉通り、本当に姿を見せる気がこれっぽっちも無いのだろう。子供のかくれんぼのようなつもりでいたのは間違いのようだ。だったら、どうしたら良いのかな。


「……あれ? もしかして、もう諦めるの?」


 つい溢れた私の溜息を見逃さない黒猫は、にっこりしてそんな事を言う。どうやら私が困ってるのが嬉しいらしい。


「違うよ。沢山歩いて疲れたから少し休憩するの」


 なんかちょっと意地悪なんだよなぁと、丁度見つかったベンチに腰を下ろした。こんなにすぐに諦める訳がないじゃないか。私だって本気なのだから。

 でも、一体どこに居るんだろう。探すと聞いて単純に歩き回ったけれど、もしかしたらその方法から違うのかもしれない。考え方を変えるべき? さっきの樹海にも理由があった様に、ここにもここである理由があるのだとしたら、それを知る必要がある、とか。

 そうなると、今知っている事を一つずつ整理していく必要があるのかもしれない。


「……こんなに歩いても終わりに辿り着かないって事は、きっとこの公園自体があの子の世界って事だよね?」

「…………」

「その中で変わらずずっとあるものは木とベンチ。それ以外の物といったら、始めにあった池とスワンボート。何にも確認しないで来ちゃったけど、もしかしたらそこに何かヒントがあったのかもしれない?」

「…………」

「スワンボートは一台じゃなかったし、乗ってみたら何か変わるとかあり得る? 他に何も思い付かないのならまずやってみるべきだよね?」

「…………」



 あれ? また返事が無い。


「猫さん? だから戻ってみようと思う……猫さん?」


 聞いてる?と、隣を見ると、そこに猫さんの姿が無い。あれ? ベンチに座って無かったのかと足元に目をやると、そこにも猫さんが居ない。


「え?」


 その代わり、犬が一匹。茶色いふわふわでまん丸の小型犬が、良い子におすわりをしていた。


「スワンボート乗るの? 僕も行きたい!」


 つぶらな瞳をキラキラとさせて、こちらを見上げる可愛い犬が言う。連れてって! 一緒に行こう!と、態度だけで心の声がびしびし伝わってくるので、何を考える暇も無く私はいいよと頷いていた。


「やった! じゃあ早く行こう!」

「あ、でも待って。猫さんが、」

「……猫?」


 嬉しそうに今すぐ行こうと歩き出した足をピタリ止めて、犬は振り返る。あんなにふわふわ楽しく明るかったのに、急にしんと静まりかえった小さな犬は、俯き加減に、上目遣いでこちらを見た。


「……僕じゃダメかな? 猫じゃないと嫌? ……もしかして、犬は嫌い?」


 私を見上げる可愛い犬は、三角の耳を下向きにしてしょんぼりとしてしまった。心なしかふわふわの毛もしょんぼりしたような気がする……その原因が私という罪悪感といったらもう……!


「そ、そういう訳じゃっ……何も言わないで急に居なくなったちゃったら、猫さんがびっくりするかなと思って……」

「でも、急に居なくなったのは猫の方でしょ?」

「あ……うん、そうなんだけど……」

「だったら大丈夫だよ! またひょっこり現れるって!」


 すると、くるりと表情を変えた犬は、さぁ行こうと何も気にした様子も無くるんるん楽しげに歩き始める。その急変に戸惑いつつ、後ろ髪を引かれながも、結局私は言われるがまま彼の後ろをついて歩く事にした。

 急に居なくなったのは猫の方でしょ?と言われたら、確かにそうかと納得してしまった。初めて会った時も見失ったと思ったら、いつの間にか彼は海に居た。その次の時もそう。いつも猫は急に居なくなる。

 じゃあ急に現れたこの小さな犬は? この子に会うのは初めてだ。スワンボートに乗りたいと言っていたから、この子とスワンボートに乗ると何か変わるのかな。

 とにかく何か展開が変わったという事だけは分かったけれど、新しいこの小さな相棒を信じていいのか、猫さんにいつになったら会えるのか、まだ次の展開への気持ちが着いて来なかった。



「……なんか暗いね、みのりちゃん」


 公園の終わりを求めてだいぶ歩いてきた為、始めに居た大きな池の場所まで戻るには同じだけ歩く事になる。じっと黙って歩き続けていると、足元をちょこちょこ歩く犬が私を仰ぎ見て不安そうに言った。


「僕と一緒は嫌?」

「そんな事無いよ! 多分、考え事をしてたせいかも。結構歩くなぁとか、猫さんはいつ出てくるのかなぁとか……暗いとか嫌だとかそんな事は無いの」


 というか、ちょっと待って。


「君、私の名前知ってるの?」

「知ってるよー! 有名だよ!」


 ピンと耳を立てて嬉しそうに目をまん丸にさせる犬がとても可愛い。花とか音符とかぴょんぴょん周りを飛んでるように見えるくらい、溢れんばかりの嬉しさを表してくれる。


「有名って……そんな事ないでしょう」


 しゃがんで頭を撫でると、尻尾をぶんぶん振っておすわりをした。なるほど……犬好きの人の気持ちが大変よく分かりました。考え事とかこの可愛さの前ではどうでも良くなってしまう……。