紫は、お堂から一目散に、社務所へ戻った。とにかく、一人になりたくなかった。

社務所の広間に、大人達を避けるよう座る、茜を見つけた紫は、ほっとして、声をかけようとした。

すると、茜は立ち上がり、宴会の準備で、ごった返している調理場のお勝手からではなく、社務所の裏口から出て行った。

紫は、社務所の入り口に周ると、靴を履き、茜の後を追った。

茜は神社の裏口すぐにある、細い山道へ踏み込んでいく。

紫も、茜に気づかれないよう、足元を注意しながら、後をついて行く。

つと、茜が、足を止めた。

目の前には、紫色のトリカブトの花が美しく咲き乱れている。

茜は躊躇(ためら)うことなく、トリカブトに手を伸ばし摘み取った。そして、また、仄暗い山道を進んでいく。

気がつけば、お堂のすぐ脇の井戸の横に出ていた。 

此処までくるのに、子供の足でも、わずかな時間しか要していない。皆が使う道だと20分は、かかるのに。

紫は、なぜ、茜が、抜け道を知っているのか不思議に思いながら、茜が、入って行った、お堂の壁に耳を貼り付け、中の様子を伺った。

中からは、傀儡師の声がするが、低くて聞き取りづらい。

その時、茜の声がした。

「克也の……よ……ふふふ」

思わず、紫は壁から飛び退いた。

(かっちゃんの?)

克也はやっぱり、このお堂のどこかに居るんじゃないだろうか?お堂の、中へ入らないと。

紫はお堂の軒下へと、潜り込む。

お堂には、使わない仏具を仕舞う納戸がある。今は、傀儡師の荷物置き場になっているはずだ。

そこの床板は、弛い。床下から、床板を外せば、なんとか、お堂の中へ潜り込める。

紫は、這いつくばり、進んでいく。

納戸の下辺りへたどり着くと、力いっぱい腕を押し上げた。

板がずれたわずかな隙間から、這い出た紫は、乱れた呼吸を整えるように深呼吸した。

と、足音が聞こえて来る。

紫は、慌てて、目についた押入れの中へ、飛び込んだ。

直後、蝋燭の光が部屋を照らした。

「おじさん、材料は?」

「ああ、押入れの中だよ」

傀儡師は、紫の隠れている隣の押入れ開けると、何かを取り出した。

立て付けの悪い、押入れのわずかな隙間から、紫は目を凝らして、様子を伺う。

ぐったりとした俊恵と克也が、寝かされている。

……顔に表情はなく、既に息もない……。

蝋燭の灯りの元、傀儡師が俊恵の髪をハサミで切っていく。

「茜ちゃん、そこの葛の中から本体出してくれないかなぁ」

茜は葛を開けると、何かを取り出した。

未完成の、二体の人形だった。

傀儡子は、俊恵から切り取った髪を、
丁寧に束ね、桐の木粉(もっぷん)生麩糊(しょうふのり)で、練った頭部に、小刀を用いて溝を彫ると、髪の毛を埋め込んだ。

「おじさん、人形の顔は?」

「焦らない、焦らない」

言いながら、傀儡師は、俊恵の柔らかい頬の皮を剥ぎ取ると、指先で皺を伸ばしながら、下地の胡粉(ごふん)が塗られた、顔の部分へ貼り付けた。

皮の下から、胡粉の白が透けて見え、作られているモノは、一度失った命が再び息を吹き返したような、『生き人形』に見えた。

「ああ、こりゃ新作用の人形にいい……」

「おじさん、新作って?」

「義経千本桜かなぁ」

「俊恵ちゃんが、義経ね。克也が、弁慶。そして、私が、静御前!」

茜が、喜びの声を上げた時、お堂の入り口から、傀儡師を呼ぶ声がした。

「高井さんだ」

傀儡師は、鬱陶しそうに返事をすると、入り口へ向かった。その後に続いたはずの茜の足音が、押し入れの方へと近づいてきて、止まった。

「もういいかい……」

茜が、かくれんぼの鬼の台詞を呟くと、トリカブトの花を一輪、落として行った。

(──見つかってた。次は……。)

紫は、震えが止まらなかった。