翌朝、起床すると図々しい少年は消えていた。
 夜勤明けの母親に知られたら、どう言い訳しようかひやひやしていたが、とんだ杞憂だった。
 いつものとおり、朝食をすませ、学校に向かう。
 神経が太いのか、鈍いのか。感覚が麻痺したのかもしれない。我ながら、感心する。
「今度は女子高生6人だってよ」
「皆、貧血?」
「まだ意識、戻らないんだって」
「本当に眠り姫みたい」
「かわいそう」
 教室に向かう途中に聞こえてくる最近の話題。
 中高生の少女が、突然眠り続けてしまう不可思議な症例だった。
 検査では何の異常も認められないのに彼女たちは深い眠りに落ちたままだ。
 この街周辺で起きてはいるが彼女たちの通う学校や性格、家庭環境などに共通点はなく、日増しに被害者は増え続けている。
 またマスメディアの無責任な報道により「眠り姫事件」と名前がつけられ、人々の関心を集めている。
「何で女子ばっかり……」
「あーあ、わたしも眠りたーい」
「場所は駅前の商店街だってよ」
「嘘だろ。すぐ近くじゃん」
 耳に入ってきた会話に、ぎくりとした。
 内心ひやひやしてする。
 その場にいたという事実は、こんなにも居心地が悪いものなのか。
 口にしたら、昨夜目にしたものまで話さなくてはいけなくなる。そして説明したところで正気を疑われるだけだ。その場にいた一季ですら信じられずにいる。
 となれば、できることといったら知らぬ存ぜぬの姿勢でいるしかない。
 無関係を装う。
 導き出された結論に対して、戸惑いが捨てきれない。
 そうするしかないとわかっていても、見聞きしたことをずっと黙ったままにしておけるのだろうか。そんな疑念が頭をかすめるのだ。自慢ではないが嘘をついたり、ごまかすといった才能はからきしない。
 いつ口が滑るともわからない。すると今度は、不安を打ち消すように怒りが発生してくる。要するに現状に対する不満から、事情を知ってそうな人物に八つ当たりしたくなったのだ。
(あいつ……同じ学校とか言ってたけど本当かよ)
 昨夜の会話を思い出す。
東堂(とうどう)嵐士(あらし)。おまえと同じ征渓(せいけい)高校の生徒』
 今にして思えば、その場しのぎの言い訳だったのかもしれない。
 彼は私服だったし、あんな個性的な言動だったら校内で有名になっていそうなものである。だが、一季には心当たりがない。見覚えすらなかった。
(まあ、あの女子高生たちが無傷と知れただけましなんだろうけど)
 そうなのだ。今回の事件についての唯一の共通項は、目立った外傷はないという点だった。
 被害者が例外なく健康そのもので、ただ眠り続けているとしか考えられない状態らしい。
 昨夜の女子高生たちも眠り姫の被害者だとすれば、生命に別条はないということになる。不謹慎ではあるが、わずかに安堵する。偶然に居合わせただけとはいえ、何かあっては後味が悪い。
 結局、自分は日常生活に戻ることしかできなかった。
 授業を受けずに真相を突き止めるなんて無謀な真似はできそうにない。
 ようやく自分の教室が見えてきた頃だった。
 苦しかった胸も和らいでくる。
 扉の前で生徒とすれ違う。
 見知った人物だった。
 整った顔とすらりとした体格。知性を感じさせる雰囲気。
 性格も穏やかで、成績も優秀。
 分け隔てなく人と接するため、男女学年を問わず人気がある。
 それもそのはず。
 彼は生徒会長の賢木(さかき)智央(ちひろ)
 同じ眼鏡でも自分とは、えらい違いだ。
「おはようございます」
「おはよう」
 挨拶をすると爽やかな笑顔を返された。一季は複雑な気持ちになる。
 これを目撃するためだけに早く登校する女子も多いと聞く。それを自分に向けるとは、やはり生徒会長の名は伊達ではないなと感心するばかりだ。
 耐えきれなくなって視線を下げれば、視界に入ってきたものに興味を覚える。
(飾り紐?)
 賢木の制服の第二ボタン。そこらから右のポケットにかけて曲線を描く紐。
 刺繍の入った飾緒のようだった。
(鍵か?) 
