ずっと気になっていた。彼は実在する人物なのか、前回の夢の後からずっと考えていた。今日またここで君に会えるのを、ずっと心待ちにしていた。
もし君がこの世界にいるのなら、夢の外で君に会いたいと思う。君ともっと世界を広げたいと思う。君が居てくれたらと思う。
「……それを知ってどうするの?」
「君ともっと話がしたいな」
「ここでも出来るよ」
「でも、本当の君に会いたい。君は本当はこんなに小さな男の子じゃないよね?」
もし仮に、彼が現実にいる存在だとしたら。本当にいるのかどうか疑う中で一つ引っかかったのは、もしかしたら子供ですらないのかも、という事。半々だった。本当に小さい子なのかもしれないし、夢でだけ姿を変えているのかも。何も知らない状態ではどちらも同じだけの信憑性があった。
しかしたった今、実在する事を否定されなかった事で、本の感想を聞かせて貰った事で、確信を持った。もし本当にその年齢ならこんな話し方はしないし、こんな悩み方はしない。こんな感想に辿り着かない。
「……でもこれも僕だ。中身は僕なんだから」
「そうだけど、本当の事を知りたいよ」
「僕は知られたくないって言ってるんだよ」
「なんで?」
「なんで? だって君はこの小さな僕が好きなだけだ」
「この君が好きなら本当の君も好きだよ」
「そんなの分からない。僕は僕が嫌いだ、どうせ僕を知ったら仲良くなんてしてくれないくせに」
「そんな事絶対にないよ!」
「あるよ、そうなんだから」
頑なに否定する彼にはもう、どんな言葉も心に届きそうに無かった。本当に実在する人物だという事は受け入れてくれている。同じ世界に生きている人間なのだと認めて貰えた今、どうしても彼に会いたいと思うし、彼の事をもっと知りたい。
どうしたら分かって貰えるのだろう……人付き合いの経験が少ない私には、上手く答えを導きだせない。
「……君がどんな人だろうと構わないのに。本当はすっごくお爺ちゃんだとしてもいいの。私、会いにいくよ」
「なんでもいいならここでいいはず。それで十分だよ」
「なんでそんなに会わせてくれないの?」
「嫌われたくないから」
「嫌わないよ!」
「そんなの信じられない」
「じゃあどうしたら信じてくれるの?」
堂々巡りのやり取りに、思わず小さな彼の手を握る。もう嫌だと、そのままどこかへ行ってしまわないか心配だった。分かった会おうと言ってくれるまでは粘るつもりだ。だって夢では会ってくれるつもりがあるのなら、私の事が嫌な訳では無いはずでしょう? 嫌われるのが心配だというのなら、それは無用な心配なのである。そんな事は絶対にしない。
テコでも動かないと心に決めた私の決意は、彼に伝わったのだろう。眉根を寄せた彼は大きな溜息をついた。
「……全然諦めないじゃん」
「諦めないよ! 絶対に!」
「絶対に……絶対か」
うん! と大きく頷くと、諦めたように彼はまた溜息をついて、一点を見詰めて黙り込む。その見つめる先をチラリと見てみたけれど、特に何も無い。どうやら考え事をしているみたいだった。
「……じゃあ、どんな僕でも見つけられる?」
「?」
「見つけられなかったら、それでもう終わりにしよう。それがいい。僕もその時は諦める」
「……え?」
「次の夢で僕を探して。見つけられたら、君の勝ち」
約束だよと、彼は一方的に小指を差し出す。
「……分かった、約束。絶対見つけるよ」
それしか方法は無いのだと腹を括り、その指に私の小指を絡めた所で夢は途切れた。朝が来る。約束と共に、現実へと戻ってきた。
『次の夢で僕を探して』
一体どういう事になるのか、何の想像も付かないまま結んだ約束が、小指の残っているように感じた。粘ったおかげで手に入れたチャンスだ、絶対に物にしてみせる。
「おはよう、玉木さん」
「! おはよう、中川君」
前回に続いて二回目の事だった。中川君がまだ朝の早い、誰も来るはずの無い教室に現れる。
「早いんだね。中川君、何か用事があるの?」
「……うん」
頷いた中川君だったけれど、それ以上何かを言う素振りは無く、何の用があるのかまでは話すつもりは無いようだった。
「玉木さんは今日も本を読んでるの?」
「うん。その為もあって早く来てるから」
「どんなの読んでるか聞いても良い?」
「いいよ。今日はね、ちょっと夢について興味があって調べてる所なの」
これだよと表紙を見せると、中川君は興味ありげにタイトルを目でなぞる。
「夢の成り立ち? どうやって夢を見るのか、とか?」
「そう。最近よく夢を見るんだけど、そもそも夢ってなんだっけと思って」
他人と夢を共有する事が本当に起こり得るのか、どうやったら自らの意思で夢を繋ぐ事が出来るのか、どこかに書いていないかなと思ったのだ。だって次の夢で彼を探す事になったけれど、もしそこで見つけられなかったら? これで諦めると言った彼はその瞬間からもう夢に現れてくれなくなるのではと、そんな嫌な答えに辿り着いてしまったから。
私には分からない所で彼は思い悩んでいる。それだけは話した中で分かっていたので、そんな風に拒絶されてしまうのはとてもあり得る事に思えた。だったらどうしようと焦る私が考えついた一つの答えが、私から夢を繋ぐという方法だ。
もし彼から繋がりを絶たれて会えなくなってしまったら。その時は逆に私の方から彼の夢に繋げられないのかなと思いつくまでそう時間は掛からなくて、焦って不安になったとしても自分は意外と前向きに進んでいくタイプなのだと初めて知った。こんな風に思い悩んだ事自体が初めてだったのかもしれない。
