「なんてことをしてくれたのよ」

 花梨は芸能事務所の応接室に呼び出されていた。当然のことながら、マリアは怒っている。

 マリアは所属タレントであると同時に事務所の株の半分を所有しており、役員の一人だ。

 この事務所の専属タレントは二十五人。その大半がモデルだ。最も売れているのはエマ。明るくてお洒落なハーフのエマは多数のテレビコマーシャルに出演している。

「ユウジは、うちの事務所に赤ちゃんの頃からいるのよ」

 今回、ユウジに対してマリアが平謝りしたらしい。輝がマリアのお気に入りだという事は知れ渡っている。だから、尻ぬぐいをするのもマリアの義務た。

「今回のことは、どうやら、あなたが原因のようね」

 花梨は、あの日、東京に戻ったので後のことは分からなかったのだが、ユウジの鼻は折れていたという。大変なことをしてしまったと青褪めた。相手は美しさを売りにしているモデルなのだ。

「あなたは輝の何なの? なぜ、あんなところにいたのかしらね? 勝手に泊り込むなんてどういう了見なのかしらね」

 マリアに問い詰められて、花梨は目を合わせられなくなり萎縮してしまう。輝もユウジも悪くない。誤解を招くような状況を作ったのは自分のだ。

「ユウジさんに謝りに行きます」

「あなたは、わたしの弟の婚約者ということだから示談になったのよ。その自覚はないの? 今回の事もケイの為に内密にしてあげる」

「違います。あたしは婚約なんてしていません!」

 そんなことを勝手に決め付けないで欲しい。

「あら、そう? でも、そうなる可能性はあるわよ。弟は、あなたのことが好きなのよ。とても優しくていい子なのよ」

「はい。それはもちろん分かっています……」

 だけど、今、花梨が愛している人は建山輝だ。

 輝も、こっぴどく社長やマネージャーから叱られているという。

「明のブランドのイメージモデルの仕事を冬からはユウジに譲るということで話が決まったの。それで納得してくれた。輝の今後の仕事の幾つかはキャンセルしたわ。謹慎処分にしたのよ」

 マリアが花梨を呼び出したのには理由がある。これが言いたかったのだ。

「いいこと? 今後、うちの輝には近寄らないでちょうだい。迷惑なのよ」

「えっ……?」

 花梨は、うなだれるしかなかった。

 すると、マリアは花梨の手をぎゅっと両手で握ったものだから、それが意外で花梨は目を見開いた。マリアの顔つきが予想指していたものとは違っている。深い悲しみの色へと変わっている。長い睫毛の先がしっとりと濡れている。

「聞いてちょうだい。弟の癌はステージ四よ。今度こそ駄目かもしれない。弟のことだけを考えて、お見舞いにいってあげてちょうだい。弟には生きる希望が必要なのよ。弟に尽くす事を優先してちようだい」