 彼のような優等生が校則違反をするとは思えなかった。
 アクセサリーの類でないとすれば、ロッカーの鍵などまとめておくチェーンだろうか。
(それとも懐中時計とかか? さすがは生徒会長)
 飛ばし過ぎた発想に自ら苦笑すれば、自分のクラスにたどり着いていた。
「おはよう」
「おー」
 教室に入るなり、挨拶されて返事をする。
 いつものやりとり。
 すっかり元の生活に戻りつつある精神が、再び揺るがされた。
 声をかけてきた人物に驚いて、自然と声が大きくなる。
「おまえ、とうど……っ!」
 名を呼ぶ前に口を塞がれた。それもスパンッと張り手を喰らうような勢いで。不思議と痛みは感じなかった。
「ちょっといいか」
 さらっとした口調で襟首を掴まえられる。その後は問答無用の力で引きずられた。
 教室の注目を集めるものの、それも一瞬。
「なんだ、あれ」
「上村とあいつ、知り合いだっけ?」
「そんなはずないだろ。そもそもあいつ名前は……」
「えーと誰だっけ?」
 素早く教室を離れたこと、一季に声をかけた人物の名前が曖昧なことから、すぐにクラスメイトの関心が失われていった。

 屋上へと続く階段付近。
 昼夜を問わず、人気はない。そこでようやく解放された一季は首を痛むさすりつつ、相手を睨んだ。
「きっと昨日の今日で挙動不審になるだろうから、さっさと釘を刺そうと思った矢先、予想通りの反応(リアクション)しやがって……」
 相手も不満満載らしい。
 思わず、むっとなった。
 一季も不信感を露わにする。
「あんた、何やってんだよ」
「学生の本分」
 嘘くさい。
 まず最初の感想がそれだった。
 目の前の人物は昨夜の危険人物。もとい、夕飯を平らげ風呂まで所望した厚かましい男。
 東堂(とうどう)嵐士(あらし)である。
 そいつと対峙している。
 一季は納得がいかない。
 「何なんだ、その恰好」
 あきれ顔で訊ねる。
 彼の姿は普通の高校生といった恰好だった。
 いや、実際はかなり語弊がある。
 詰襟の学生服は校則通り。大勢のそれと区別がつかない。いや、自分もそうだが。
 相手の服装には違和感を覚えた。
 もっとも気になるのは、年季の入った黒縁メガネなんぞをしている。
 それが影の薄い、存在感をなくしていた。
 昨日の強気な雰囲気はどこへやら。背の高ささえ、忘れそうなほどの地味な印象を受ける。
 対する東堂は髪をかきあげた。眼鏡の奥からわずかに苛立つような表情が見える。
「この方が都合がいいんだよ。実際おまえも気付かなかったろ?」
 一応、理由があるという。
 昨夜とはうって変わって、学校生活では目立たないよう心掛けているようだ。
 一季も指摘されて口ごもる。
 確かに、この姿では廊下ですれ違っても気付かない。というか、意識できないくらいの特徴のなさだ。
「影が薄いと教師にも不良にも目をつけらないし、授業もサボれる。休んでも怪しまれない」
「おい。学生の本分はどこいっちゃったんだよ」
 反射的に突っ込む。
 東堂の言い分は不審者まるだしだ。まるきり面倒を避ける問題児の発言である。
 とはいえ、いつまでも学校の生活態度をあれこれ言っても始まらない。
 今度は一季がため息をついて腕を組む。
「あんなことがあってよく学校これるな」
「その言葉そっくり返すぞ。意外に神経太いんだな」
 ぐっと言葉を飲み込む。
 考えていたことを見透かされているようで、具合が悪い。
 だが、そこは聞かなかったことにした。
 東堂が目の前にいることで状況が変わった。一季としては大事な問題を片付けたい。その気持ちの方が勝っていた。
「ともかく昨日のことを詳しく説明してもらうぞ」
 低い声音で要求する。
 まだ聞いていないことがたくさんある。それを知るまで先には進めない。
 そう宣言するも、東堂の表情は変わらなかった。
 両手をポケットに突っ込み、靴底で床を蹴る。
 ついでに昨夜のようにあっけらかんとした口調で告げてきた。
「それについては同感だ。教えてやるから、うろちょろすんな。おまえ、生命を狙われてっからな」
 と、当たり前のように指を突きつけてくる。
 一季は、ぽかんとなった。
 今、東堂は何と言った?
 意味を理解するのに五秒はかかった。
「何で、それを早く言わないんだよ!」
 そんな話は聞いていない。
 昨夜のことは不可抗力だ。生命を狙われるほどのことをしたとは思えない。
「言ったぞ。ちゃんと昨日。おまえが別のこと気にしてて、スルーしたんだろ」
 けろりと吐かれた言葉に、ハッとする。
『早い話、俺はある犯罪者を追ってる。それがおまえと接触した。おまけにおまえは生命を狙われている。また遭遇する可能性が高い。以上』
 昨夜の会話を思い出して、心の中で絶叫する。
 どっと疲労を感じた。
 何故、聞き逃した自分。いろいろあって接続がうまくいかなかった模様。
 やっぱり大事な要点を聞き逃していた。東堂を恨んでもはじまらない。確かに聞き逃したことは事実だ。
「とりあえず、おまえは目をつけられた。また襲われるぞ」
 対する東堂の目が冷たくなっていた。
 それによってまた日常が薄れていく。恐怖と不安の存在が忍び寄ってくる。
「ここにいたら危険じゃないか?」
 一季はもっとも気になる点を口にした。
 昨夜のようなことが学校で起きるとしたら大騒ぎになってしまう。
 怪我人や死者が出るかもしれない。そんな恐れが頭によぎった。
 けれども東堂は首をふる。
「大丈夫だ。魔術師ってのは夜の活動を好む。人目は少なくなるし、コンディションもベストな状態で挑める。襲撃するとしたら放課後以降だ」
「そんな吸血鬼みたいな……」
 一季は困ったようにうめいた。
 はっきり断言されても、ますます怪しく思えてくる。現実味がない。
 おまけに闇夜を好むとは。どんなアンダーグラウンドの連中なのだろう。
「とにかく教室に戻るぞ。新学期早々、担任に目をつけられたくない」
 不思議な話、このセリフが一番しっくりきた。
 さっさと踵を返す東堂について行く。
 離れてしまった日常を引き戻す言葉。
 まだ繋がっていたい。
 これを手放したくない。
 頼りない直感。
 それでも一季は縋るしかない。
 失う時の重さを考えないようにしながら。

 教室にたどり着いて気付く。
「って、同じクラスなのかよ!」
 たまらず声をあげる。
 すでにホームルームは始まっていた。
 ため息をつく東堂とともに、クラスメイトと担任の注目を一身に浴びる羽目になる。