手遅れになる前に対策を練っておきたい。その手段を確保しつつ、次の夢では彼を全力で見つけ出したい。その結果が、夢についての参考書を読む、という今の状況だった。
「中川君はよく夢を見る?」
「夢は見るけど……大体朝にはどんな夢だったのか忘れてる事が多いかな。楽しかったとか大変だったとか覚えてても、内容までははっきり思い出せなくてがっかりする時がある」
「なるほど。確かに、普通そうかもしれない」
私の夢も起きた瞬間は覚えていても、時間が経つにつれてどんどん忘れて、昼には綺麗さっぱりな時もある。それは大体彼と繋がっていない時の夢だから、こっちは普通の夢で間違い無いのだろう。普通はそんなものである。
「玉木さんの夢はそうじゃないの?」
「……あー、うん。言われてみれば、私もどんな夢だったのか忘れてるかも」
普通じゃないと自覚がある上で、夢が繋がっていて人と話しています、なんて答えるのはちょっと変かなと思い、話を合わせて誤魔化す事にした。私にもこんな器用な事が出来るんだなと自分にびっくり。空気を読むっていうのはこういう事で合ってるのだろうか。
でもまぁ、これは私とあの子の約束だし、私達にしか分からない事だから、他の人に話してもしょうがない。二人の秘密にしておきたい気持ちもある。
「……そっか」
中川君は薄い微笑みを浮かべて、小さく答えた。会話はここで終わってしまい、中川君が教室を出て行く後ろ姿を見送った。きっと始めに言っていた用事を済ませに向かったのだろう。
教室の扉が閉まると、私は手元の本をそっと開いて、また閉じる。きっとここに答えなど無いのだろうと、中川君と話して見えた現実が教えてくれた。こんな事は結局無意味なのだ。だって、これは私と彼の間に起きている不思議で特別な出来事なのだから。
早く次の夢で会いたいなと思う気持ちと、次の夢が最後かもしれないという気持ちがせめぎ合っている。落ち着かず、何かしなきゃと無駄に焦る日々はなんだか辛くて、結局私は読書と勉強に没頭した。気持ちを紛らわせる方法を、私はこれ以外に知らなかったから。
「あーあ、こんな所に来ちゃって」
その声に、ハッと意識が覚醒した。見覚えのある景色だ。鬱蒼と茂る木々が怪しく、立ち込める靄が危機感の後押しをする……そうだ、ここはあの時の樹海。
「言ってやんなよ、迷惑だって」
長い尻尾をピシピシを地面に打ち付け、機嫌悪そうに言葉を発するのは、
「猫! え、嘘、猫さん?!」
消えてしまったと聞いていた、海に連れて行ってくれたあの黒猫。紛れも無く本物の猫さんだった。
「なんで? どうしてここに居るの?」
「それはこっちの台詞だよ、君がなんでここに?」
そう言われて、ようやく自分の立ち位置を思い出した。今ここにいるという事は、これは彼の夢の中なのだろう。つまり私は、
「あの子を見つけなくちゃいけない」
「…………」
「猫さんは知ってる? 猫さんの飼い主の男の子を探さなきゃならないんだ。この森の中に居ると思うんだけど」
「…………」
「ここ、あの子の夢の中で合ってるよね? 猫さんともここで前会ったもんね。そしたらこの森の事、猫さん詳しい?」
「…………」
「……あれ? 猫さん聞いてる?」
不満げに私を見つめる黒猫は、ペロリと前足を舐めるとお行儀良く座ったまま、ツンとそっぽを向いた。尻尾は今だにタシタシと地面を打っている。なんだか終始ご機嫌斜めといった様子である……。
「猫さん、何か怒ってる?」
「……そうやって何でもかんでも聞いてくるけどさ、少しは自分で考えたら?」
「あ、はい……すみません……」
きっぱりと怒られてしまった。ショックだ……でも、言われてみれば確かにその通りである。私が探すよう言われたのだから私が探さなければ意味がない。早速人任せにしようとした自分が恥ずかしい。
「じゃあ、ちょっと行ってきます」
「は? なんで?」
「だって探さないといけないから……」
「こんな所、無闇に一人で行ったって迷って帰れなくなるだけだよ」
「でも約束したから行かないと……待ってると思うし」
「ほんと君はそれしか考えられないんだから……」
やれやれと、溜息の猫さん。どうやら私の事をよく分かっているらしい。
「いいよ、手伝うよ。そのつもりだったから」
「本当!」
やったぁ!と喜んだのと同時に、だったら最初の時点ですぐに案内してくれれば良かったのに……とも思ったけれど、決して口には出さなかった。折角戻った猫さんの機嫌を損ねたらいけないと思ったからだ。……だけど。
「会った瞬間からさ、挨拶も無しに質問攻めにあう僕の気持ち分かる?」
「……すみません……」
「都合良く使える猫だと思わないでよね、ちゃんと僕に感謝する事」
「はい……本当にありがとうございます」
全部、猫さんにはお見通しという事で。
分かればよろしいと、胸を張る黒猫はとても頼りがいがあったので、感謝の気持ちを忘れずに頼りにしていこうと心に決めた。きっと素敵なサポートをしてくれるに違いない。
「で、猫さん。この森の中をどうやって探したらいいんだろう」
「まずはここがどういう所かしっかり知るべきだよ。探すのはそれからの話」
着いておいでと歩き出す黒猫に続いて、靄の中を進む。見失わないように気を付けなければと、過去二回とも見失った実績がある鈍臭い私は気合いを入れた。けれど、猫さんは何度も振り返りながら私の歩みに合わせてくれたので、その必要が無くなった事が有り難かった。